河童 五里霧中の罠

 何がどうなっているのか分からない、そう怜悧に言った気がする。

 そのことをもう一度、思い知らされた。

 怜悧に導かれるまま、霧の中を歩いた。

 それが、ベストだと思ったし、何しろ、どういう形にしろ、怜悧と触れ合っているのは、至福だった。

 両手を威嚇するように掲げている5匹の河童の横に回り、息を殺すようにして、遠巻きに擦れ違った。

 ふうっ。

 思わず溜め息。

 このまま遠ざかって、距離が取れたら、住宅街に入り込める道を探せばいい。 

 そう思った時、何か違和感を感じて、立ち止まった。

 手首が前に引かれる。

 けっこうな力だったが、踏ん張って、逆に手首を引いた。 

 意志は伝わったようだ。

 怜悧が立ち止まった。

「なん…」

「しっ!」

 ボクは右手の人差し指を自分の唇に当てた。

 そして、違和感を確かめるべく、後ろを振り返った。

 やっぱり。

 左斜め後方にいる、河童5匹は、立ち止まってしばらくたっても、大きさが一向に変わらない。

 だが、さらに後方に目を向けると、遠くに見えた3体の影は、随分近づいている。

「えっ?!なんで?!」

 怜悧が驚いたような声を出し、ボクは振り返った。

 マジか。

 抜けたはずの5匹の河童が、前方に浮かび上がった。

 違いは、手を挙げていないこと。

 ただ、体が上下する度に、少しづつ影が濃くなっているから、動いているのは分かる。

 多分、おそらく、ことによると。

 今擦れ違った、いや、通り過ぎた河童5匹は、正しくは、5体だったのだ。

 つまり、なんでか知らないが、どこかのタイミングで、ボクらは川原に下りて、河童像に向かって歩いていたのだ。

 前に襲われた時、相手が両手を挙げて向かって来たから、動かぬ石像を、勝手に襲ってくるものだと思い込んでしまっていた。

 その河童像が後ろにある、ということは。

 前方から迫る影が、ずしゃずしゃ言う音の主達だということ。

 いっぱい食わされた。

 いや、勝手に勘違いしただけか。

 どちらにしろ、追っ手と思われる3つの影は、相当近い。

「走ろう!」

 ボクは怜悧の細い手首を握って、右に進路を取った。

 なんにしろ、目指すのは右、住宅街。

 河童像との位置関係が分かったことは、この逆境の中ではプラスの材料だ。

 ずしゃずしゃずしゃずしゃ。

 な!

 なんで?!速い!

「あいつら、水の近くだと速くなるみたい!」

 ボクの心を読んだように、怜悧が叫んだ。

 マジか。

 ボクは足を速めた。

「あっ」

 声を出した怜悧を振り返る。

「傘が…」

 怜悧は走りながら振り返った。

 傘を落としたらしい。

 怜悧は諦めたように前を向いた。

 ほんとなら。

 実は、怜悧の方が速い。

 情けない話。

 ボクは生憎の文化部生まれの文化部育ち。 

 体育の授業以外、ろくに筋トレしたこともない。

 校内のマラソン大会では、前半元気、後半死にそうになるか、前半から後半までずっと休み休み早歩きするかのどちらか。

 対する怜悧は。

 基本帰宅部の癖に、速い。

 高校ではまだ見てないが、中学までは、体育祭のヒーローだったし、マラソン大会は女子では1位、男子入れても5位には入っていたはずだ。

 だけど、今は、スニーカーは履いているものの、左手でけだまを抱えているせいか、走りづらそうだ。

 もちろん、けだまは立派な犬で、いいわんちゃんだ。

 だが。

 どんなに頑張っても三輪車並みのスピードだし、こいつは真っ直ぐは走れず、転がる習性がある。

 つまり、抱えて走るしかない。

「あっ」

 今度はボクが低く声を発して、掴んでいる怜悧の手首を離した。

 残念だが、絶対その方が走りやすい。

 怜悧はボクの顔を見て頷くと、けだまを両手で抱きなおした。

 

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