第五話 ~魔法少女という存在~


*****


 そんな事が起きたのが、二週間前の事だった。

 それからの奇妙な日々を思い起こしながら、俺はあの日に賜った契約のしるべ……あの時違和感を覚えた左手の薬指にいつのまにか嵌っていた、簡素な漆黒の“指輪”を見つめて授業中の一時を過ごす。

 とくに飾り気も無く、変わった形状でもなく。

 彼女の……露稀さんの身に着けていた仮面にもよく似た質感の素材で、時折脈動して薄い緑色の紋様が浮かび上がる、俺にしか見えない“契約の指輪”。


 あの日、露稀さんから根掘り葉掘り訊いた概要はこうだ。


 “魔法少女”とは……地球の意思によって選出された、星の巡礼者を迎撃し、この星の安寧を守るために戦う力の施しを受けた地球人類の少女達なのだと。

 地球によって任じられた魔法少女のおおよその年齢は、十二歳から十八歳ほどまで。

 多くの場合は十二歳から十五歳までであると。

 おのが身を護り、その身体能力を飛躍的なまでに高める魔法少女のコスチュームを与えられ、超常の力……すなわち“魔法”を行使できる武器、“魔杖ウォンド”を与えられ、星の巡礼者の襲撃あらばこれを迎え撃つ宿命にある。

 魔杖と銘打たれていてもその形状は様々に変化し、各々の思い描く戦うための力を具現化し、変身時にはその衣装の特徴として“認識阻害”の魔法がかかるという。

 これにより、たとえ素顔で活動する魔法少女であったとしても……その正体を知る者に顔を見られたとして、気付けない。

 肉親であればわずかに違和感を覚えはする事があるものの、ともかく、その正体と、魔法少女の姿を紐づける事はできないそうだ。

 元の姿の彼女達と、魔法少女の姿の彼女達を別人として認識するようになるのだと。

 だから、魔法少女は今も……正体を誰一人特定される事がないまま、日夜戦っていけているのだ。

 そして魔法少女の戦闘スタイルはさまざまだが、多くが正統派な“魔法少女”然としたやり方をも好むという。

 登場し、変身し、名乗りをあげ、必殺技の叫びとともに決着。


 昨日の夕方に起きた、双頭のムカデによる街の被害は軽微なものに収まった。

 都心部のスクランブル交差点に突如として現れ、周辺の道路を破壊し、電柱を何本も薙ぎ倒し、建物までも破壊したにも関わらず、だ。

 それには魔法少女の放つ力が影響するという。

 彼女らが放つ魔力により、荒れ果てた地を癒す事もできるからだ。

 断ち切れた電線、折られた電柱、砕かれた道路、捻じ曲げられた標識。

 すべての人工物の被害は、彼女らが巡礼者を倒せば、

 しかし、例外はある。

 あの日俺が展望公園から見ていた、抉り取られてしまった遠景の山も、そうだ。

 自然物の被害は、魔法少女の力でも修復できない。木々に燃え移った火を消す事ぐらいはできても、焼けた木々はもう二度ともとに戻らない。

 そして、失われた命も――――――当然。


(…………ぶっ飛びすぎだよ、何もかも)


 なんとはなしに、左手の窓に目を移す。

 二週間前には“蒼炎の蜘蛛”、昨日には“双頭の大ムカデ”と出現したにも関わらず、秋の空はずいぶんと呑気な表情を浮かべたまま、申し訳程度の雲を浮かべていた。

 あんな事があったのに、人は誰もかれもがこの空と同じく呑気なもので。

 もしかして、二件とも俺の夢の中での出来事なんじゃあないかと思わせられるぐらいだ。


 だが、実際にこの指輪は俺の手にある。

 この指輪は――――“地脈の指輪”と称される、魔法少女との契約を行ったものにだけ現れるアイテムだ。

 説明は、無論というか……約束通り、行われた。

 時は、契約の日の直後にまで今一度遡る。



*****


「簡単に言えば、お前には私の従者となってもらう事になる」

「従者……ですか?」

「従者、付け人、マネージャー、あるいはコンサートの引き回しスタッフ。それら全てをまとめて行うんだ、お前は」

「えっと……つまり? ってか、どうやって!?」


 契約を交わした後、連れてこられた場所はどこにでもあるコーヒーチェーン店の奥にある一角、小さな二人掛けのテーブルだ。

 夜見原さんと俺の前にはキャラメルフラペチーノのグラスがそれぞれ置かれてあり、有無を言わさず彼女が注文してよこした一杯はまだ、どちらも口がつけられないまま……薄茶色の液体に乗せられたクリームは、溶けて傾きかけていた。


