5.赤毛の騎士
「それにノリの良さも抜群ですごいよ」
と少ない語彙で続けて褒めたら、頬を膨らませたユキノにぽかぽかされてしまった。女の子ってよくわからない。
「では勇者候補たちよ。この後は隣の塔にて食事の準備をしているので、楽しんでいただきたい」
三十人全員にリブカードを配り終えた後、ラングリュート王はそう言った。歓声が上がったのは言うまでもない。
「今夜は寝室にて各位休息を取っていただければと思う。また、冒険者一人につき、援助金として五万ロールを用意している。明日の朝はこれを受け取り旅立ちを」
そして王様は配下の騎士に扉を開けさせると、再び臣下たちと共に聖堂を去って行った。
窓のない部屋なので時間感覚が全くなかったが、改めて扉の外を眺めると、もう夜といって差し支えない時間帯だったようだ。
「五万ロールってどこの通貨? 結局何円?」
「諭吉五枚じゃね」
「一ヶ月の小遣いより少ないじゃん」
「もうすぐ渋沢になるんだっけ」
他愛ないことをしゃべりながらクラスメイトたちはぞろぞろと出て行く。
単純な集団心理の働きだ。王様が扉から出たので、それに続いて歩く。たぶんそれ以上のことを考えている人間はほとんど居ない。
「それと、リブカードにリミテッドスキルの所有が示されていた者には別室で食事を用意している。私についてくるように」
しかしその一言に場の流れが少し乱れた。
あのちょび髭小太りの男だった。扉から顔を覗かせ言ったかと思えば、鼻を鳴らして王たちとは別方向に歩き出す。
集団を先導していたマエノがそこから外れて、「オレに続いてきてくれ!」と手を挙げる。マエノもそのスキルを保有していたらしい。
何となく、マエノを見る目線には羨望や憧憬、それに――何か別の感情が見え隠れしていた気がする。
しかし俺にはその正体を用心深く確認する時間がなかった。
「ユキノ?」
呼びかけると、長い黒髪が闇の中に揺れる。
天井に浮かんでいた光の玉は既に消失している。蝋燭の炎も消されているから、扉の外から射すわずかな月光と外灯の明かりだけが頼りの空間では、ユキノの姿は消え入りそうに小さく、か細く見えた。
「ユキノも、リミテッドスキルってやつカードに書いてあったよな?」
「……はい」
頷くも、ユキノはその場を動こうとしない。
俺にはその理由がわからない。わからなかったが――もしや、と思い当たる節はあった。ユキノは、俺に遠慮をしているのではないか。
「その……私、兄さんにお話しておきたいことがあって」
「話は食事の後か、もしくは明日の朝にでも聞くから」
「!」
俺は厳しい口調でそう諭した。ユキノも鋭敏に感じ取ったのだろう。
「……行って参ります」
リミテッドスキルを持っていたのはクラスでも五人くらいの人数だったようだ。
マエノやホガミの後に続いて歩きながら、ユキノはもう一度俺を振り返った。
俺はそんなユキノを無言で見送る。
相手の意思を圧するような物言いをするのは正直、好きじゃない。それどころか嫌悪しているけど。
でもそうしないとユキノは梃子でも動かなかっただろう。そういう優しい子だから――
「!」
勢いよく背中を突き飛ばされた。
気の抜けていたところに強襲されて対応できるほど、そのときの俺は冷静じゃなかった。
そのまま前のめりに転ぶ。何とか受け身は取ったが、立ち上がる前に背中を踏みつけられる。
「ッ!」
ぐ、と息が詰まる。
何とか首を動かして振り向くと、予想通り――そこに立っていたのはイシジマたちだった。
にやにやと、嫌な笑みを浮かべながら転んだ俺を見下ろしている。イシジマとカワムラ、それにハラはわざわざお互いの顔を見合わせてから、顔を歪めて鼻をつまむ仕草をした。
「おい、くっせえ奴隷臭がしねえか?」
「おかしいよな、ここには勇者になるべくして集められた冒険者たちしか居ないはずなのに」
シュウだから、ドレイシュウ。
単純な蔑みだ。でも俺はイシジマたちにそう言われるのが嫌だった。そう伝えてから、ますます暴力が悪化したのは言うまでもない。
