第26話 タイミング

 母親と双子の姉妹は薄暗い森の中を歩いていた。日も沈み、陰湿な森は不気味なまでに静かである。気温も徐々に下がり始め、歩き続ける三人の体力を奪っていく。


「お母さん、お腹空いたー」

「タータもお腹空いたー」

「二人とも我慢してね。お父さんが来たら一緒に何か食べましょう」


 軽く纏められた荷物には三人を満足させる程の食材は無かった。果物が数個あるが今すぐ食べては先が持たない可能性がある。


 歩くこと数時間。次第に夜は更け、ポツリ、ポツリと木々の間から容赦ない追い打ちが家族三人を嘲笑う。次第に雨は強くなり、前が見えないほどの土砂降りとなる。


「お母さん、タータ疲れたよー」

「疲れたね、寒いね。二人ともごめんね。少しの辛抱だから我慢してね」


 母親の「ごめんね」、全てが詰まっているその言葉。双子は理解出来る筈もない。雨とも涙とも知れず、「ごめんね」は母親の頬を流れた。


 双子は既に疲れ切り言葉を発する元気は無い。数分毎に躓き、足を滑らせ転びかける。なんとか母親に手を引かれているが、態勢を保つことが精一杯である。

 母親の体力もかなり消耗してきており限界に近い。雨が降り止む気配も無く、冷えた身体、思考力も低下する。


 母親がふと前を見ると、五メートル程の幅がある川が一本。勿論獣道を歩いてきた為、橋がある訳が無く三人の行く手を阻む。雨で増水した川の勢いは凄まじく、大の大人でも流される可能性があった。立往生を余儀なくされた三人は濁流の前に身体の力が抜けていく。


「グルルルル」


 歩いてきた方向から四足歩行の魔獣が目を光らせていた。魔獣は声を潜め後を付けていたのである。弱り切った三人を捕食する為に。


 タイミングとはこういうものである。悪い事が重なると人はタイミングが悪いと言う。それは運命ではないのか、決められた事象が起こる運命を人はタイミングというのか。


 母親は考えた、考えに考えた。このままでは三人とも襲われ死に至る。ゴクリと唾を飲み、小さく息を吸い込む母親。


「タータ! 投げるよ! 飛びなさい!」

「え?」


 火事場のなんとかである。母親は精一杯の力でタータを掴み対岸へ放り投げる。咄嗟の出来事にタータは受け身がとれず、全身を強く打ってしまう。


「レヴィン! あなたも飛ぶのよ!」


 レヴィンの身体も掴み上げ放り投げようとした。しかし魔獣が既に迫ってきており母親に襲い掛かる。母親は態勢を崩し、レヴィンは対岸へ届くこと無く川へ。


「あぶぁ、お母――さ――っ!」

「お姉ちゃんっ!!」

「タータ! 逃げて! あなただけでも逃げてー!!」


 母親は噛みついた魔獣を振りほどく際に足を滑らせ、魔獣ごと川へ転落してしまう。


「お母さん!! お姉ちゃーん!!」


 濁流にのまれた母親とレヴィンは、魔獣の咆哮と共に下流へ消えていった。


 母親が居た場所には血溜まりが、しかしそれもすぐに流れて消えるだろう。土砂降りの雨音が突然の出来事を無かったかの様に掻き消す。へたり込むタータはただ呆然と雨に打たれた。



――――



 どの位時間が経ったであろうか。既に雨は止み、木々から孤独が滴る。濁った川の流れを呆然と見つめていたタータは、耳に残る母親とレヴィン、魔獣の咆哮を何度も何度も聞いていた。


「あらぁ、こんな所にご馳走だなんて。今日はツいてるわぁ」


 気付けば紫色のドラゴンがタータの後ろに居た。比べるまでも無くその大きな身体は一件の平屋程である。並みの動物であれば太刀打ちできるレベルでは無い。

 しかし今のタータには恐怖心よりも疲れからくる倦怠感や孤独感、今からドラゴンに食べられるなどと考えるに至る事は無かった。


「お母……さん」

「あらぁ、お母さんだなんてイヤだわぁ。アタシまだそんな歳じゃないわよ! ムカつくわね!」


 ドラゴンは口を開け毒霧混じりの息を漏らす。鋭く光らせた爪を幼いタータの身体に突き立てた。


「あなた、今から死ぬのよ。アタシに美味しく食べられてチョーダイ」

「タータもお腹空いた……」

「ッッッ!?」


 タータは突き立てられた爪を小さな手で掴み、かじり付いた。


「あなた……」

「固い!」


 一生懸命に爪をかじり、食べようとするタータを見つめるドラゴン。食べられる訳が無いのに何故かじるのか。状況を全く理解できない歳でも無い筈である。


 タータは一連の出来事の所為で恐怖心の感情が欠落してしまっていた。ドラゴンは対岸に無造作に転がっていた麻袋の中から、果物を取り出しタータへ差し出す。


「これなら食べられるんじゃないかしら」

(アタシ、何してるのヨ)

「ありがとう! 食べ物くれる人はみんないい人ってお母さんが言ってた!」

「アハハハ! 人じゃないわよお嬢ちゃん、ドラゴンよ」

「どら……?」


 タータは急に笑顔になり、ドラゴンに抱き付いた。


「ドラドラー!」

「ドラド、んん?」

「ドラドラー!」

「あー、そうよアタシはドラドラ。今からあなたを食べるのよ」

「やだー」

「じゃあ、アタシのお腹はどうやったら満たされるのかしら?」

「タータにくれたこれ! 半分あげる!」


 既に半分までかじられた果物をドラドラに差し出すタータ。巨体のドラドラからしてみればこんな小さな果物一つで満たされる訳が無い。更に言うと肉食である。ドラドラは笑いに笑った。


「アハ! アハハハハ! あなた面白いわね、気に入ったわ! アタシの食べ物を一緒に探してくれないかしら?」

「うん! いいよ! お母さんがね、食べ物くれた人には優しくしなさいって言ってた!」

「だから人じゃないって言ってるじゃないのよ! ドラゴンよ!」

「ドラドラー」

「あーはいはい、ドラドラですぅ」


 人生とは良くも悪くもタイミングである。こうしてタータとドラドラは十数年の時を過ごす事になるのであった。

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