第2話

 声を上げた男は雨の中、傘を差さずに立っていた。ハンチング帽をかぶっており、その眼は殺意に満ち溢れていた。

「お前、鷹木 恵一けいいちだな?その少年をどうするつもりだ」

「どちら様?」

「どうせ殺すんだろう。そんなことは、させない」

「(やっぱり殺されるのか俺!?)」

 男の語気は荒く、鷹木への憎しみが伝わってくる。が、当の鷹木は関わりたくない、といった面持ちで、めんどくさそうにしている。

「で、なんの用ですか?まぁ僕の名前知ってることから大体察しはつくけど…」

「決まっている。仲間たちのかたき討ちだ…!」

「助けてください!」

「あ、ちょっ」

 廻はたまらず叫んだ。今、自分の手を引いているのは人殺しであり、向かいに立つハンチング帽の男はそんな自分を助けてくれようとしている。藁にも縋る思いで助けを求めた。そしてそれは男に届いた。

「!ああ、待っていろ少年!必ず助ける!この俺の…」

 男の両手の周りの空気が歪む。

「『風斬羽エアカッター』でな!」


 男が手を振るうと、巨大な空気の刃が鷹木を襲った。

 男から放たれた空気の刃は、降りしきる雨を払いのけながら一直線に鷹木へ向かっていく。鷹木は高速で迫る刃を身をひねりながら躱したが、廻の腕を離してしまう。二人の間を通り過ぎた刃は空地の壁へぶつかり、巨大な跡を残して消えた。

「(なんだ今の!?あの人が出したのか!?)」

 鷹木の手が離れ、自由になった廻はその場に座り込んでいた。廻には何が起こったかさっぱり分からなかった。目の前で起きた衝撃を受け止めきれず、その場に座り込んでしまった。

「よく避けたな…。少年!俺の傍へ来い!」

 男の声に我に返る。なんとか体に力を入れ、急いで男の下に走った。

「大丈夫か少年」

「はい、なんとか…」

「下がっていろ。俺の傍から離れるなよ」

 男はそうとだけ告げると前方を見据え、再び集中した。ここで確実に鷹木を殺すつもりらしい。廻は何もできないので、男の言うことにおとなしく従った。

「いきなりひどいな」

 鷹木はついた泥を払いながら立ち上がった。

「でも、今ので思い出したよ。あんた、筒井つつい 貴理弥きりやだろ」

「俺の名を知っていたか。仲間の無念を晴らすため、死んでもらうぞ鷹木!」

「死ねるかよ…まぁいいや。それよりも、おい、君ぃ!」

 鷹木は廻に呼び掛ける。

「そいつがどんなやつか知ってんのかい?」

「え…?」

「そいつはね、なんだぜ」


「(連続殺人犯!?)」

 鷹木の言葉は信じられないものだった。自分を助けてくれようとしている人が、守ってくれた人が、まさか連続殺人鬼であるなんて。廻は否定してほしい気持ちで筒井の方を見る。しかし、

「それは一般人ゴミが作った法の話だろ?一般人ゴミの基準で俺たちを語るなよ。それにな、それがどうした。殺す権利が俺にはある。俺たちはんだからな」

「権利…?」

 狼狽える廻に筒井は語り始めた。

「俺はな、昔から人を斬ってみたかったんだ。でも殺人は犯罪だ。許されるわけない。だからこの願望は死ぬまで隠して生きていこうと思った」

 でも、と筒井は続ける。

「ある日突然、この能力『風斬羽』を手に入れた!これがあれば、なんの証拠も残さず人を斬れる。俺が一番欲しかったものだ。ガキみたいに喜んだよ。で、同時に気づいたんだ。能力は使わなきゃ意味がない。これは許可証なんだ。天の神様が俺に、思う存分人を斬っていいよ、って許してくれたんだ。俺は特別なんだ、ってな。だから、たくさん、たくさん、たくさん、人を斬ってきた。なのにだ」

 筒井は鷹木を睨む。

「なぜかそれを理解できないやつらがいるんだよ。しかも俺と同じように選ばれた人間のはずなのに。そいつらは俺たちの邪魔をする。権利を行使する俺たちの命を狙ってる。そのせいで大切な仲間もたくさん殺された。なあ、少年もそうなんだろ?」

「…は?」

「少年も、権利を行使していただけなのに邪魔されて、殺されそうになってたんだろ?安心しろ!あいつは必ず俺が斬り刻む!」

 筒井の顔に悪意は一切感じられない。むしろ良いことをしているとさえ思っていそうだ。目に力があり、正義に駆られた戦士のようである。それが廻には怖かった。喋っているのは日本語のはずなのに、理解できない。だからこそ、

