第七話 ~化け猫の要求~


*****


 帰り道は、いつもと全く同じようにさえない道のりを、何ともしょぼくれた表情を浮かべて辿る事になった。

 最寄りのバス停から乗り込み、パスケースに入れたカードを見せて下りてという具合だ。


 すっかり二週間にもなるのに今もまだ、同学年のはずの露稀さんへの敬語はどうも治らない。

 見た目も物腰も浮世離れしすぎて、自分の中にあった下僕根性でも覚醒させられたのかと思うほどだ。

 容貌は言うに及ばず、言葉遣いも気品も何もかもが俺とはまるで違う。

 噂では、露稀さんはやはりというべきか相当に良いところのお嬢様であるらしく、外見、中身、さらには持って生まれた環境までが隙が無い。

 何もかも平凡な俺とは大違いだ。


 今日は、この前とは違ってまっすぐ帰る事に決めていた。

 いつものバス停で下りて、歩いて自宅までの途中にある公園を横切ってショートカットしようとして――――その時の事。


「……おい、軟弱者。随分とまぁ酷い顔をして歩くものだな?」

「えっ……」


 声はするのに、見回しても周りに人影はない。

 遊んでいる子供たちはいるが、二十メートルほど先の遊具の一角だ。

 そもそも聞こえた声は子供のそれとはまったく違う低くしゃがれた、大人というより老女のものだ。

 そして樹上から音もなく飛び下りてきた黒影を見て、ようやく、気付く。

 声の主は、二つに分かれた尾を持つ毛並みの良いだ。


「ほっといてくださいよ、“セサミ”さん。別に励ましに来たわけでもないんでしょ」

「まぁ、そうだね。……まぁ、話そうじゃあないか。狭くて悪いがゆっくりしていけ」

「狭くて、って……ここ、セサミさんの庭ですか」

「世界は全て猫のものさ。ほれ、ついてこい。向こうのベンチが良いな」


 もう驚く事なんてなくなった――――人間の言葉を解し、流暢に話す双尾の黒猫の姿についていき、公園の一角にあった木製の背もたれ付きのベンチに腰掛け、落ち着く。

 するとセサミもまたベンチに飛び乗り、ちんまりと両手両足を揃えてあらぬ方向を向いて、二つの尾をそれぞれ左右から体に巻き付ける他は、まるで普通の猫のように座った。


「で――――どうしたね? 飼い主から説教でもされたかね?」

「ええ、まぁ……はい」

「仔細知らぬが、多分お主が悪い。反省せよ」

「何も言ってないじゃないですか!」

「ふん。当ててやろうか。先日の一件だろう? リーナめへ注意を促した。結果、気の抜けたリーナは彼奴めの二つ目の頭の存在を失念し、お主が窮地に陥った。……お主が露稀に叱られるとしたらそんな理由だろうさ。それとも、体操着でも盗んで売りさばいたか? 露稀のなら高く売れるだろうよ」

「そんな事しないっすよ、確実に殺されます。……まぁ、はい。当たりです。前半だけ」


 何も知らずはたから見たらネコに相談をするヤバい人だが……実際、会話が成立しているのだから仕方がない。


「そういえば……セサミさん、どうして喋れるんでしたっけ……魔法少女と何か関係あるんですか?」

「あぁ? リーナから聞いていないか、しょうもない。簡単だ。私は“猫又ねこまた”だからな。齢二十を超えた猫があやかしへと変ずる、あれよ。もともと私は星崎家の飼い猫だったのさ。尻尾なら隠せるぞ」

「猫又……」


 また、しれっと――――そういう言葉が出てくるようになったな、俺の周りは。


「マジでいるんですか? いや、今さら疑う余地もないんですけど……」

「昔はそれこそ少なかったがな。今となっては、医療技術やペットフードの栄養調整も発達しているもの故、二十年を超えて生きる猫も珍しいものではなかろう」

「それで、猫又になったあとってどういう感じになるんですか?」

「どうもせんよ。多少喋ったり、寿命が更に延びたり、尻尾を隠したり変化する事もできよう。……今どき行燈あんどんの油を舐めたりはせんし、飼い主を食い殺して化けたりもせん。人間なんぞより猫でいた方が楽しいわい」

「……別に、やる事は変わらないんですね」


 流暢に嗄れ声で喋りながら、前脚を舐め、顔を洗い、あくびをしては態勢を変えて丸まって横になり。

 人間の言葉を話すくせに、仕草は完全に猫のそれでしかないせいで――――ちょっとだけ、まさか俺の頭がおかしくなっていてこの猫が喋っている錯覚を起こしているんじゃないかとまで思うほどだ。


「まぁ、故あって今は飼い主のばば様の孫娘。あの未熟者の瑠璃菜るりなと契約を結んでおるわけだ。婆様への多少の恩返し、とな。……で、何の話であったか……そうだ、そうだ。お主が飼い主から叱られた話であったな?」

