6.多数決


「…………朝か」


 カーテンの隙間から射した朝日の気配に、ぼんやりと目を開ける。

 まだ少し寝ていたい気もしたがその欲求は我慢して、俺はずるずるとベッドから這い出た。


 食事のあと案内されたのは、王様が寝所と呼んでいたのに相応しく姿見や椅子が置かれただけの非常に簡素な一室だった。

 でもベッドに関しては今まで味わったことのないほどふかふかで、肌触りが良かった。


 寝転がって今後のことを考えようと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまったらしい。いろんな出来事が一度に起きすぎて、疲労が限界に達していたのもあるだろうが。


 顔を洗って身支度を整える。といっても用意されていたシャツから制服に着替えただけだけど。


 五分足らずで準備を終えると俺は部屋を出た。廊下をまっすぐ突き進み、らせん状の階段を迷わず下りていく。

 明日の朝は朝食もご用意しております、と部屋まで送ってくれたメイドさんが言っていたので、まずは食堂に行ってみようと思っていた。昨夜食事をしたのもあり、道順は問題なく記憶している。


 客室のある棟は三階建てで、その二階と三階部分はすべて客室のみという徹底ぶりである。俺は三階から一階までを一気に下りたが、意外にも誰ともすれ違うことはなかった。


 食堂は一階の突き当たりにある。入口から中を覗くと、いくつかの目線を浴びた。

 が、思っていたより生徒の数が少ない。


「……?」


 まだ起きていないのか。それとももう出立している生徒がいるのだろうか?


 しかしそれを質問できる相手がいない。まったく自慢にならないが、俺がこのクラスでふつうに話せる相手など、家族のユキノ以外にはほとんど居ないのだ。

 そういえば、あの後ユキノには結局会っていない。食堂にも来ていないようだ。いつも俺より朝が早いので、まだ寝ているということはなさそうだけど……。


 まぁ、いつまでも入り口に突っ立っているわけにもいかないか。俺は静かに食堂に入った。

 軽く教室二つほど入りそうなこの大きな部屋には、一つで二十人は座れる長机が向かい合うような形で二つ置かれている。食堂というよりは会議室っぽい印象だった。


 俺はその窓際後ろに当たる席に座った。三年二組でも窓際後ろの席だったからだ。机の形も席の配置も何もかも異なるが、何となく一番座りやすい気がした(ちなみに夕食時も同じ席に座った)。


 見回せば、周りの生徒も何となく、教室での自分の席順に近い椅子を選んでいる。これでは俺も出席番号を持ち出したマエノのことを悪く言えないだろう。


 席についた直後、給仕係の女性が近づいてきて、てきぱきと朝食の準備を進めてくれた。


 サンドイッチに生野菜のサラダ。それに紅茶だろうか。異世界というのでどんな食事が出るんだろうと不安だったが、昨夜に続きほぼ洋食に近いテイストのようだ。味はいうまでもなかったので、今日は特に心配もしていない。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、女性はにこりと微笑を浮かべた。

 淹れてもらった紅茶はほのかに甘い香りがする。温かいカップを手にすると、それだけで少し心が安らいだ。


 ――その後、のんびりと朝食を食べ進めて。

 さて、これからどうしたもんかと卵サンドをもぐもぐと食べていると、部屋の外から数人のばたばたとした足音が近づいてきた。何人かが入り口の方を振り向く。


「イシジマたちはどこだ!」


 入ってきて早々、怒声に近い大声で言い放ったのはマエノだった。

 イシジマたち、というのはほぼ間違いなく、普段つるんでいるイシジマ・カワムラ・ハラのことを指しているのだろう。


 でも、そもそもこの場には半数近い生徒が居ないけど。

 俺はそう思ったが、向かいの長机の真ん中あたりに座った丹生田大志ニュウダタイシという眼鏡の男子がマエノに応じた。


「あの後もイシジマたちは来てないよ」

「ックソ、あいつら勝手に……」


 そのやりとりで遅れて気がつく。

 おそらくマエノたちはもっと早くこの食堂に来て、食事も済ませていた。

 それで、クラスでも不良で通るイシジマたちの姿が一向に見えないものだから、数人で捜索していた……とか?


「ずいぶん落ち着いてるな、ナルミ」


 マエノは奥の長机に座る俺の傍までやって来ると、憮然とした面持ちで言い放った。

 友好的とは言いがたいきつい口調で話しかけられ、俺は最後の一欠片を頬張りながら、どう応じたものか迷う。

 つい最近も金髪黒ジャージの女神さまに同じような言葉を投げかけられた覚えがあるが、返答はほとんどそのときと同じようなものになった。


「いや、落ち着いてるというわけじゃ」

「ナルミさんもいないんだぞ」


 そもそもマエノは俺の返事を聞くつもりもなかったらしい。

 俺の声を遮ってそう言うと、後ろを振り返り、一緒に捜索に励んでいたらしいクラスメイトと話し始めてしまった。

 そのときには俺の意識も、やはりマエノからは遠ざかっていた。

 ……ナルミさん。マエノがそう呼ぶのは俺じゃなく、妹のユキノだ。


 ユキノがいない? イシジマたちもいないのに?

 ユキノが……


「みんな、聞いてくれ」


 席を立とうとした、そのタイミングを見計らったように。


 マエノが声を上げる。俺は反射的に一瞬動きを止めたのを、一秒後には後悔した。

 食堂の出入り口は一つだけだが、そこを封鎖するようにマエノのグループの女子たちが突っ立っていたからだ。


「イシジマとカワムラとハラ……それにナルミさんが居ない。食堂にも部屋にも、探したけどどこにも居ないんだ。もしかしたらあの四人、もうここを出たのかもしれない」


 切迫した口調で言うマエノに、横に並び立つ高山瑶太タカヤマヨウタを筆頭として何人かが頷いている。


「それで、だ。多数決をとりたい。四人を追いかけるべきか、俺たちは俺たちで出発の準備を進めるか」


 何を悠長なことを言ってるんだ。

 イシジマたちの危険性はマエノだって理解しているはずだ。あいつらは人を傷つけることに躊躇がない。それどころか、誰かが傷つくのを見て喜んで、ますます傷をえぐって嘲笑うような、そんな連中なのだ。


 そして、この多数決とは名ばかりの投票の結果がどうなるかなんて、それこそ、火を見るより明らかだった。


「じゃあ、一人ずつどちらかに手を挙げてくれ。まずはイシジマたちを追いかけるほう」


 俺は力なく俯いたまま手を挙げた。

 数秒の沈黙が流れる。マエノは何事もなかったように続ける。


「次に、出発の準備を進めるほう」


 俺は数秒後、のろのろと顔を上げた。

 食堂から会議室に早変わりした室内で、八割ほどの手が挙がっていた。戸惑いからか手を挙げていない生徒も居たが、マエノは無効票は無視する方針のようだった。


「みんなの気持ちはわかった。では全員が食事を終えてからでいいが、出発の準備を進めていこう。まずは一人ずつリブカードの確認から――」


 俺は立ち上がった。

 マエノに向かって集まっていた注目が、一斉に俺に向かってくる。

 冷ややかな眼差し。嘲りを滲ませた目線。クラスの異分子を見やる目。


 マエノも俺を見ていた。どこか呆れを含んだような、溜息を吐きたそうな顔をしている。


「勝手な行動は……と言いたいところだが、お前にはそうしてもらう方が助かるかもな」

「そうか」


 別にマエノを責めるつもりはない。むしろこれで行動を制限されでもしたらたまったもんじゃなかったのだ。

 俺は入り口脇にどいた女子たちの間を通って食堂を出た。一瞬、その中の一人のホガミと目が合ったような気もしたが、今はどうでもいい。一刻も早くここを出たい。


 荷物もないので部屋に戻る必要がないのはある意味幸運か。

 俺はそのまま廊下を早足で駆け抜け、玄関先まで歩いて行った。


「お、シュウ。おまえも出発か、早いな」


 玄関のすぐ隣。

 そこに立っていたのはレツさん、それに昨日リブカードを運んでいたメイドの二人だった。

 見知った顔に気軽に声を掛けられたからか、逸っていた鼓動が少しだけ収まる。


 ――そうだ、変に焦ったからといってユキノが簡単に見つかるわけじゃない。


「レツさんたちも、おはようございます」

「「おはようございます」」


 メイドさんたちも柔らかな挨拶を返してくれる。俺はレツさんに訊いてみることにした。


「あの、朝からレツさんはここに居ましたか?」

「まあな。一応勇者候補諸君のお目付役みたいなのを任されててな。面倒だけど」


 レツさんはカラカラと笑う。面倒と言いつつそれなりに楽しそうだ。


「今の時点で、何人ここを通ったかって分かります?」

「ああ、勿論。援助金を受け取って出立したのは三人だ。昨日のあのゴリラみたいなヤツと、取り巻きみたいなゴリラツー。それに背ばっか長いひょろっちいヤツ。あと大層べっぴんの嬢ちゃんが一人」


 前半はイシジマ・カワモト・ハラのことだろう。

 それにやはりユキノも一緒だったらしい。ここまではマエノの予想していた通りだ。


 俺がのうのうと過ごしている間に、ユキノは連れて行かれてしまった。後悔とも自分への憤怒ともいえない苦々しい感情が込み上げる。

 思わず黙り込む俺の前で、レツさんは上機嫌そうに続ける。


「実はオレ、すれ違いざまにその嬢ちゃんからこっそり手紙もらってな。いやあ、モテる男は辛いぜ」

「! それ見せてもらえませんか」

「え、何で? いいけど」


 レツさんは首を傾げたが、存外あっさりそのメモを渡してくれた。

 紙の端を千切って走り書きしたようなメモだ。俺はその文面を食い入るように見つめる。


 肝心の内容は、


『219』


 とだけ書かれていた。

 それを目にした瞬間、逸っていた心臓の鼓動が急速に落ち着いていく。

 脳裏にユキノの笑顔が浮かぶ。いつも俺を信じてくれる、たった一人の妹の姿が。


「……ありがとうございます。お返しします」

「もういいのか」

「はい。援助金だけいただいてもいいですか?」

「勿論それは構わねえが……お前さん、まさか一人で行く気か?」


 レツさんは眉を顰めている。何せ俺の前に旅立ったのが俺を踏んで嗤っていた三人組だ。正義感の強いレツさんのことだから、察しているものがあったのかも知れない。

 でも、俺はこう答えた。


「いえ、


 この状況で、こんなに自信に満ちた声が出たのが、何か自分でも不思議だった。

 メイドさんたちはといえば後ろでぽかんと呆けている。そりゃあ、ぼっちで玄関まで来た子どもが「二人です!」なんて言ったら、その反応が当然なんだろう。


 だけどレツさんは一拍開けて、「ハハッ」と気持ちよく笑ってくれた。それから後ろの麻袋を漁ると、中から巾着袋を取り出す。


「ならいいや。ほれ持ってけ、オレからの餞別だ」

「レツ様」


 隣のメイドさんが咎めるようにレツさんを呼んだ。王からの援助を揶揄するような物言いに怒ったのかもしれない。

 「悪い悪い」と大して悪びれた様子もなく、レツさんが朗らかに笑う。預けられた巾着は予想以上にどっしりとしていて重かった。早めに荷物入れでも仕入れたほうが良さそうだ。


「シュウ、死ぬなよ」

「はい、死にません」


 それが最後に交わした挨拶の言葉だった。



     +     +     +



 外に出て、まずやったのは深呼吸だった。

 数時間ぶりに味わう、外の空気を肺いっぱいに取り込む。ここは空気が瑞々しくて新鮮だ。気持ちが静まる。


「ここ、城だったんだ」


 今更、そんな独り言が出る。


 見上げた先に聳え立つ煉瓦色の建築物は、いくつもの塔を繋いで、横に横に面積が大きく広げられている。

 昨夜は遅い時間で、明かりも少なかったので、だとは全く気づいていなかったのだ。

 出てきた塔の隣には、昨夜目を覚ました聖堂――というより、祭壇がなかったことからも礼拝堂と呼ぶべき場所だろうか。その礼拝堂のある塔があり、そういった居住空間や礼拝空間を守るようにして、それ以上に縦に長い塔が四方に立っている。


 そして恐らく真ん中の最も大きな円形の塔が、ラングリュート王たちが住まう場所なのだろう。

 その塔の正門前には庭園が広がっていて、そこから一直線に伸びる道は随分と小さく見える城下街へと繋がっているようだ。

 構造はシンプルではあるが、城への侵入経路がこの一本に限られているので、攻めにくく、守りやすい地形と言えるかもしれない。


 そう、何故なら、この城を囲んでいるのは――


「……すごい……」


 手でひさしを作り、ゆっくりと目を細める。

 俺は感嘆の吐息と共に、思わずそう呟いた。

 このままこの場所で、永遠の時間を過ごすことさえ苦ではない。

 そんなことを考えてしまうほどの壮麗な光景が、視界を埋め尽くすほどに広がっているからだ。


 ――でも。

 この景色は、できることなら二人で。


 だから今は見惚れている時間はない。

 俺は城に背を向けると、一直線に伸びた並木道を歩き出した。



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