第8話 かみのお導き
お次は一体何処に飛ばされるのやら。そろそろ黒も見飽きましたわーと混濁する意識に、暗闇の中から解放される。
黒い建物が目の前に立ちそびえていた。外には黒服の大人たちが複数のグループをまばらになっている。今まさに建物内に入ろうとしているところだった。まさかの黒づくしだとは思わなかった。意図して黒で統一しているのは質が悪い。
大人たちの中にはあの少女の姿があった。少女は大人たちの目を盗み、その場から去ろうとしていた。
私は、動かない。
指一本も。金縛りにあっていることをいまさら知る。
いや、金縛りというより第三者といったほうが適切かもしれない。
小説の読み手、それか演劇を鑑賞する観衆のように一つの物語を一つの世界とみている。その舞台には私の席は用意されておらず、ただの観測者にしか過ぎない。
こうやって、私は見ることしか許されない。
そういう夢であり、そういう世界。
「?」
あ……。
私の身体が光ってる?
私の制服から局部的に光が集まってきている。光の原因になっているのは腹ポケットからであり、眩しさに目を瞑ってしまう。
眩しさの正体は一つの紙ひこうきだった。
「なんで……今、これが……?」
紙ひこうきは自律して私のポケットから抜け出す。そして、黒い建物へと飛んでいった。
「ま、待って……!」
私の身体は動かない。
本当に?
本当は目を逸らしたいだけで、見たくないだけで、自分で動かなくしているだけなんじゃない?
勝手な自問自答が私を攻める。
『まだ若いのに可哀そうに。そういや、あの人の子どもは誰が引き取るんだろうね?』
『いやよ、私。あんな子ども預かるのだなんてごめんよ』
『もうちょっと、愛想が良ければねー』
私の記憶?
『結局はウチら親族に迷惑をかけるだけかけて死んじゃうだなんてほんと最悪。なんであそこまで生きることに固執してたのかしら』
『あーあ。この葬儀でまたお金がかかる。その上、ガキとは。勘弁してもらいたいものだね、まったく』
『なんか病院で絵本とか作ってたんでしょ? 遊んで死ねるとか人生の勝ち組じゃね?』
『なにしてんだよー。そんだけの労力あるんだったら、金ぐらい残しとけよな』
黒服の大人たちが会話をしている。
こちらを一瞥して、小さな声で交わしていた光景。
忘れかけてた忌まわしい記憶。
『親も親なら、子も子だね。挨拶の一つもしない』
『学校でも浮いてるらしいよ。いじめ受けてるとか』
『そりゃ、あんな性格が根暗になるわなー』
クスクスと蔑むように笑う。
誰も私に近づく者はいないが、話題の種は尽きることがなかった。その分かりやすい瞬間を目の前で見て。
子どもも大人もやることは変わらないんだなって私はそう思った。
気がつくと身体は動いていた。
紙ひこうきを追いかけて、手を伸ばす。掴もうとした手は空振りし、正面から転んでしまった。紙ひこうきはもう見えないのに。私は何をやっているんだろう。
笑い声が聞こえる。
『なんで生きているのかしら?』
『母親と同じでとっとと死ねば良かったのに』
『可哀そうで哀れだね』
人を笑う人間と、醜悪で吐き気のする人間しかいない世界。そんな世界に閉じこまれてしまったような孤立感。
「うう……。くっ……!」
私の頭の中は真っ白になってしまい、両手で耳を塞ぐ。目を瞑り、情報を切り捨てようと必死だった。いくら頭を振っても、刻まれた声は消えてくれない。
それどころか私を非難していく者が増えていくばかりだった。
『気持ち悪いんだよ! 学校くんなよ!』
『お願いだから話しかけないでくれない?』
『死ーね! 死ーね! 死ーね!』
大人たちに味方をするように子どもらは私を侮蔑し、一緒になって笑う。
皆で一緒にすることが良いことで。
皆で協力し合うことが大切なことで。
皆で共に分かち合うことは必要なことで。
大事なことだからこそ、私を糾弾する者を否定する者はいない。正当性の有無がどうとかじゃない。皆は皆が同じであることが正しいと知っている。
私は唇を震わせた。
「や…………やだ………………!」
ようやく発せられた声。
「やだよ! こんな世界!」
私は頭を振り払って、ただ走った。紙ひこうき目掛けて、踏ん張って腕を振り続ける。
いや!
