第26話 はじけた光

 月や蛍のやさしい光がとどかない、ブラックホールみたいな言葉。あたしの心は吸い込まれていく。


「最後って、なんだよ。明日もあさっても、先生はここにいる。今までもそうだったんだから、これからもずっとここにいるんだ!」


 ゲンはのどの奥に涙をかくしたうるんだ声で、勢いよくいった。


「ゲン、この世にずっとなんてないんだ」


 とてもとても静かな、けれどしんのある声で先生は、泣きそうなゲンをなだめた。


「あの太陽だって、五十億年後には寿命じゅみょうがつきる。そうしたらこの地球も死ぬんだ」


「そんな気の遠くなるような、でっかいこといわれたってピンとこねえ」


「はっはっ。そうだな、話がでかすぎた」


 先生は笑ったけど、その声はかすれていた。自分の正体は九三歳の老人。病院のベッドでずっと寝てるっていってた。


 今その九三歳のおじいちゃんは、どうしてるの? 考えようとするけど、頭がしびれて、もう何も考えられない。


「先生はこれから、死ぬの?」


 問いかけているのに、疑いのない確信を持ったサブ兄ちゃんの言葉が、あたりをピリリとこおらせていく。蛍の飛翔ひしょうは、さっきよりはげしくなったような気がする。


「サブ兄ちゃん、なんてこというんだよ! 先生は絶対死なない。死なせない」


 とうとうゲンが泣き出した。その泣きじゃくる頭を先生はポンポンとやさしくなでる。


「泣くなゲン。死ぬことはこわいことでも、悲しいことでもない。あたりまえのことだ。誰だって、一度だけ経験しなければならない。その一度が今でよかった」


 その言葉に答えるように、蛍は点滅をくり返す。先生の目が順番に、あたしたちをみていく。サブ兄ちゃん、ゲン、そしてあたし。


「いいことを教えてやる。死んだら終わりじゃないんだ。はじまりなんだ。だからそんなに悲しむな――」


 そういった先生の口はふっと閉じ、まぶたは笑うようにゆっくりゆっくり閉じていく。目をつむった瞬間、先生の体はまばゆい緑の光につつまれ、輪郭りんかくがなくなる。その小さな光がふくれあがり何千、何万という光のつぶの集合体へと変身した。ちょうど、大人の人の体の大きさぐらいに。

 そしてその光のつぶひとつひとつが、蛍だった。


 蛍が先生の体を形どっている。でも、すぐに蛍は闇へ向かって、いっせいに飛び立った。黒い画用紙に、たっぷり絵の具のついた筆をはじいたみたいに一瞬だった。

 ふと下をみると、寝床の中には誰もいない。


「いなくなった人たちは、蛍になってたのか。この蛍はみんなだったんだ」


 サブ兄ちゃんの横顔が緑色にそまってる。いとおしに、その手は空中で舞う蛍をなでていた。もう、どの蛍が先生だったかわからなくなった。


「そうか、先生は蛍になったんだ。だから、死んでも終わりじゃないっていったんだ」


 泣いてたはずのゲンは口をポカンとあけ、緑の光にみいっている。


「よかった。先生死んだんじゃないんだね。蛍に変身しただけなんだね」


 何も考えられないのに、あたしの口から勝手に言葉がこぼれだす。


「ちがうぞ。先生は死んだんだ。死んで蛍に生まれ変わったんだ」


 ゲンがあたしをまっすぐみて、きっぱりという。でも、あたしには理解できない。


「なんで? いっしょじゃん。蛍はあたしたちの言葉がわかるんだよ。先生ってよべば来てくれるよ」


 あたしは、大声で蛍によびかけた。


「先生は死んでないよね。蛍に変身しただけだよね。あたしの言葉がわかるなら、この手のひらにとまって。先生ここへもどってきて!」


 そういって、先生の光がはじけた空間に手を差し出した。

 でも、いくら待っても、蛍は手のひらに来てくれない。手のひらは何もにぎらないまま、だらりと落ちた。


「アス、悲しいけど、ちゃんと先生が死んだってことをうけ入れないと」


 サブ兄ちゃんがそういって、あたしのすねにそっとふれ、よしよしって赤ちゃんみたいにあやしてくれる。だけどその手のあたたかさから、にげ出したかった。


「いやだ、信じない。だってここは魔法の国だもん。白バトさまにたのんだら、生き返らせてくれるかもしれない。あたし今からお社にいって、たのんでくる」


 床においた袋をつかんで、あたしは教室からにげ出した。後ろからゲンとサブ兄ちゃんの声が聞こえたけど、無視して走りだす。

 ふたりはあたしのいうこと信じてくれないんだもん。絶対先生は生き返るんだから。


 校門を出て八幡様のお社めざし、坂をのぼった。蛍はついてきてくれなかったけど、のぼったばかりの月が夜を照らしてた。


 全力疾走ぜんりょくしっそう。すぐに息があがる。手にもった袋から王冠と星のかけらがこすれる音がして、からっぽの頭の中でガンガン鳴りひびく。


 むちゃくちゃ走って走って、やっとお社へ続く長い石段の下まできた。二段飛ばしで一気にかけあがる。鳥居をくぐったところで、はっと気がついた。

 そうだ、白バトさまはここにいないんだった。夜になったら山の中のほこらへ帰るって、たしかサブ兄ちゃんがいってた。


 鳥居の上をみても、そこに白バトさまはとまっていない。あの時、ほこらの場所聞いておけばよかった。そんなこと今考えても、どうしようもない。

 みあげる夜空の無数の星が、にじんでいた。あんなにきれいだった星は、今ちっともきれいじゃなかった。 

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