第一話 ~世界が変わった日、それでも変わらなかった日々



*****


 物心ついた時には、まだ俺は“ヒーロー”が好きだった気がする。

 男の子らしさからはみ出さなかったし、それ相応にやんちゃな事もしていたし、外で遊ぶのも好きだった。

 ダイニングテーブルの上に登って必殺技の真似もした覚えがあるし、それでけがをした事もあれば、テーブルの上に乗った事で怒られた事もある。

 でもある時か――――早起きしすぎて、いつも毎週日曜朝に楽しみに観ていた特撮ヒーロー番組までかなり時間が空いてしまった事があった。

 放映時間まで遊んで時間を潰すと気を取られて見逃してしまいそうな危惧きぐが子供心にあったのか、仕方なく当時五、六歳だった俺はテレビをつけ、チャンネルを合わせて――――いつもの特撮ヒーローが画面に現れる時間まで、前番組から見て過ごそうとした日の事だ。


 その時、俺は初めて――――“仮面のヒーロー”の出番の三十分前に存在した世界を守るために戦っていた女の子たちの姿を見た。

 変身して戦うヒーローより更に若く……いや、それどころか当時の俺にさえ年齢が近いような年端もいかない女の子達が変身して、華やかでキラキラした衣装をまとって自らの十数倍の体躯を誇る怪物へ、キザったらしい敵役かたきやくへ、怯むことなく立ち向かう堂々たる姿を見てしまった。

 ともに手を取り合い、励まし合い、そして最後は必ず勝って――――弾けるような笑顔を浮かべてまた日々を“普通の女の子”として甘酸っぱいハツラツとした日常に戻るその姿が深く心に残ってやまなかった。

 その後にきちんと見たはずの“ヒーロー”の内容がさっぱり思い出せないまま、気付けば来週、その次の週も俺は三十分ほど早く起きて、彼女らの戦いを固唾かたずを飲んで見守り、ぽやぽやと心に湧くような微笑ましい憧れを抱いて、両親がなかなか起きてこない日曜日の朝を心待ちにするようになったのだ。


 いつも、いつも――――思い出すあの日曜の朝は、いつもぽかぽかと晴れていて、閉めたままのカーテン越しに明るい陽射しと陽気が届く気持ちのいい朝だった気がしてならない。

 雨の日も曇りの日も、なんなら雪の日だって当然あったろうに、当時の俺にとってはいつも日曜の朝は、彼女らに会える最高の朝だったから。

 たまに父さんが早く起き出してリビングを覗いてくる事もあったけど、その時もまぁ、何ともいじらしく――――いかにも、さも“早く目が覚めてしまったから仕方なく観ているんだぜ”のような空気を出していたのも当然覚えている訳だ。


 風のように現れる颯爽さっそうたる仮面の戦士の力強い英姿ではなく、どこにでもいる普通の女の子が絢爛たるコスチュームに身を包んで戦い、またいつものわちゃわちゃとした日常へと戻る、その時間の方がいつか楽しみになってしまった。


 それが、俺――――十年過ぎて現在は十六歳、高校二年生になった俺、水生屋みぶやけいの、“魔法少女”との出会いだった。


 週初めの朝の憂鬱さはいつも誰しもに平等に襲ってくるものだから、気をまぎらわそうと取り留めもなくそんな事を考える。

 また、五日間も頑張らなきゃならないなんて考える事もイヤだ。

 まして今日は一限目から体育、それもマラソン大会に向けての練習で長距離、学校周辺を走る事になるとなれば――――もう処刑台へ登っているのと変わりない。

 朝入ったシャワーが登校から一時間足らずでもう徒労になる事を思えば、既に徒労感が押し寄せてきているのだからどうしようもない。

 夏休みも終わってそこそこ日が経つのに、それでもまだ体が登校慣れしていないのもあってか、週末を挟んだ月曜は辛いものだ。

 バスに揺られて、外の風景を何とはなしに眺めてみれば――――空の色も、あの夏の盛りとはとっくに違う。

 容赦なく照り付ける、まさしく刺すような日差しはなりを潜めて、優しい輝きをアスファルトへ高くより落とす。

 体はまだ夏休みを覚えているのに、空はもうとっくに秋のようで、遠く山を見遣れば気の早い紅葉が映って見える気がした。


 その寂しさとは別として、俺が朝にどうしてもノれない理由はまだある。

 別に、イジめられていて学校に行きたくない訳じゃない。そこまでいかずともクラスに馴染めてない訳でもない。体育のマラソンは確かにイヤだが、それだけで腐るほどでもない。

 心の中で独白する事さえも恥ずかしい理由が、まだあるのだ。


「次は宵城よいしろ学園前。宵城学園前――――お忘れ物ございませんよう――――」


 いつもの学校最寄りのバス亭に至る聞き慣れたアナウンスを聞き、パスケース代わりにしている生徒手帳をポケットから探して気持ち程度座席から尻を浮かせる。

 やがて街並みの切れ間に一瞬だけ浮かんだ“現実”を見ると、頭の中で何かがそれでも切り替わるのが分かる。

 今から俺は、今日もまた学校生活を始める。

 何も起こりはしない。

 何が起こっていても俺にはきっと関係ないまま、過ぎていく――――いつまでも置いてけぼりのような、いつも通りの朝を。


 俺は、水生屋蛍。

 どこにでもいるような、いてもいなくても何も変わらないような高二の男。

 得意な事は特になく、体育と数学はそこそこに苦手で、部活も委員もやってはいない。

 成績は中の下、中の中を行ったり来たりでこれも平凡だし時によっては下の上。

 無論彼女なんていないし、親友と呼べるほどの存在もいない。特に趣味もなければ、将来やりたいような地に足をつけた“何か”も見つけていない。

 ルックスも別に優れてないが、救いと言えば太ってはいないし極端に痩せてもいないという事ぐらいか。

 並べれば並べるほど、どこまでも没個性で……どうにかひねり出してようやくこれという自己紹介に更に滅入ってくる。


 ともあれ、俺はそんな男だ。

 バスから降りて中学の頃から使っているくたびれたリュックを背負い直し、気の早い落ち葉を踏みしめて先ほど見えた街の切れ間にそびえた学校を目指すうちにどうにか気も紛れてくる。