もういや!
こんな世界で生きていたくない!
人に哀れみを向けられて、乏しめられる毎日が辛くないはずがない。
友達ができずに嘲笑受ける毎日が苦しくないはずがない。
その世界には好意がなく、独りぼっちの世界の毎日なんて送りたいはずがない。
辛くて、苦しくて、誰にも手は差し伸べられず、残酷な世界で私は走り続けた。
だって、このまま走るのを辞めてしまったら、壊れてしまいそうだったから。
誰か……。
誰でもいいから……。
「私を! 助けてよ!!」
その言葉には一切の強がりはなく、建前を隠した感情があった。
涙が伝う。溢れてきて止まらない感情が私を支配し、泣いてしまっていた。それはもう生まれたての赤ん坊のようにわんわんと派手にやってしまっていた。慟哭、と申し上げてもいいレベルで。
こんなに泣くのはいつ以来だったか。
人生の中で初めての経験だと思う。
私の叫びに誰も応じないことは分かっているのに、実に虚しく馬鹿馬鹿しい限りだった。情けなく嗚咽を吐き、みっともない醜態を晒している。
誰かに助けを求めてしまった。
そんなことをしても、私のささやかな願いはただただ腐りきってしまうだけだというのに。
「……?」
私の目の前には紙ひこうきがあった。ボロボロの紙ひこうきだった。さっきの私が持っていたものと違うものだ。
恐る恐ると手にする。簡単に拾えた。紙に文字が書かれていたので、紙を広げてみる。
元気でしょうか?
あなたのその後はどうですか?
とても心配です。あなたは抱えてしまう子だから、寂しくても辛くても耐えてしまう子だから。
そういうときは感情をオモテに出せば、すっきりすると思います。あなたはまだまだ私にとって子ども……いや。
あなたは私にとってずっと子どもなのです。小さなことでもいいので相談してください。今日、何を食べたかでもいいです。連絡待ってます。
私は死にません。あなたが想ってくれるまで、あなたの傍に居続けます。
だから、忘れないで。
あなたは独りではないことを。
あなたが視えるその世界で独りぼっちだとしても、触れられなくても、言葉を交わせることがなくとも、二度と顔を見ることがなくなっても。
私はあなたの愛する娘であり、味方であることを。
本当はより近くで見守っていたかったけど、どうもそうはいかないみたいですから。
風邪を引かず、いつまでもお元気で。
そして、死ぬまで生きてくれることが私の最大の望みです。
苦労をかけます。
最後に。
生まれてきてくれてありがとう
誰に宛てたものなのか、誰が書いたものなのか。
不明なまま、終わる文章。唯一、分かるのは紙ひこうきであったこと。
年季の入っている色あせた紙質に重みが感じられた。重量とかじゃなくて、幾年経って伝えられる文章の重さのようなもの。表現するには伝えられないくらいの想いがある。
この紙ひこうきは何年飛んでいたのだろうか。
何年の間、飛び続けていたのだろうか。
飛んでいる間も苦難な道のりがあったのだろう。
墜落してしまう日もあっただろう。
けれど、この紙ひこうきは私の元に着陸してきた。
ということは?
「ありがとう」
私は口にする。涙が枯れていた。
大丈夫。
私はもう大丈夫だと悟った。
口元が歪む。きっと、私は笑っていたのだ。
シオンの花が一面に咲いていた。私はもうすぐ醒めるのだと思った。
流れ作業のように微睡んでいく。暗闇が私を包むとともに、鈴の音が鳴り、虎が吠える。
後はもう単純。
私は覚醒という都合の良い解釈をして己の身を預け、目が覚めた頃には忘却の彼方まで記憶を投げこむのだろう。
だって、夢だもの。
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