第18話 つきのなみだ

 ねぐらの廃屋のまわりには、ほたるが大量に舞っていた。おかえりっていうみたいに、一匹あたしによってきて、ほっぺへとまる。

 ほほがくすぐったい。あたしの肩が上下にゆれたら、ゲンが耳につかまりながらいった。


「アスのほっぺたに、みどりの涙だ。やーい弱虫」


 本当にこいつは。こんなのが、お年よりのわけないじゃない。あたしはゲンにむかって思いっきり舌をつき出し、あかんべえをしてやった。


「ぎゃー、ばけものがでたあ!」


 今にも死にそうな声を出すゲンがおもしろくて、三人で笑った。

 サブ兄ちゃんの大人みたいな低い笑い声が、あたしの耳をくすぐる。やさしくて、かっこいいサブ兄ちゃん。お年寄りのわけないじゃない。


 先生にからかわれたんだ。絶対そう。あー、おかしい。まんまとだまされたんだ、あたし。

 笑って笑って、おなかが痛くなるほど笑った。

 蛍も笑い声にあわせて、暗闇の中楽しげなリズムでゆれていた。


「ゲン、この袋どうする?」


 星のかけらは、まだ池に入れていない。王冠とかけらが入った袋を手に持ち、あたしはねぐらに入って聞いた。


「オレの寝床に入れてくれ」


 あの四角いかまどに、またハイハイして入る。やさしい蛍が、ゲンの寝床に入って照らしてくれた。

 緑の光で明るい中、袋を奥におし込もうとしたら、何かがつっかえて奥へいかない。何がじゃましてるんだろう。ちゃんと袋をおさめないと、ゲンの寝るスペースがなくなってしまう。


 袋をいったん手前に引き、手をのばしてさぐる。四角くて平べったいものが手にあたった。これがつっかえてたんだな。

 邪魔なものをつかんで引きよせる。あいた場所にやっと袋をおさめることができた。

 ふー、やれやれ。ひと仕事おえたあたしは、四角いものを手に持ったまま、かまどからはい出したのだった。


「ゲン、これが邪魔してなかなか入らなかったよ。これなに?」


 屋根の落ちた天井から、もうすぐ満月になりそうな光が、ななめにふりそそいでいた。その光に照らされ、四角い板みたいなものへ書かれた字がうきあがる。


 長嶋県奥神島字下浜345

 海端うみばた正男

         勝子

         一郎

         源次郎げんじろう


 かすれているけど、はっきりそう読めた。瞬間、あたしの心臓にするどい痛みが走った。


「あー、オレんちの表札。大事にとってんだ」


「ゲンの名前って、海端源次郎っていうの?」

 

 心臓の痛みは、破裂はれつしそうな勢いで加速していく。


「そうだぞ」

 もう痛くて痛くて、悲鳴をあげそう。でもあたしは、痛みをこらえて声をしぼり出す。


「あたしの名前はね、明日の鳥ってかいて、海端明日鳥うみばたあすかっていうんだよ」

 ゆっくりと、ゲンとサブ兄ちゃんへいい聞かせるようにいうあたしの声は、ふるえていた。


「へー海端の名字は、この島に多いんだよ。アスのご先祖様がこの島出身なのかもしれないね」


 息をするのが、苦しい。でもなにか、いわないと。だまってたらふたりがおかしいって思う。


「うちのおじいちゃんがね。奥神島ってところに昔住んでたんだって。それで、その島のことあたし小さい頃からいろいろ聞いてたの。すごくなつかしい場所だって。だから、あたし一回いってみたくて――」


 お母さんに無理やり書かされた手紙。おじいちゃんが今住んでいる海辺の住所は、すごく長かった。だからめんどくさくて、思わず奥神島って書いちゃった。

 あの手紙、おじいちゃんにみせたくなかったんだもん。


 そんなことしたから、ここへ飛ばされたの?

 そんなことしたから、ゲンはこの無人島にいるの?


「すげー、オレとアスは親戚かもしれないぞ」


「そうだよ、親戚かもしれない。ふたりの顔どことなく似てる」


「そう……だね。似てるね、でも、なんかいやだな。ゲンと似てるなんて」


「うるせえな。アスのじいちゃん、なんて名前だ?」


 うす暗い中でもキラキラとかがやくゲンのすんだ目が、あたしの答えを待っている。


「海端――」

 海端源次郎……おじいちゃんの名前は、のどの奥につっかえて出てこない。


「やっぱり内緒ないしょ! 教えない」


「えー教えろよお」

 無邪気むじゃきに抗議する、子どものおじいちゃん。


 あたしのおじいちゃんは、時代劇好きで歴史のことなら何でも知ってる。

 ごはんだって洗濯だってできる。一人暮らしだけど、全然さみしくないっていってた。

 近所に仲のいい三郎さんがいるから。よくふたりで釣りにいってた。あたしもいっしょに連れていってもらったことがある。

 そうだ。釣りをしながらふたりは奥神島のこと、よくなつかしいっていってた。


 ひょっとして、あの背がひょろっと高くてやさしい三郎さんは、サブ兄ちゃんなの?

 仲がいいから、ふたりしてここで遊んでるの? なつかしいこの島で。

 サブ兄ちゃんがここにいるのも、あたしのせい?


「おい、アス。怒ってんのか。急にだまって」


 ゲンが、あたしのそばへよって来ていった。

 怒ってるのか、泣きそうなのか顔をみたら、わかるでしょう。もう、なんで女の子の気持ちが理解できないかなあ。だまったら怒ってるって、そんな単純たんじゅんじゃないんだから。


 ゲンがおじいちゃんのわけない。おじいちゃんは、こんなに鈍感どんかんじゃないし、女の子にやさしいし、ゲンよりかしこい。

 絶対、絶対ちがうんだから。 


 あたしの心をみすかしたように、蛍がはげしく舞い始めた。ゲンとサブ兄ちゃんはそっちに気をとられている。

 蛍をみているゲンの頭に、大つぶの水滴すいてきがぼたりと落ちた。


「うわっ、雨がふってきたのか?」

 ゲンのあわてた声に、サブ兄ちゃんが夜空をみあげのんびり答えた。


「えー、月が出てるけど」


「おやすみ、あたしつかれたからもう寝る!」


 天をあおぐふたりから顔をそむけ、ハンモックにもぐりこんで、寝たふりする。

 でもその夜は、いろんなことが頭をグルグルまわって、一睡いっすいもできなかった。



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