「……“魔法”なんて、あっても関係なかったんだよな」


 何度目になるか分からない、俺の呟きはバスの発車音に掻き消される。

 いっそ無ければよかったのに、残酷な事に――――それは、あったのだ。


 この世界に、本当に“魔法”は存在した。

 それも人知れずなどというものではなく、テレビのニュースにも映り動画サイトにも並び、大真面目に世界各国の研究機関が推論を重ね、時には世界に大きな爪痕を残す事もあるほどにハッキリと厳然と動かぬ証拠をいくつも突きつけ続けて昨日もまたお茶の間に流れた。


 いつかの日曜日のせっかちな朝に出会った、謎の敵から世界を守る華麗で素敵で時にはパンクなヒロイン達が。

 “魔法少女”が――――この世界には、本当に存在していたのだから。



*****


 五年前の晩冬、日本の中部地方に初めてそれはやって来た。

 夜空を赤く染めながら墜ちてきた光条は、隕石なんかじゃない。

 動画サイトに上がった映像は瞬く間に百万再生を超え、ケタを増やし続けて再生回数はもはや天文学的なものになった。

 それに映っていたのは燃える街をのたうち進む、ごく原始的な甲殻生物によく似た、しかしその体長は百メーターを超える異形の来訪者。

 そして――――破壊者に他ならない。


 五年前に現れたそれは、人類史上初の“地球の敵”。


 更に動画に映っていたのは、破壊、赤く燃える街の光景、阿鼻叫喚に上がる悲鳴と黒煙。

 世界の終わりの光景を映し出す中、逃げ惑う人々は……その後に現れたものを見て、再び、惑う。


 突如として現れた、地球外からの無作法な来訪者を迎え撃つ……年端もいかない少女の姿に。

 突き出されるあしの刃をかわし、燃える街の空を自在に羽ばたき、手にした杖から放つ光の魔法に。


 彼女の名は、“始まりの魔法少女”――――セラフィム・ハルナ。

 始まりの魔法少女、初めて“地球を守るために戦った女の子”。

 はっきりと顔も何もかも映っているのに、それでも全世界の誰も、彼女の正体を知る事ができなかったのだ。


 セラフィム・ハルナは、とても綺麗だった。

 年齢は当時の俺と同じぐらい、もしかすると小学生だったのかもしれないと思う。

 雪原のように白いドレスの裾はクリスタルのように透き通り、まるで重力など存在しないように燃え盛る空の上を舞うように飛び、その背に生じた六枚の翡翠の翼からは立て続けに無数の光弾を放ち、百合の花を輝く銀細工に覆い隠したかのような杖から放つ光の奔流は、怪生物を跡形も無く消滅させてしまい――――世界に訪れた最初の“敵”は、こうして打ち倒された。


 更には英国、スペイン、中国と立て続けに同様の事象が発生し、街を焼いた。

 その度に呼応するように次々と現れる、星の破壊者を迎え撃つ少女の姿も、また。

 どれも彼女らの姿を映した映像も静止画もあるのに……彼女らの正体には、誰も行き着く事ができない。

 彼女らの顔も映っているのに、それなのに、この世界の誰も彼女らを知らないのだ。

 彼女らもまた、この星の存在ではないのではないかという噂すら立てられたほど。何も情報が得られなかったからだ。


 だが――――“敵”の正体だけは、分かった。

 国際宇宙ステーションの捉えた映像には、衛星軌道上に浮かぶ不定形のアメーバのような存在が映し出されていた。

 奇妙に透けて光輝き、その体を構成する組成が何なのかであるかもわからず、物質なのか霊体なのかも分からない、地球を眺める奇怪な存在。

 それはやがて、姿をぐにぐにと変えるや大気圏へ突入して、地中海へ姿を現し――――現れた怪物は再び魔法少女に倒される。その一連の流れが、観測されたからだ。

 この映像により、世界は正式に彼らを「地球外の存在である」と認めた。

 しかし依然として、どこから現れたのかは分かっても、いつ、どこへ現れるかは分からない。

 そもそも彼らが一体何者なのかも問えず、意思の疎通すら図れないのだ。


 世界の総力を結集して観測を重ね、数度の邂逅を経て分かった事といえば衛星軌道上に突如現れ、その身を変形させながら実体化するとともに地上へ降り立つ事。

 その姿は多くの場合、地球生物の姿を模倣している事だ。


 環形生物、甲殻類、虫、原始的単細胞生物、これまでに現れたもので最も知能が高い生き物のパターンでさえ――――せいぜいが、爬虫類。

 哺乳動物や鳥類を模したケースは一度としてない。

 そして多くの場合、その姿はひどくイビツなものになる。


 まるで、そう、まるで――――初めてその生き物を見た人間の子どもが、興奮冷めやらぬままマネをして作った粘土細工の作品のように。


 世界は、この異形の来訪者。

 地球を眺め、ふらり舞い降りては災厄を成す星界の存在に、名をつけた。


 “星の巡礼者”と。





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