第四話 ~そして、少年は魔女の従僕として~


 大振りの刀を片手に立つ、魔女じみた漆黒の衣装を纏う戦闘直後の魔法少女へ向ける言葉としてはどうなのか――――と、我ながら思う。

 相変わらず表情がうかがえない黒曜の面からはみ出る口元は、不機嫌そうに歪みを見せるも――――数拍してから、白い歯が僅かに覗かせた。


「ふっ……何だ、お前は? よもやナンパのつもりか? この状況で? この――――私に?」

「い、いや……っそんなつもりじゃ!」

「じゃあ、どんなつもりなんだ? ……そもそも初めて会う仮面の女に向ける言葉か? くくっ……駄目だ、面白いなぁ……お前……!」


 よほどツボに入ってしまったのか……暗闇の中、彼女は身を揺すりながらしばし笑う、笑う。

 ひっ、ひひっ、と――――ひきつけを起こすように笑いは止まらず、こちらとしては立つ瀬がないまま、時が過ぎる。

 なんというか……少し、いや、とても意外だ。

 あの名乗りも上げずに一撃で斬り捨ててしまう、俺でさえも分かる正確にして冷徹な太刀筋を描き、全てを黒に染め上げた魔女じみた身なりにそぐわず……随分と、会話に付き合ってくれる事が。

 いや、そもそも笑いを漏らすような人にさえ見えなかったのに。

 まぁ、根本的に――――彼女が。“魔法少女”が果たして何者なのかさえも、分かってはいないのだが。


「…………ん。お前……その、制服は……」

「えっ……?」

「……なるほど。故か私に気付きかけたのか……? ならば、もうこのまま帰す訳にはいかないようだ」

「な、何……言って……」


 笑いはもう、既に消えていた。

 とたん、痛みさえ忘れさせるほどの背筋の悪寒が走り、縫い止められたように脚が動かせないまま力だけが抜け、口の中の水分が一瞬で乾くのが分かった。

 左手に下げられた大太刀が、ゆっくりと俺の前を通り過ぎ、その柄が右手へと引き寄せられていくのが見える。

 張り詰めていく空気が未だ納められたままの刀身に切り裂かれていくような感覚さえした。

 気付けば俺はまたしても膝をついて、ただ処されるのを待つだけの無様な姿で――――目の前にある、彼女の衣装の裾と黒のニーソックスに挟まれた白い太ももを見ても尚、まったく劣情さえ催さない。


 しかし、彼女の利き手を柄は素通りし――――鞘の根元へと持ち替え、空いた左手をゆっくりと持ち上げ、俺の目の前に手の甲を上にして差し伸べた。


「私と――――契約をしろ」


 まるで、膝をついた従者に誓いを立てさせるように眼前には、白い細指が妖しく振れて動く。

 思わず見上げたその顔は、やはり仮面のせいで何も見えない。

 怒っているのか、愉しんでいるのか、笑っているのか真顔なのか、それさえも。


「それ、は……どういう事、ですか……?」

「質問はできない。知りたい事があれば契約の後であれば答えてやる。さぁ――――私の手をとり、口を寄せろ」


 そんなのおかしいだろう、順序として。

 何を言っているのか分からないが……“契約”とやらを交わした後じゃないと契約書を読ませず、説明もしない、なんて……俺の知ってるだけの常識に照らし合わせたってダメだと分かる。

 なのに、そんな声を上げられるような状況でもない。刀を抜く事は無かったとはいえ、この場に充満する冷たい気配はまるで消えない。


「不服のようだな。まぁいい。メリットだけは教えてやろうか。もし、私が目的を達した暁には望みをなんでも一つだけ叶えてやる。たとえ、それが――――“私のカラダ”でもな」