 今、こうして明るい場所で見ると――――やはり、夜見原さんの美貌は寒気さえもしてくるほどで、震えが止まらない。

 魔法装束の時と変わらない、腰まで艶々と長い夜空色の髪には“天使の輪”が二枚も三枚も見える。

 肌もまた透き通るように白く、吸い込まれそうな深い琥珀色の瞳を宿す、流れるような切れ長の眼は見ているだけで緊張してならない。

 薄い唇はぷるりと桃色に色づいて、さっきは暗くて気付かなかったが目元には泣きぼくろまである。

 夜見原さんが口走った通り、そのプロポーションもまた図抜けていて……特に胸など、指定の制服をきっちりと着こなし封じ込めていてなおも、目が引き寄せられるほどだ。

 そんな彼女が着ているというだけで、飽きるほど見た事がある学校指定制服のシャツ、それぞれベージュ色のスカート、ブレザー、紺色のリボンがまるでトップブランドのオーダーメイドで仕立てた一点モノのそれにさえ見える。

 目が引き寄せられるし、生唾が収まらない、目の前にいる、その事実だけで……さっきの蒼炎の大蜘蛛と相対した時にも劣らない緊張が走りっぱなしだ。


 “夜見原露稀”を知らない人間は、俺の通う学園――――宵城学園に、ひとりもいない。

 見ての通りのお方であって、同学年であったとしても、俺とはまるで住む世界の違う人だ。

 去年の学園祭ではミスコンに当たり前のように選ばれたものの、彼女は当初出場の打診を散々撥ねつけていたものの……主催する生徒、それと教員にまで“貴方が出ないと格好がつかないし誰も納得しないから出てくれ”とまで懇願されてしぶしぶ出てそのまま優勝したという逸話もある。

 更には成績優秀、容姿端麗、まさしく死角の存在しない完璧超人じみた才女だ。


「……オイ、そんなに固くなるなよ。命の危機は脱しただろう? 私に慣れろ。それともお前は童貞か?」

「はっ……!? い、いや、そのっ……ちょっと……」

「“ちょっと”とはどういう意味だ? 恥じるな、私も処女だ」


 そんな、俺の緊張も何もかも吹っ飛ばすような爆弾話の後で……ようやく、夜見原さんはグラスを取り、ストローを咥えて数口、吸い込む。


「当たり前だが、戦闘には魔力を使う。しかし、回復のペースはそう早くなくてな……“地球”からよこされる魔力の回復には、わりかしに良い時間がかかってしまうのさ」


 グラスを置くと、まるで夜見原さんは誰かに聞かれる事を気にしないまま、つらつらと世間話でもするかのように内情を語っていく。

 少し離れているとはいえ、店内にはお客もずいぶんといるのにだ。


「じゃあ……連続で“巡礼者”が出現したりすると、回復しないまま戦うことに……」

「なので、魔法少女は契約者を見つける事がある。お前のその指にあるのは、“地脈の指輪”。別に、お前が何かする必要はない。今こうしている間にもその指輪は魔力を受け取り、貯留する。ざっくりと言えば、お前自身が予備のバッテリーだと思え。もし戦闘で私の魔力が減ったら、お前の指輪を通して補充するという訳だ」


 要するに、かみ砕けば……夜見原さんとは別口で、俺がもう一本のバイパスとして彼女のために指輪を通して魔力を受け取り、溜め込んでおく役目という事らしい。

 一人より、二人。そうすれば連続での戦闘にも魔力が途切れることなく戦い続ける事ができる、と。


「すると、魔法少女にはだいたい契約者がいるんですか?」

「……いる奴もいるし、いない奴もいる。現に私は今まで独りでこなしてきた。連戦でもな」

「大丈夫だったんですか?」

「私は他の連中とは違うからな」


 またしても一口、キャラメルフラペチーノを吸い込んでのその一言はさらりとしていながら、ドヤ顔すらせず平然と、全くもっての自信に満ち溢れていた。

 何も言えずにいると――――呆れたように夜見原さんがこちらへ向けて目を細めた。


「今のは突っ込みを入れないのか? 気の利かん奴だ。モテないだろう、お前」

「突っ込んでもよかったんですか……?」

「まぁな。私の場合は変身時間がごく短い。戦闘自体が長引かないから連戦もある程度可能というだけの事さ。それと……“さん”付けはいらん。下の名前で呼び捨てていい」

「え、と……それじゃ、露稀……さん」

「ま、いいだろう。……ここまでで質問は?」

「いえ、特に。契約者は他に何をすればいいんですか」

「魔法少女が戦闘を行う時、近くにいるだけでいい。そうすればお前の指輪を通して直に魔力を地球から吸い上げ補給できる。それと、我々の戦闘により大気中に放出された魔力を吸い集め、回収する効果がその指輪にはある。“その場にいる”だけで私をサポートできるという訳だ」

「球拾い、ってわけですか?」

「的を射ているな。球拾い、補給、雑用――――ああ、言い忘れていた。その指輪には副産物として、お前の身体能力を少し底上げする効果もあるな」

「え……?」

「といっても、そう大したものではなく、無いよりマシな程度のな。ある程度の衝撃に耐え、逃げ回るのに不便でない程度に体力も底上げされ、多少走ったり跳んだりした程度では息切れしなくなる。だが巡礼者からの攻撃を食らえば当然死ぬから、逃げろ」


