第10話 こんにちは

 ゲンとサブ兄ちゃんが、人間にもどったってふたりは小さい。あたしを引きあげるだけの力なんてない。

 自力で脱出するしかないんだ。助走をつけてジャンプしたら、ギリギリとどきそうな高さ。でも、せまい井戸の中で助走なんてできない。


 裸足になった右足を、コンクリートの壁にかける。その足に力を入れてもう一度ジャンプ! ダメだ、壁はコケだらけでつるつるしていて足をかけてもすべってしまう。

 あたしが必死になっているのに、スズメが助言をくれない。肩をみると二羽の姿はなかった。


 えーどこいったのよー。こんな大事な時に!

 そう心の中でぐちったら、目の前にするすると、ロープがおりてきた。


「アス、これにつかまって。今引きあげるから」


 サブスズメがそういって、あたしの肩に乗ってきた。遅れて、ゲンスズメも。


 よかった。これで出られる。私はわらにもすがる思いで、ぎゅっとロープにつかまった。そうしたら、力強く引っぱりあげられる。

 よかったけれども、いったいこのロープは誰が引っぱってるの? 


 その正体は……鹿だった。


 井戸から生還せいかんして、四つんばいになって地面の尊さをかみしめていたら、二羽以外ののんびりとした声が。


「よかったなあ、じょうちゃん。おやー久しぶりにみる人間の子だ」


 立派なつのの鹿がもしゃらもしゃら口を動かし、しゃべっている。足元にはロープが落ちていた。この鹿がロープをくわえて引っぱってくれたのか。


「ひどいぞ。オレらも人間だって」

 ゲンスズメが鹿に向かって文句をいった。


「おめえたちは、もうスズメみたいなもんだろぉが」

 スズメがしゃべるんだから、鹿もしゃべる。きっとここへ来た日に遭遇そうぐうしたサルもしゃべるんだろう。ここは、そういう世界なんだ。


「こんにちは、鹿さん。助けてくれてありがとう」

 あたしの言葉も通じるだろうか? 通じたらいいな。そう思ってお礼をいった。


「なんもなんも。おらはいっつも、このスズメたちに用事をいいつけられてる。でも、好きでやってっから。気にすんなあ」

 そういって、真っ黒でまん丸い目をやさしそうに細めた。


「ごめんね、アス。大変な目にあわせた。やっぱり石を探すのはやめよう」


 しょげ返ったサブスズメの声が、ズキンと心につきささる。これぐらい、気にしなくていいのに。それどころか、心配してくれてうれしい。けど、そんなこと素直に口にできなかった。


「大丈夫だよ、サブ兄ちゃん。あたし野球できたえてるから。これぐらい平気。二個みつかったんだから、もっと探そうよ」


「やっぱりおまえ男だったのか。女が野球するわけないし。いいなあ。オレも野球やりてえ」

 

 ゲンスズメめ! サブ兄ちゃんが女の子あつかいしてくれたうれしい気持ちを、台無しにして。まったく乙女心がわかんないやつだな。きっと、ゲンはまだ小学生のお子様なんだ。きっとそう。この世界に、小学校があるかわかんないけど。


「ちょっと。女の子でも野球するんだよ。知らないの?」


「女が野球するなんて、聞いたことねえ」

 まだいうか。もっと文句をいってやろうとしたら、鹿さんが口をはさむ。


「ケンカすんなあ。おめえたち仲間だろ。早く次の石みつけねえと。おらも手伝ってやる」


 あたしはふんと、鼻息荒くそっぽをむいた。


機嫌きげんなおせ。じょうちゃん、おらの背中に乗してやっから」


 鹿さんのなぐさめるようなやさしい言葉に、怒りはだんだんひいていく。


「次の石は、山の中なんだ。アス、乗せてもらえよ」


 ゲンスズメがちょっとだけ反省したのか、あたしの顔色をうかがいながらいう。

 しょうがないな。これだけいわれたら、機嫌なおさないわけには、いかないじゃない。


 動物園のロバには、お父さんと乗ったことがある。幼稚園の時だ。すごくゆれて、泣き出したのを覚えてる。

 この鹿さんはあの時のロバよりずっと大きい。それでも、今のあたしは乗ってみたい。


 四本の足をおり、腹ばいになった鹿さんの背中におそるおそる乗った。お尻が鹿さんの体温を感じてじんわりあったかい。


「ええか、角をしっかり持ってろ、立ちあがるぞ。せえの」


 かけ声をかけながら、鹿さんは前脚まえあしから立ちあがる。あたしは大きく後ろにふられる。つかんでいた角をぎゅっとにぎりしめた。

 今度は、後ろ脚。前のめりになったけど角を強くつかむ。太ももの内側に力を入れ、鹿さんの胴体をがっちりホールド。ゆれる背中からすべり落ちず、一人で乗れた。


 うわー、鹿さんの背中からみえる景色は気持ちいい。空は近いし、風がほほをかすめていく。スズメたちは、角にとまっていた。

 メルヘンだ。リアルメルヘンの世界だ。だれかに、写真とってほしいな。


 のぼり坂が続く山道も、鹿さんに乗ってたら楽ちん。途中、昨日遊んだ川でくつと足を洗った。より道したけど、サブスズメの案内で星のかけらのありかまでやってきた。

 そこは、がけの上だった。鹿さんからおりて崖をのぞき込む。小学校の校舎こうしゃの三階からみおろす景色より高い。

 崖の途中に段差がある。そのせまい場所に白い石が落ちていた。


 あれとるの? あたしは、ごくりとつばを飲み込んだ。


「あそこまでロープを使って、アスにおりてもらおうかと思ったんだけど。危ないから、違う方法考えるよ」

 ちらりと、サブスズメはあたしをみていう。鹿さんの角には、さっきのロープがひっかかっていた。


「でも、違う方法っていっても――」

 あたしの言葉が、崖に吸い込まれていく。


「よし、そんならおらがとってきてやるよ」




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