「…違う」

「なに…?」

「俺はお前とは違う!この力を権利だと思ったことなんてないし、自分が特別だなんて思ったこともない!」

 同調するわけにはいかない。相手は殺人鬼、人を殺すのに躊躇いのない男だ。だが、同じ扱いを受けるわけにはいかなかった。例え殺されようとも、これだけは主張しなければならない。

「あんたみたいなイカレやろうと一緒にするな!」

「少年、何を…」

 廻はそう宣言すると、筒井と距離をとる。廻は筒井を拒絶した。予想外の反応だったのか、筒井はかなり動揺している。

「いやぁ、良かった良かった」

 鷹木が笑った。

「もし、君がそいつに感化されでもしたら、消すしかなかったからね。仕事が増えずにすんだよ」

 なんてね、と鷹木は笑っているが、廻にとっては笑えない冗談だ。まだ警戒心を解くわけにはいかない。

「僕はね、そいつみたいにイカレたヤツらが、周りの人々に迷惑をかけないよう、秘密裏に消して回る仕事をしてるんだ」

「それじゃ、この空地の霊も…」

「そいつの同類。能力で他人に迷惑かけて当然と思ってるクズだよ」

「そうだったのか…」

「だから、君がここでなんかしてるの見た時はさぁ、おどろいたよ。見られたのかもしれないってね。なぜか僕の名前も知ってるし、そいつと一緒で復讐しに来たのかと思ったよ」

「(クソ、やっぱり見なかったフリをすればよかった!)」

 廻は不用意に首をつっこんだ過去の自分を呪った。大人しく見なかったフリさえできていれば、こんな思いをせずにすんだはずだった。


「…そうか。少年、君は…」

 不意に、黙っていた筒井が口を開いた。

「君は、いや、お前は…俺の敵なんだな」

「うわっ!」

 筒井が腕を振るった。『風斬羽』の刃は廻に向かって襲い掛かる。寸でのところでなんとか避けるが、あと少し遅かったら、今地面を抉っている斬撃跡は廻の体に刻まれていただろう。

「お前も一般人ゴミと同じ思考しかできない落ちこぼれかよ。がっかりだぜ」

 筒井の顔から表情が失われていた。筒井の目には、廻が斬り捨てるべきゴミとしか映っていない。今目の前にいるのは紛れもない連続殺人鬼だった。目の前のゴミを今度こそ消すために筒井が腕を振り下ろそうとしたとき、

「おい」

 鷹木が口をはさんだ。

「あんた、僕を殺しに来たんだろ?相手を間違えるなよ」

「待っていろ。このガキを殺したら相手してやる」

「そのでか?どれだけ待てばいいんだ?」

「…なんだと?」

「聞こえなかったか?あんたの能力はゴミみたいだって言ったんだよ」

 鷹木はにやりと笑うと、手を開いて誘う。

「来いよ。さっさと仕事を終わらせたいんだ」

「…いいだろう」

 筒井の腸は煮えくり返っている。神から与えられた権利を奪おうとしていること、大切な仲間たちが殺されてきたこと、そしてなにより、自慢の『風斬羽』をコケにされたことが許せなかった。反応からみて、戦闘向きの能力ではない目の前のゴミは放っておいてもいいだろう。いつでも殺せる。ならば、

「望みどおり先に殺してやる!!!」

『風斬羽』を発動し鷹木に向かって放つ。両腕から放たれた二つの刃が襲い掛かる。が、鷹木はそれを難なく避ける。

「シャアアアア!!」

 筒井は一心不乱に腕を振るい続けるが、一向に当たる気配はない。

「(筒井の能力は、腕に纏った風を、腕を振るうことで空気の刃に変え放つ。威力はすごいが、腕の振りを見てればある程度軌道は読めるし、降ってる雨のおかげで撃ち出された刃の形もわかる。隙だらけだ!)」

 鷹木は攻撃をかいくぐり、どんどん近づいていく。

「そんな大振り当たらねぇよ!」

 鷹木が筒井の懐にもぐりこんだ瞬間、筒井がにやりと笑った。

「かかったな、阿保が!」

 ザシュッ、と鋭い音が鷹木の耳元で響く。鷹木は思わず飛びのいた。首筋からは赤い血が流れ落ちていた。


 筒井は考えもなしに腕を振り回していたわけではなかった。

 筒井は連続殺人鬼である。その能力を使い証拠を残さず人を斬り殺してきた。最初は仲間に手伝ってもらい人気のない場所へ獲物を拉致し、思う存分腕を振るっていた。が、それには仲間の事情や場所の選定など何かと制限が付きまとうので、好きな時に斬りたい筒井にはとてももどかしかった。仲間を待たず、街中で暴れるのもアリかと考えたが、仲間内で話題になっていた「邪魔者」に見つかるのは面倒なので、それも諦めた。