「ええ。……魔法少女を案じるな、って言われたんです」

「間違ってはおらんな。そも、魔法少女は多少なりともコスチュームの魔力で身を守れる。あの百足の一撃を食らっても死にはせんぞ、お主と違って守られているからな」

「そんな機能があったんですか?」

「露稀からは何も聞いていないのか? 呆れたものだ。どちらにも」

「猫にまでダメ出しされるって相当酷い日だなー……」


 露稀さんには説教され、帰りには喋る猫にダメ出しをもらい――――もうヒットポイントが底を尽きそうだ。

 それにしても、魔法少女のコスチュームには防御力があるなんてちゃんと聞いたのは初めての事だ。

 別段驚く事でもなくなったけれど、それでもだ。


 思えば俺が、リュミエール・リーナとその契約者……黒毛の猫又、セサミと初めて出会ったのは契約の日から数日後の事だった。

 街はずれに現れた巡礼者を倒しに向かうと、ほぼ同時に辿り着いたか、ばったりと出くわした事から始まる。

 露稀さんとリーナはもともと互いを認識してはいたが、鉢合わせるのは初めてだったらしいのに……露稀さんは遠慮なくその毒を発揮し、リーナを詰った。

 いわく、「貧相な白馬鹿」。「派手なだけで泥仕合を演じてはしゃぐお子様」。「意気込みは買うが、結果に伴わせろ」。

 間違ってはいなくとも初対面の中学生に言うようなセリフじゃないだろうに――――流石に止めに入れば、喋る猫にそれを制止されて「止めなくて良い、もっと言わせろ。たまには知らん奴に瑠璃菜は叱られるべきだ」と諭された。


 そして結局、巡礼者は全身に光の矢が突き刺さったままでも元気に動き続け――――またいつものように露稀さんが必殺技の一撃で仕留めて倒す流れだった。

 リーナの名誉のために言えば、巡礼者はダメージによってか動きをだいぶ遅くさせてはいたから、リーナが弱らせて露稀さんが仕留めた、という形に一応はなって、いた。

 というか、どんな形、大きさでも一太刀で倒してしまえる――――露稀さんが、おかしいのだ。


「……なあ、軟弱者。お主、露稀にはあまり深く教えてもらってはいないと見える」

「今度は何ですか。もうあんまり俺を折らないでくださいよ」

「違うて。……私が、露稀や頼りないリーナに代わってお主へ進講しんこうしてやろうと言うのだ。私の知る限りの事であれば何でも答えてやろうぞ。……まぁ、タダではないが」

「いくらで?」

「阿呆。金なんぞいらんわ。猫に金を渡すつもりか、お主は」


 言って、セサミはにやりと――――いや、猫だからそこまで極端に表情には出ないが、どこか小ずるく見える顔をこちらへ向け、わざとらしく“ニャー”とひと鳴きし。


「……なんという名前だったかな。ほれ、あのペースト状の、小袋に入った……ちまちまと出てくるあれだ。あれを持ってこい」

「ペースト……あれ……?」


 思わず、考え込む。小袋に入った、恐らく食べ物で、何より猫が要求しておかしくないもの。

 何か、何か、何か――――思い当たった。


「“ちゅるーる”ですか?」

「そうそう、それだ、それを二個持ってこい。さすれば私がお主へ何でも教えてやろうぞ」

「はぁ、そんなもんでいいんなら……って、二個は多くないですか? それこそリーナに買ってもらえばいいでしょうが」

「黙れ。年寄り猫には良くないから、と――――高齢猫用の味気ない方しかくれんのだ。しかも三日に一袋。瑠璃菜に言ってもムダだ。あいつめ、にやにやしながら“お婆ちゃん猫だから仕方ないでしょ”と……意趣返しなんぞしおって、忌々しい」

「普通に家族の愛でしょ……。文句があんなら自分で買えばいいじゃないですか、人に化けて」

「金の出所が無いだろうが。まさか瑠璃菜のサイフに手をつける不義理も働けまいよ。……いいな。今回は負けてやるから、次回からはちゅるーる二袋。きちんと味の濃い通常のものだぞ。持ってこい、分かったな」


 何とも猫らしい要求だけど、まぁ……それでも、いいか。

 露稀さんから色々教えてもらいはしても、まだ分からない事の方が多すぎる。それに、何より――――同じ契約者であるセサミとならば、多少話しやすい。

 世界でも軽くトップクラスの秘密を抱えてしまった身としては、ガス抜きもしたいから。

 友人にも家族にも話せないことだから……同じ役割で、しかも相手が猫となれば気の置けない付き合いができそうな気がする。


「……分かりましたよ。その話、乗ります。でもこの事、リーナにも露稀さんにも……」

「ああ、無論。一人と一匹の秘密としよう。私も話さぬし、特に瑠璃菜に話すなよ、絶対に」

「では、成立ですね」


 それきり、セサミはもう喋らず――――またもわざとらしく声高くひと鳴きしてから、てくてくと歩いて公園から去っていった。


「魔法少女と契約して、今度は化け猫と闇取引。……次はいったい何なんだか……」


 思わずぼやいた、その状況は――――我ながら、どうかしているなと何度目になるか、思う。



*****


 そして、俺はこの時はまだ知らなかったのだ。

 露稀さんの本当の、目的も。

 何のために戦っているのかも。


 魔法少女として戦う、“夜見原露稀”の――――――戦慄するまでのを。






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