 つまりは、魔法少女と巡礼者の戦闘が始まった時には、その場にいろという事らしい。

 いるだけで役に立てる、というのなら楽だけど……当然その場には、敵がいる。

 そいつらに狙われた時に逃げ回れる程度には魔法の恩恵にあずかれるにしても……。


「……そういえば、お前。クラスはどこだ?」

「え……、二年三組です」

「ふん。隣の組なら多少便利だったものを……まぁ、いい。差し当たり、明日からはよろしく」


 ようやく俺は、喉の渇きを癒すために、クリームの融け崩れたグラスを取り、ストローを咥える。

 冷たくしゃりしゃりとしていながら、予想より重く甘いそれを半分ほどまで一息に吸い込むと、ようやくひと心地つけた気がした。

 露稀さんの次の言葉を待つ間、通りに面した窓から彼女と会った展望公園の方角を見れば――――そこで魔法少女の戦闘があった事など思えないほどに、静かな闇が広がっていた。


「……露稀さん、ひとつ訊いていいですか?」

「何だ?」


 ふと気になったのは……ここまでで露稀さんがしてくれた説明の中ではなくて。

 説明、そのものへの疑問だった。


「露稀さんは、ずっと契約者を持たず一人で戦ってきたって言いましたね」

「ああ。それが?」

「じゃあ、どうして……“契約者”の役目について、そんなに詳しいんですか?」


 まるで、過去にもいたような……詳しすぎる口ぶりだった。

 ずいぶんと親切で、馴染み深く、噛み砕いて分かりやすく説明してくれる事に俺は軽い違和感を覚えた。

 それを口にすると、露稀さんは一瞬、眉間をひくつかせ……唇が、わずかに歪んだ。


「……難しく考えるな。知識だけはあったという事だ。でなければ、契約者など求めようもないだろう?」

「はぁ……そういうものですか」


 そう言われてしまえば、もうそれ以上は追及できない。

 何となく感じたひりつくような気まずさを誤魔化そうと、俺は、グラスに残るそれを一気に喉に流し込む。

 噎せ返るような甘さは、正直俺は苦手だけど――――助けてもらったのみならず奢られた手前、おくびにもそれは出せない。


「この近辺にはもう一人、魔法少女がいる。知っているか?」

「え……と、確か魔法少女、“リュミエール・リーナ”……」


 露稀さんとは別にもう一人、この辺りを活動拠点とする魔法少女がいる。

 それが、魔法少女リュミエール・リーナだ。

 妖精の国のお姫様みたいな真っ白い魔法装束はどこかセラフィム・ハルナにも似ており、手にした武器の形は白亜はくあの長弓、必殺技は放った一矢に続いて、空中に残した光の軌跡を矢へと変えて集中砲火を放つ、“フレシェ・アン・エトワール”。


「ああ、そいつだ。あのわずらわしい空回りの白馬鹿しろばかと出くわす事もあろうが……まぁ、流されないようにしろ。あの手の奴はそう少なくないからな。お前はただ、私の従者として賢く生き延びていればそれでいいさ」


 諫めようとも思ったが、正直――――露稀さんのその評は、間違ってはいない。

 というのも、俺が言うのもどうかとは思うけど……リュミエール・リーナは、あまり強くない。

 いや、強くないというよりは詰めの甘さが散見され、常にだいたい紙一重で勝ってきているような印象があるのだ。

 戦い方も、空中を飛び回りながら光の矢をばら撒き、長々と泥仕合を演じるような傾向があるため……最終的に街並みは修復されるとはいえ、とにかく戦闘が長い。

 彼女自身も息切れを起こすため、とにかく、とにかく、とにかく…………テレビの中継映像で見ていてハラハラするにも程があった。

 勝てばいい、とはとても言えない。

 まさしく、変身時間も短く、一太刀でさっぱりと済ませて去る露稀さんのそれとはまるで正反対のスタイルだ。

 彼女を動画越しにでも見ていれば分かるが、リーナは本当に一生懸命に、戦ってはいる。

 だけど、本当に危なっかしくて……その天真爛漫でまっすぐなやり方のおかげでファンも多いが、とにかく、見ていて全く落ち着かない。


「実のところ、あの手合いは少なくない。魔法少女となった事の意味を深く考えもしない。……くどいようだが、巻き込まれるなよ。挨拶ぐらいは交わしてやればいいがな」

「は、はい……分かりました……あの、ところで……」

「今度は何だ?」

「露稀さんの……魔法少女としての名前は何ですか?」

「無い」

「え?」

「そんなモノはない。好きに呼ばせればいいし、好きに呼べ」

「そんなモノ、って……」


 取り付く島もない、とはこの事だ。

 技の名前はどうやら呟いていたけど……名乗る名前は無い、という。

 そして、互いのキャラメルフラペチーノが無くなって数分後。

 ようやく――――俺と、露稀さんは店を出て、別れた。





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