河童 境界線の向こう

 後ろを振り返ると、やはり、と言うべきか。

 3つの影だけが、霧の中に浮かんでいた。

 ただ、幸いなのは、その影がまだぼんやりしていること。 

 少なくとも、前方の5匹よりは随分遠くにいるようだ。

 そして、前方の5匹は、道を塞ぐように迫って来てはいるが、相変わらずのずしゃ、ずしゃ、という一歩一歩、踏みしめるようなテンポの歩き方で、速くはない。

 しつこいようだが、河童としたら、霧の中、水分があるとはいえ、存外陸上ではそんなに速くないのかも知れない。

 それか、ボクらをまだ、見つけたわけではない、とか。

 どちらにしろ、まだ活路はありそうだ。

 だとすると。

「怜悧」

 異常事態とはいえ、大胆なことに、ボクは怜悧に寄ると、耳元に小声で囁いた。

 怜悧から、髪なのか、服なのか、それともそういうモノなのか、いい匂いがして、大変やる気が出た。

「なに?」

 怜悧も小声で聞き返してきた。

 けだまは、怜悧の腕の中でフルフルしている。

 鳴かない、いい子だ。

 実際助かる。

 ボクは常々、ドラマだろうと映画だろうと現実だろうと、ピンチの時に泣くやつが嫌いだ。

「何だか分からないけど、なんだか嫌な予感がする。前から歩いてくるやつら、この前の霧の中で襲われた時みたいに、明らかに変質者だし。後ろからもつけられているみたい」

「やっぱり?」

「やっぱりって…怜悧なんか心当たりあんの?!」

「しっ!それは…今度、そう、今度話すのでいい?今は…逃げなきゃ…でもこんなの、こんな大勢は初めてだから…」

 怜悧は何か知っているようだ。語尾を濁して俯いた。だけど、それは一瞬だった。

 すぐに顔を上げて、前方をきっと睨みつけた。

 相変わらずの憂い顔だが、目つきは鋭い。

「なんでわたしが…ううん。今はそうじゃない。今はどう逃げるか。そう、前に答えがあるはず。あいつら遅いから、横を擦り抜けて、右に曲がって家の方に向かえば…きっと…」

 怜悧はボクが言おうとしていた事を、独り言で全部言ってしまった。

 今更「それ、ボクも思ってた」って言うのもなんか格好悪い話で、ボクはただ、黙って頷いた。

 怜悧が空いている右手で、ボクの左手首を掴むと、ゆっくりと右斜め前方に歩き出した。 

 ラッキースケベってほどじゃないけど、不意に訪れた幸運にボクは思わず目を瞑って神に感謝した。

 好きな人がいて、好きな人の温もりを感じられる距離にいるって、こんなに凄い幸せな事なんだって、世界中にツイートしたかった。

 ツイッターやってないけど。

 多分、怜悧はボクと全然別の事を考えていたと思う。

 その足取りは、意志を持った足取りで、緩やかだが、止まる気配はなかった。

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