河童 そして怪しい影

「逃げよう!」

 ボクは怜悧の肩に手を回して押した。

 河童からも、怪しい影からも逃れる方へ。

 クケケケケケケ!

 霧の中を、奇妙に甲高い、喉を震わせるような鳴き声が響いた。

 クケケケケケ!クケケケケケ! 

 鳴き声が連鎖して、四方に響く。

 耳障りで不快な声に、思わず耳を塞ぐ。

 方向感覚がなくなり、妙に耳に残る鳴き声のせいで、耳鳴りがし、河童の足音が聞こえなくなった。

 これはまずい。

 怜悧も、左手にけだまを抱えたまま、顔をしかめてカーディガンの袖で片耳を塞いでいる。

 ずしゃ。

 急に、真横で足音が聞こえた。

 顔を向けると。

 そこには。

 河童がいた。

 なんで、河童だと分かったかって?

 今までこんな生き物、動物園でも水族館でも見たことなかったし、伝え聞く、河童の特徴を備えていたから。

 それは、河童としか言いようのない、生き物だった。

 前身の色は青と緑の合いの子。

 大きく、ヌラヌラ光るうろこが腹部を除く、体中をびっしり埋め尽くしている。

 腹は、濃い緑でつるつるしている。

 背はデカくない。

 ボクや怜悧より、20センチは低い。 

 ただ、幅がある。

 ボクの3倍、怜悧の4倍。

 猫背で手が長く、指先が膝まで来ている。

 頭の周りにシャンプーハットみたいなギザギザがあり、天辺がへこんでいて、そこは黄ばんだ白い色。

 目は大きく、窪んでいるせいで、黒っぽいとしか分からない。

 見つめ合ったのは短い間だけど、黒い大きな目の表面を、時折、白く濁った膜が覆うのが見えた。

「うっわっ!」

 気持ち悪い!

 思わず後退し、怜悧にぶつかった。

「きゃう」

 けだまが鳴いた。

 ゆらりゆらり、揺れていた河童の動きが、ピタリと止まった。

 が、それも一瞬のことで、再び揺れ始めると、揺れに合わせて膝を曲げずに前に出た。

 ずしゃり。

 圧倒的な生々しさとおどろおどろしさ、そして気味悪さに思考が停止していたが、後ろからぐいっと引かれて動けるようになった。

「逃げなきゃ!」

 怜悧が叫んだ。

 クケケケケケ!クケケケケケ!クケケケケケ!

 再び不快な鳴き声。

 耳を塞ぐ。

 そうこうしている内に、目の前の河童は数を増し、ついに5つの河童が視認できる距離に現れた。

 こんな…こんなのって…

 河童はずしゃりずしゃりと囲む様に距離を詰めてくる。

 ボクは怜悧を隠すように、両手を広げた。

 もちろん、いつでも走れるように中腰は忘れていない。

 でも、どこに逃げる?

 踏み出した先が、窪みだったら?

 逃げ出した先が、どうしようもなく行き止まりだったら?

 足元が見えないことが、こんなに不安だなんて。

 道があることを確かめるように、少しづつ後退しながら、何かないかと左右を見渡した。

 目の前では、河童達が両腕をそろそろと上げ始めた。

 いよいよ来るのだろう。

 一か八か、体当たりして活路を開くか…いや、なにか、せめて木の枝でも落ちていないか…

 もう一度、左右を見渡した。

 と。

 視界の隅、左の斜め上方から、何かが風と共に猛烈なスピードで現れた。

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