「ぐっ……!」
「ッハハ! 臭う臭う!」
イシジマは俺の背中に乗せた片足に全体重をかけると、もう片足で俺の頭を踏んだ。
たとえば、積木を積み上げている子がいたら、蹴倒して踏みつけるのと同じ。
たとえば、砂山で城を作っている子がいたら、蹴倒して踏みつけるのと同じ。
征服したという証に両足で踏みつけて蹂躙する。ぺちゃんこに踏み荒らす。体躯の大きさという利点を最も陰湿な形で使いこなすイシジマアツヒコは、だからしょっちゅう体格に恵まれない相手を踏み潰して楽しむ。
そうされる間、俺はとにかく腕を顔の下に入れて身体を丸くして耐える。そうしないと鼻を折ったり口の中を切ったりすると身を以て知っているからだ。
「これくらい踏んだらちょっとはマシになんじゃねーの?」
「イシさんの足くせーから、よりヤバいことになったんじゃね」
「はぁ? 言うようになったなタカ」
頭上でゲラゲラと笑い声が響く。その間も暴力の嵐は止まない。
……ああ、そうだ。
誰も助けてはくれない。異世界に来たって、同じことだ。
そんなことはわかる。わかりきっている。人間関係は持ち越しされる。リセットされない。
わかっていたのに、でも、どうしても……
「おい、そこで何してる」
「! やべっ」
扉付近から何者かの声がした。
反射的にイシジマたちは逃げる体勢に入ったが、逃げ出す前にここが日本ではないと思い出したらしい。
「何だよ、騎士サマ。何か文句あんのか?」
月光を背中に受け立っていたのは、燃え立つような赤毛の騎士だった。
彼が一歩を踏み出すと、引き締まった肉体をより引き立てる無骨な鎧が、ガチン、と重い音を鳴らす。
レツさんはちらと俺を見遣り、それから細めた瞳でイシジマを見た。
「……いや、文句はないぜ。弱い者は虐げられる、それは古からの摂理だ」
「は、はは。そうだよなぁ?」
カワムラが安堵と緊張が混じったような不可思議な笑みを浮かべる。
「……だが、矛を持たない弱き者を護るのが騎士の務めでもある」
その一言が鼓膜を揺らした直後だった。
レツさんが腰の剣を引き抜き、構えていた。しかし早すぎて抜刀は俺の目では追えなかった。
それは周りの三人も同様だったのだろう。ハラが悲鳴を上げ、カワムラが「どえっ」と変な声を上げる。三人は俺の身体を盾にするように大慌てで後ろに下がった。
さすがに焦った顔でイシジマが叫ぶ。
「お、おおおまえわかってんのかっ!? オレたちは勇者候補だぞ! オレたちに万が一のことがあったら、おまえ左遷とか、そういうことになんだろがよ!!」
「残念だが、ならないな。王のお言葉を忘れたか?」
正しくは、魔物に成り果てた場合は……という前提だったが、レツさんはわざとそこを省略したようだ。
しかし効果は覿面だった。イシジマたちは俺の身体を大理石の床にたたきつけるように転がした。
「うぐッ」
レツさんが俺に気を取られて一瞬動きを止める。その隙に三人は素早く聖堂を出て行った。
「逃げ足だけは速いな……」
あっという間にイシジマたちの背中が夜闇に紛れて見えなくなる。
レツさんは呆れたように吐息すると、剣を鞘に収める。そして何とか起き上がった俺の前で腰を屈めた。
「大丈夫か?」
「……平気、です」
差し出された手を、取らずに立ち上がる。
やられっぱなしの自分が情けなかった。弱いと言い切られたのも。
その通りに違いないのに、認め直すのが憂鬱だった。自分でも往生際が悪いなと思うけど。
「助けてくださって、ありがとうございます。……痛ッ」
何とか真っ直ぐ立ち上がれたので、頭を下げる。が、その拍子に額のあたりがピキリと痛んだ。
触れて確かめると、額から鼻筋にかけてを血液がだらだら伝っていた。どうやらイシジマに踏まれたときに出血していたらしい。
「うわわっ」
床にぱたたと血が垂れたので、慌てて制服の裾で額と床とを拭う。弁償しろとか言われたら、この一枚のタイルだけでもものすごい金額になりそうだ。怖い。