 どうすればいいか悩んでいた筒井が編み出したのが、『風斬羽』を腕ではなく、指に纏わせる方法である。この方法であれば指先を少し動かすだけで『風斬羽』を飛ばすことができる。指に纏う『風斬羽』は威力、範囲、共に小さくなるが、その代わり速度と次弾を撃ち出すまでのスピードがあがった。筒井はこの技を使うことで、誰にもばれずに街中で辻斬り的殺人行為を繰り返した。筒井はこれを『風斬羽・鋒軌エアカッター・ナイフ』と名付けた。

 筒井はあえて大振りをすることで油断させ、懐にもぐりこんできた鷹木の急所を『風斬羽・鋒軌』で斬り裂いたのである。

「(チッ、思わず下がっちまった。めんどくさいもん使いやがって)」

「どうした、来ないならこっちからいくぞ!」

 筒井が右腕を振るう。鷹木は飛んでくる刃を何とか避けるが、

「そこだ」

「がっ!?」

 避けた先で『風斬羽・鋒軌』が右肩を貫いた。そして、鷹木の動きが止まったと同時に、無数の小さな刃が鷹木の体を斬り裂いた。

「ぐああああっ!」

 傷つけられた鷹木の体は、いたるところから出血しており、あしもとには雨でできた水たまりに血がにじんでいる。

「いい気味だな鷹木!お前を斬り刻むのはなによりも楽しいぞ!」

 筒井は高らかに笑う。鷹木は血を流し膝をついている。あと少しで殺せる、仲間の仇が討てる。俺の『風斬羽』をゴミと罵った鷹木を、この手で斬り刻むことができる。あと少しだ。絶頂を味わう瞬間まであと少しなのだ。筒井は勝利を確信し、興奮していた。


 鷹木が動いた。血を垂らしながら、まっすぐ筒井をめがけて走ってくる。

「(血迷ったか?いや、わざわざ近づいてくるということは、ヤツの能力はおそらく近距離型、最後の賭けにでたか!)」

 筒井は左手の指に風を纏い、『風斬羽・鋒軌』を放つ。しかし鷹木に向かってではない。鷹木の両脇を、逃げ道をふさぐように放った。

「(これで逃げ道はふさいだ!来い!真っ二つにしてやる!)」

 右腕に力を込める。『風斬羽・鋒軌』で作った道を塗りつぶすように、巨大な空気の刃を形成する。

「死ね!」

「うわああああ!」

「が!?」

 渾身の『風斬羽』を放とうした筒井の頭を廻が殴りつけた。手には石が握られている。初めて見る能力者の戦いに腰が引けていた廻だが、明らかに鷹木が負けそうな展開に座り込んではいられなかった。鷹木が負けるということは、この後自分が殺されるということである。死を逃れるため廻は勇気を振り絞り、傍に落ちていた石で筒井に殴りかかったのだ。

「ぐっ、この…ゴミがああ!」

「ありがとよ、君。いい根性してるぜ」

「!」

 筒井が廻に気をとられている間に、鷹木は筒井にたどり着いていた。振り返り、苦し紛れに振るわれる筒井の右腕を、鷹木は振り切る前につかむ。

「やってくれたな筒井」

「くっ、『風斬_」

「後悔するなよ。。」

 鷹木の


 それは、なんと形容したらいいかわからない、としか言いようのないものだった。開かれたそれは鷹木の体に無数についており、牙のようなものがついているが、中は暗く、底が見えない。

「貴様なんだそれはぁああ!?」

「あんたがつけた傷だよ。

 そういう鷹木の顔で、血を流していた頬の切り傷が、牙を生やした口に変わった。口はどんどん大きくなり、鷹木の体から飛び出そうになっている。一つの口が筒井に齧り付いた。それに続き、無数の口が筒井に食らいつく。

「ぎゃあああああ!!!!!」

「あんたが悪いんだぜ?こんなにたくさん傷をつけるから」

 鷹木の口たちが筒井を貪った。


 口たちが筒井を平らげるのに三十秒とかからなかった。もうここに、筒井はいない。いた形跡さえない。雨の中、残されたのは廻と鷹木の二人だけだった。

「さて」

 鷹木が振り返る。鷹木の傷はいつの間にか治っていた。あれだけあった傷が消え、血も止まっている。

「それじゃあ、行こうか」

 もう歯向かう勇気も気力も、廻は持ち合わせていなかった。














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