3.勇者候補


「私の名はラングリュート・ヒ・アドルフォフ。ハルバニア王国、第二六代国王だ」


 本当に王だったらしい、その人物が名乗った直後。

 右端に立っていた近臣らしい男がササッと椅子を取りだした。

 あの女神さまが座っていたのに勝るとも劣らない豪勢な椅子だ。


 王様は当然のごとくその椅子にどっかりと座り込む。

 そしてどこからともなく現れたメイドさんが、その頬をせっせと二人がかりで拭った。


 俺はといえばその様子をボーッと見つつ、「ずっとこの椅子持って移動してたのか……」と家来の人に同情しただけだったが、その、見ようによっては少し滑稽な一部始終に堪えられなかった生徒もいたらしい。


 くすり、と女子の誰かが忍び笑いを洩らす。

 その瞬間、臣下たちの手が腰に下げた刀の柄に触れたのだ。きゃあと悲鳴じみた声が上がった。


「良い、良い」


 ラングリュート王は一触即発の空気を片手で諫めた。風格が滲み出ていて、さすが王様という感じの落ち着きっぷりだ。

 だが、今の遣り取りで生徒側には不信感が芽生えたようだった。立ち位置の問題で、まるで王一派vs三年二組で対決するかのような構図になっているのも良くない。


 が、王様は気にしない様子で座り込む生徒たちの顔を見回すと、


「さて、呼び立てておいて早速だが……私からあなた方にお話しておきたいことがある。まずは、この国――ハルバニアの現状から」


 そう前置きしてから語り出した。


 四方を海に囲まれ、自然に恵まれた豊かで活気ある国。

 この世界【キ・ルメラ】でも大国の一つと知られている、それがラングリュート王が統治するハルバニア王国である。


 そんなハルバニアだったが、現在、未曾有の危機に瀕していた。

 というのも三年前の冬、異世界から召喚されし勇者が魔王を討ち取ったと舞い戻ったが――そのすぐ後、国中にある病が蔓延したのだ。


 その病を発症した者は、まず、身体のどこかに蝶を思わせるような赤い痣が浮かび上がるのだという。

 目眩や発熱を皮切りに、幻覚や幻聴といった幻覚症状が起こる。そして痣の模様が大きく育った頃には、その病人は人間から魔物へと成り果て、周囲の者に襲いかかる。そのことから、この病は「血蝶病けっちょうびょう」と名づけられた。


 血蝶病は、五百年前にもハルバニアで流行した病である。

 当時のことを記した古文書に、それらしき記述が記載されていたのだ。血蝶病は、魔王の扱う無比の呪術の一つであり、不治の病である……と。

 しかし今代の魔王を倒せば、呪いを打ち破ることができる。つまり三年前戻った勇者は、実際は魔王を倒し損ねていたのだ。


 王は何とかこの病を治癒しようと万策を巡らせた。

 国一番の名医や、魔術師も総出で手を尽くしたが、どの治療法も多少症状の悪化を遅らせるくらいで、満足に効果を発揮することはなかった。


 多くの民は死に、暴動も起こった。貴族や王族にも、何人かの犠牲者が出ている。異世界から勇者になり得る者を召喚するという方法は、ハルバニアに長く伝わる秘術であり、残された最後の一手だったのだ。


「この病の治療のため、どうか我々にお力を貸していただきたい。次こそは魔王を討伐し、悪しき呪いを打ち破っていただきたいのだ」


 異世界にも蝶っているんだ。

 俺は王様の話を聞きながら、そんなことをぼんやりと考えていた。


 人はあんまり非現実的なことが起こると、逆に冷静になるのかもしれない。確かに俺は聖堂内にいて、王様と名乗るその人の話を聞いているはずなのだが、どうにも現実感がなくて夢現のような気分に陥る。


「すみません、質問いいですか?」


 いの一番に挙手したのはクラスメイトの前野隼人マエノハヤトだった。

 マエノは王様が「許す」と言った直後、立ち上がってこう述べた。


「そもそも、その勇者の人が実際は、その……魔王の討伐に失敗してたってことですよね? 責任があるんだし、その人がもう一度倒しに行くべきなんじゃないですか?」


 マエノは少し気恥ずかしそうだ。「魔王」やら「勇者」やらとこの年になって口にするのは勇気がいるのだろう。


 マエノはサッカー部のエースで、三年二組でも中心的存在だ。

 ルックスも整っていて、勉強もそれなり、スポーツも万能と来ればモテ要素はふんだんすぎるくらい。


 それに性格も明るく正義感が強い。敢えてケチをつけるなら、正義感がありすぎて、こういう理不尽な状況下では黙ってられないタイプなんだろう。彼が一番に発言するのは、このクラスの人間ならだいたい察しがついていたかもしれない。


「皆さんが困っているのはわかります。でも、オレたちも突然こんなところに集められて困惑してるんだ。女の子だって多いし、家に帰してもらいたいんですが」

「貴様、王に向かって無礼な口を」


 叱責しようとした左隣の臣下を、王が目線で黙らせる。


「残念だがお帰りいただくことはできない。以前の勇者も、すでにこの世界には居ないのでな」

「……そいつは嘘吐いたあげく、早々にお家に帰りましたってか」


 マエノは小声で毒づいた。仕留め損ねたってだけで、別に嘘吐いたとは限らないと思ったが……この状況じゃ言わぬが花だ、もちろん。


「仮にも世界を救ってほしいとお願いしている身。こちらとしても十分な報酬は用意する所存だ」


 王様はここが攻めどきと理解したらしい。そんな風に切り返した。


「まず、目的を達成し勇者となった人物には金銀財宝。望むのであれば、元の世界への帰還の術や……あるいは、我が国への移住を望むのであれば、貴族証も付与する」

「貴族証?」

「その名の通り、ハルバニアで貴族としての特権が許される証のようなものだ。貴族になれば領地を持ち、自由気ままに生活ができるし、奴隷を使役することもできる。選ばれし者だけに許された、最上級の生活を送ることができる」


