第19話 てのとどかないもの

 次の日。ほんのり明るくなった夜明け前、あたしはハンモックからこっそり起きだした。かまどの中のふたりは、まだ寝ている。

 そーっと足音を忍ばせ外へ出ると、つめたい朝の空気にぶるっと身ぶるいした。足元には朝つゆにぬれた草。ふみしめると、水滴が飛びちって、くつがぬれる。


 先生に会うため、あたしは学校目指して走り出した。

 すがすがしい朝の空気と草の青い匂いがまざりあって、肺にどっと入ってくる。ハッハッと小刻みにはき出す呼吸音に、セミの声がかぶさってきた。セミがもう鳴きだしている。


 学校へつくころには日がのぼり、運動場には朝もやがかかっている。校舎がはっきりみえない。


 そのかすんだ運動場に、何かがいる。門をくぐり中へ入ると、のんびりした声があたりにひびいた。


「じょうちゃんでねえか。朝早いなあ。おらたちここで朝めし食ってんだ。おまえさんはもう食ったのか?」


 親切な鹿さんだった。鹿さんは仲間といっしょに、ここで草を食べていた。


「朝ごはん食べてないよ。いそいでここへ来たんだから。先生は校舎の中にいるの?」


「あーたぶん中だろう。朝めしちゃんと食べろよ。力が出ねえぞ」


 鹿さんにいわれて、ふと思う。あたしごはん食べたのいつだっけ? お母さんのカレーの匂いと、アイスを食べたかったことは思い出したけど。その後は?


 まっいいや。そんなことより、今は先生に会わないと。

 校舎に入り、昨日きた阿比留学級のガラス戸をそっとあけた。

 黒板の前の寝床には、お布団のかわりにしている布がもりあがっている。先生はまだ寝ているみたい。


 先生を起こしたら、かわいそう。そう思ってそおっと静かに近づいていく。


「どうしたんだ、こんなに朝早く」

 先生は、起きていた。布からにゅっと出てきた顔は、昨日の夜みたくまみたいな顔だった。

 どうして人間なの? ゲンとサブ兄ちゃんはお日様があがったらスズメの姿になるのに。


「先生は、スズメにならないの?」


「あー、昼も夜も関係ないんだ。向こうの先生は病院のベッドの上でずっと寝てるんだからな」


「病院?」


「そんなことより、何か先生に聞きたいことがあって、ここへ来たんじゃないのか?」


 先生は寝たまま、目だけをあたしに向けていった。その目はやさしくて、安心できてたのもしくて、しっかりあたしをみていてくれる。


「あのね、あのね。ゲンがおじいちゃんだったの。おじいちゃんとおんなじ名前。それでね。あたしが手紙の住所に奥神島って書いたから。おじいちゃんはここへ手紙といっしょに飛ばされたんだよ。どうしようあたし。あたし――」


 いっきに先生へはき出した言葉といっしょに、涙がほほをつたう。がまんしていたひとつぶがながれだしたら、もうとめられない。つぎつぎ、あふれだした。

 あたしは先生の寝床のそばにひざをつき、頭をこすりつける。そして大声をあげて、泣き出した。


「落ち着けアス。もっとゆっくりいってくれないと、わからない」


 先生の小さな手が、泣きじゃくるあたしの頭をポンポンやさしくなでてくれる。泣きやむまで、ずっとそうしてくれた。

 やっと涙がかわいて、昨日の夜ねぐらであったことを説明すると、先生はいった。


「先生たちがこの島にいるのは、アスのせいじゃない。アスは手紙をいつ書いたんだ?」


 昨日は、星のかけらを探した。二日前は海と川で遊んで、その前の日に白バトさまにここへつれてこられた。


「三日前の夕方。それから手紙をポストに入れた」


「そうか、先生たちはもっと前からここにいる。そこの柱のキズを数えてごらん。夜が来るたび、クギで線を引いていたんだ」


 あたしは黒板の横の柱をみた。下から順番に細かい線が、数えられないぐらい引いてある。それは、大人の手のとどくところでとまっていた。


「ロビンソン・クルーソーみたい」


「ロビンソン・クルーソー読んだことあるのか?」


「うん、キラキラしたかわいい絵の本は苦手。だけど、冒険小説は大好き」


「そうか。苦手な本があってもいい、本はたくさん読めよ。ゲンも本が好きだった。あいつは歴史の本ばっかり読んでたな。アスがゲンの孫かあ。長生きはしてみるもんだな」


 そういって、先生は天井を向いたまま、くつくつと笑った。


「ねえ。どうしておじいちゃんはここにいるの? あたし、夏休みが始まってすぐ、おじいちゃんと電話でしゃべったよ。この世界はいったいなんなの。教えて、先生」


 先生はゆっくり首をまわし、あたしをみる。


「アスは、なつかしいなあって思うことあるか?」


「この島へ来た時海みたら、おじいちゃんの海辺の家を思い出して、なつかしかった」


「なつかしく思って、どうした?」


「おじいちゃんに、会いたいなあって思った」


「その気持ちは、心をよせるっていうんだ。そんな言葉知ってるか?」


「ううん。聞いたことない。どんな意味?」


「心だけが体をはなれて、なつかしいとか好きと思うもののそばへいくって意味だ。先生たちは六十年も前にはなれたこの島へ、心をよせている」


「先生のいってること、むずかしくてわかんない」


「そうか、むずかしかったか。つまり、この島をなつかしいと思う気持ちだけが、体からぬけ出して、ここで遊んでるのさ。先生の正体は九三歳の老人だ。すごいだろ」


 先生はおどけた声をだし、ドヤ顔をした。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る