「なっ……急に何言ってるんですか!?」

「何だ、イヤか? 拒否権を持たない哀れなお前に、私なりにせめて動機だけはくれてやろうかと思ったのだが」

「でなくてっ……契約って何なんだ!? 目的って……!」

「話を聞いていなかったのか? 質問は契約の後だ」

「っ……」

「……もう一度言う。私の手を取り、口を寄せろ。これが最後だ」


 ぴしゃり、と跳ねのける言い方はあくまで固く、にべもなく――――。

 もとよりない拒否権、人目すらない、先ほどの轟音と火の手を見て駆けつけるだろう警察も消防、救急も未だ訪れない。

 展望台公園から外れた、いや滑落していった場所と言ってもいいような木立の中では見つけられる事さえもない。

 見上げると、静まり返った木々の中、不思議なほどに広く空いた木々の間からまっすぐに満月を背負う彼女と、“眼”が合った。

 あくまで最後の選択だけは俺に委ねて。しかし、何がしかの確信があるか――――真っ直ぐに俺を見つめているのが分かった。

 同時に、彼女が背負う何かを感じる。

 口ではこう言い、態度もあくまでこの調子ながらも、どこか、哀しいような焦りとちぐはぐな威圧感だ。

 最後通牒のような事を言っていながらも、真摯な決断を迫るようにも聞こえているのも、またどこかちぐはぐで。


「――――っ」


 指先が触れた彼女の手は、ひんやりとして細く――――ああも長大な太刀を振るえたとは思えないしなやかな柔らかさだった。

 触れ、こちらへ引き寄せた瞬間に彼女の喉が震えるかすかな音が聴こえた。


「名前……訊いていなかったな」

「……けい水生屋みぶやけいです」

「そうか。……口づけの時は目を閉じろ、いいと言うまで開けるなよ」

「はい」


 口づけ、といっても手へと向けた、忠誠の儀礼の作法だ。

 しかし、それでも……彼女がそう言うのであれば、それに従う以外に道はなかった。


 やがて、彼女の手へ添えた俺の手を頼りに――――手の甲へゆっくりと、唇を沿わせる。

 薄い皮膚の下、浮き上がる血管の感触が唇の粘膜から伝わる。男のそれとはまるで違う、骨ばりの感じられない儚いまでの肌理きめ細かさがほんの一瞬の口づけから分かったほどだ。

 その時俺の左手薬指にびりっ、と刺激が走るのが分かる。

 熱いような、痺れるような、冷たいような、刺されたような――――痛みとまではいかないものの、何かが起きたと分かるだけのごく軽いそれだ。

 すぐに収まったものの、何がそこにあるのか、確かめる許しはまだ“彼女”からは下りていない。


「……いいぞ。目を開けろ。そして――――私を見るんだ」

「はい……」


 彼女の手を取っていた手を離し、言われた通りに目を開き、ゆっくりと視界を再び取り戻していく。

 瞬間、見えたのは彼女のコスチュームのドレスの裾ではなく。

 見慣れた、ごくごく見慣れた――――たった一目で気付けるほどに見慣れた色のプリーツスカート。


「……!?」


 ベージュ色の、品よくひだの揃ったスカートが俺の目線の高さにある。

 そこからスラリと伸びる脚は変身時とそう変わらない衣装のニーソックスに包まれ、眩しいまでの太ももを僅かに覗かせていた。


 目線を更に上げていくと――――またも。

 空色の指定ブラウス、校章入りのネクタイ、ベージュのブレザーの胸元に刺繍された校章。

 全て、全て見慣れに見慣れた、俺の通う学校のものに違いなかったのだ。


「夜見原、さん……?」


 そして、俺はこの人を見たことがあった。

 話しかけた事も無い。

 話しかけられた事も無い。

 いや、誰もがこの人の存在を知りながら誰も近づく事などできなかった、あまりに眩しい美貌と気品のせいで。


 真っ直ぐに腰まで伸びる、夜空を流し入れたような艶やかな黒髪は――――数秒前の彼女と同じ。

 見上げたその美貌は、挑むような切れ長の眼はまるで猛禽のように鋭い眼光を宿し、まばたきもせずに俺を見下ろす。

 日本人離れして整った鼻筋、への字に引き結んだままの唇から持てる印象は、数秒前までの仮面のそれとまるで変わらず、尖った切っ先のように鋭いものだ。


「名乗らせたのだから一応、自己紹介はしようか。……宵城よいしろ学園、二年七組。夜見原露稀よみはらつゆきだ。身長は百六十七センチ。体重など訊くな。……そして順番に述べれば88、57、86」

「な、何が……!?」

「知りたくは無かったか? まぁ、いい。ともかく、これが私の世を忍ぶ姿さ。……まぁ、何はともあれだ」


 にやりと不敵に笑う、嗜虐しぎゃくの微笑みとともに、言葉は続く。


「これで私とお前は運命を共にする訳だが――――まぁ、期待はしないが、よろしく頼もう」




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