 ……奴隷。

 異世界に来てまで、そんな制度があるのか。


 何か急に、苦々しい気持ちがのど奥にこみ上げて、気持ちが悪くなる。

 そんな俺の波立った感情に気づいたのか、ユキノが不安そうに俺を見ているようだった。


「そして勇者の願いを、この王がひとつ叶えてみせる。どんな願いであっても、な」


 駄目押しとばかりに放たれた一言は、ただの中学生を誘惑するには充分の効力を発揮したようだ。もちろん俺にとっても。


 どうする? どうするべき? と仲良しのクラスメイト同士のひそひそとした話し合いが始まる。

 俺とユキノも顔を見合わせた。たぶんユキノの考えも俺と一緒だ。この世界でなら、もしかしたら――


 しかし俺が口を開くより先。

 みんなの好奇心やおびえを払拭するかのように、マエノがその場で立ち上がった。


「みんな! とにかく、日本に帰ることだけを考えるべきだ。行動するときは必ず全員一緒にして、なるべく危険な目に遭わないように気をつけて――」

「おい、マエノ」

「……イシジマ」


 さも好青年といった風のマエノの表情が苦々しいものに変わる。マエノに遅れて立ち上がったのは、中学生とは思えないほどガタイの良い男子生徒。


 石島淳彦イシジマアツヒコ

 授業にはほとんど出席しないし、屋上で煙草をふかしたり、街に繰り出して他校の生徒に喧嘩を売ったりする、典型的な不良生徒だ。

 よく警察にも世話になっているが、親が県会議員なのでだいたいの悪事はそれでもみ消しているらしい。


「そもそもこれってただのゲームみたいなもんだろ? VR体験みたいな? 外国人と言葉通じてる時点でおかしいんだからよ、気づけよ」


 イシジマはまったく緊張感なくそんなことを言っている。テーマパークに遊びに来たくらいの気持ちらしい。


「我々の言葉が通じるのは、《来訪者》の持つベーススキルが働いているからだ。異なる言語を理解・翻訳し、相応しい形で抽出するスキルが」

「ほら、オッサンもスキルがどうの言ってるんだぜ。そんなに真面目に考える必要ねえだろ。ダンジョンで大冒険してお宝見つけて魔王倒して、それでハイ終了だろ? なぁ?」


 イシジマは自分のすぐ後ろに固まっている河村隆弘カワムラタカヒロ原健吾ハラケンゴを笑いながら振り返る。

 お陰で「オッサン」呼ばわりされた王様の、特にその周囲の大変な顔つきにはどうやら気づいていないようだ。カワムラとハラは蒼白な顔色をしているが。


 しかしラングリュート王は、なお言い争うマエノとイシジマからはすぐに視線を外した。

 おや? と思って注視すると、目と目が合ってしまう。ぎくりとしたのも束の間だった。


「君は何か、言いたいことがあるようだね」

「えっ」


 突然そんなことを言われて俺は飛び上がった。

 言いたいことというか、少し頭の中で疑問点を整理していただけだ。

 そんな唐突に声を掛けられても困る。しかし王は狼狽える俺を黙って見つめている。


「ああ、えっと」


 クラスメイト、特にイシジマたちがいる前で、あまり目立った真似はしたくない。

 でも、せっかくの機会を「何でもありません」で逃すのは勿体ない。

 俺はとりあえず、疑問点の中でも平和的なヤツだけ聞いとこう、と思っておずおず立ち上がった。


「……俺たちの荷物はどこにあるんでしょうか」


 SNS映えの話をしていた女子たちも、誰もスマホを手に持っていなかった。

 それに俺も、ユキノも、スクールバッグを持っていない。見える限りはそれ以外の生徒も誰もだ。だからそれは今のうちに聞いておくべきだと思ったのだ。


 俺がそう質問すると、「何つまんねーことを」とイシジマが舌打ちする。

 答えたのは王ではなく、先ほど椅子を取り出したちょび髭小太りの男性だった。


「あなた方のお荷物は全てこちらで預からせて頂きました。お返しはできかねますな」


 抑えめながら「えー」の声が上がる。

 俺にとっては予想通りの答えだった。礼を述べてすぐに座る。


「また、血蝶病の件でもう一つ……あの呪いは、《来訪者》であろうと関係なく降りかかるものだ。あなた方の身の安全のためにも、一つ付け加えるが」


 ラングリュート王は多少強引に話を戻した。

 その不穏かつ違和のある流れに、これが話の本題だったんだろうということは察しがつく。


「血蝶病を発症した者は魔物に成り果て、理性を失う。その者を倒すのは、魔物を殺すのと同じことだ。……つまり、発症者を殺したとして一切の罪には問わない。勇者候補たる冒険者諸君には、他者の犠牲の上に、名声を掴み取ってもらいたいと我々は思っている」


 ぞくり――、と背筋に鳥肌が立った。



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