俺が床の汚れと格闘する間、レツさんは物珍しい生き物を見るような目で俺のことを眺めていた。
「……おまえ、変わってんな。手は取らないのにキチンと礼は言う。不遜なのか生真面目なのか、どっちなんだ?」
「いや、たぶんどっちでもないです」
実際に、どちらでもない。
手を取らなかったのは情けなかったからで、礼を言ったのは当然のことだからだ。
しかしレツさんは俺の答えを聞くと笑い出した。
「ハハ、そうか。えっと、確か灰色カードのナルミシュウ……だったよな」
名前を覚えられている。だいぶ不名誉な覚えられ方だったが、俺はつられて笑ってしまった。
だからか、次は差し出された手を素直に取れた。
「オレはレツ・フォードだ。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
握手を交わす。レツさんの手は大きく、皮膚も分厚く硬かったが、威圧感はあまりない。
手を離した後、俺は迷いつつも口を開いた。
「あの……不躾な質問だったらすみません」
「答えられる範囲ならいくらでも」
「レツさんはすごく強いですよね。他にも強い人は居るんだと思う。それなのにどうして、王様は異世界から俺たちを喚ぶ必要があったんですか?」
レツさんが強いのは、先ほどのイシジマたちとのやりとりだけですぐに分かる。
この人は身体能力がどうというより、
彼は俺を助けるのに、少しの躊躇もなかった。そんなのは、普段から誰かを助け慣れている人間の振るまいだ。
先ほどまでと同じ、あっけからんとした答えが返ってくると思いきや、しばらく俺たちの間には不自然な沈黙の時が流れた。
「……これ、聞いちゃいけなかったですか?」
「いーや、別にそんなことはない。ただオレの口からは言いにくいってだけだ」
恐る恐る問うと、歯切れは悪そうながらそんな答えが返ってくる。
「一つ言えるのは……さっきちょび髭のオッサンが言ってたリミテッドスキルの件があるだろ。アレは《来訪者》でないと手に入らない。まずそれは、この地で暮らすオレたちとは決定的に異なる点だ」
そのとき俺が思い出したのは、あの変な笑い声が特徴の女神さまの言葉だった。
――『そういうわけで、アタシはアンタにちょいと特殊な能力をプレゼントした。アンタの世界でいえば【才能】や【個性】、今から向かう世界の言葉なら【スキル】……ってトコか』
「それって……後から、覚えたりもします?」
俺たちはじーっと見つめ合った。
ガタイの良いレツさんはとにかく赤毛が苛烈な印象だが、目を見ると優しい翡翠色をしていて、何だか意外にも優しい気風だ。
たぶんこの人、女性にめちゃくちゃモテるだろうな。あと何となくおばちゃん受けが良さそう。あと後輩受けも良さそう……。
そんなことを考えていたら、レツさんはぐしゃりと頭を掻いて目を逸らした。
「見ただけじゃわからん。ていうか、オレもその件は詳しく知らん」
「はあ……」
この人、意外にも結構知らないことが多そう。
とか思っていたのがバレたのか、額を軽く小突かれる。何故わざわざ負傷しているところを!
「痛っ! ……くない」
血が止まっていた。それにジンジンと鈍い痛みも消え去っている。
見ると俺を小突いたばかりのレツさんの右手の先には、小さな光が宿っていた。もしかしたら回復魔法みたいなものを使ってくれたんだろうか。
「あ、ありが」
「礼はもういいって。ほら、そろそろおまえも食堂に行っといたほうがいいんじゃねぇか? いつ行ったって、食事は用意されるだろうけどな」
「そうですね。お腹はそんなに空いてないですけど……」
明らかに話題を逸らされたが、俺はおとなしく従った。
何故なら、虐められていた俺にレツさんは何も言わなかった。それなら俺が何も言わないのも、お互い様というだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます