笹巻河童祭り 曇天に佇む少女

 目覚ましの音で目が覚めた。

 いつもなら有り得ない目覚めの良さで、文字通り跳ね起きると、妹が選んだ服を着る。

 下のリビングの時計は17時5分。

 はあっ?マジで?

 自分に腹が立つ。

 鏡を見る暇もない。

 手櫛で髪を撫でつけると、速攻で外に出た。

 視線の先、門の前に、傘を持った怜悧がいた。

 何もない足元を蹴っている。

 まだ、真っ暗ではないが、曇っているから世界は灰色だ。

 灰色の世界だからこそのコントラストで、水色の膝丈のワンピースに、薄い緑のカーディガンには腕を通さず羽織っているのが、ひどく大人びて見えた。

 紺色のスニーカーも色気がある。

 手に何か白い物を持っているが、ここからでは分からない。

 バックか何か、だろうか。

 門の目に佇む怜悧を見て、なんて言っていいか分からなかった。

 ただ、ヤバい、すごい、最高だ、そう思った。

 人間、心と脳をやられたら、語彙力はなくなるらしい。

 とにかく。

 ボクは怜悧に走り寄り、全力で頭を下げた。

「ごめん!」

 怜悧は口をへの字にしたまま、黙って肩を竦めた。

 こういう時、何か言って欲しい。

 「いいよ」とか「最悪」とか、なんでも。 

 何か言ってくれたら、会話をつなげられるのに。

 ボクはもう一度謝った。

「ごめん!ほんとごめん!」

「いいよ。別に。気にしてない」

 怜悧が言った。

 ボクは怜悧の足、膝と恐る恐る顔を上げた。

 途中、お腹の辺りで、白い物体と目が合った。

 それは、けだまだった。

 怜悧の飼っている真っ白でふわふわしたポメラニアン。

 相変わらず、パンダみたいな垂れ目の間抜けな顔で小首を傾げ、ボクのことを不思議そうに見ている。 

「ごめん」

 もう一度謝る僕に、怜悧は「もういいって」とだけ言って、さっさと歩き出した。

 慌てて後を追う。

 今日はボクが怜悧の前を歩く予定が、最早出だしで躓いた。

 前方遠くから、太鼓と笛、そして微かに鈴の音が聞こえる。

 ドンドンドドンド、ドンドドドン、ひゅるりらひゅるりらひゅるりらひゅうひゅう、シャンシャンシャン。

「天気悪いね」

「そうだね」

「信之おじさんと泰子おばさんは?」

「まだ患者さん診てた。天気が悪いと、患者さん多いんだって」

「そう…けだま、連れて来たんだ」

「うん。ほんとなら、けだまと遊んでる時間だから」

 当たり障りのない会話だが、それでもボクは嬉しかった。

 女子はいざ知らず、この千沢市の男子で、今週怜悧と千字以上会話しているのは多分ボクだ。これは、見込みがある。

 怜悧の足取りが速いので、住宅街を抜けて、大崎川沿いの道、河童祭りの会場にすぐに出た。 

 祭囃子が聞こえていたから、そうだとは思っていたが、山車はもう、何台目かが土手に沿って運行していた。

 晒しを巻き、紺の法被を纏った跳人達が、組ごとめいめいの踊りを跳ねている。

 去年は、岩舘赤坂と三人で、跳人の中で一番の美人を見つける選手権を開いていた。 

 今年は怜悧しか印象に残らない。

 怜悧の跳人姿を妄想してみたりしていたが、隣にいる生の怜悧の迫力は、ボクの妄想なんか、はるかに超えていた。

 けだまを抱きしめて、山車を眺める怜悧を、ボクは眺めていた。

 憂いを帯びた黒目がちな目にかかる前髪。

 綺麗に整った鼻筋。

 尖った顎と、白く伸びる首筋。

 薄手のワンピースで覆われた胸元。

 Cぐらいかな?分からんけど。

 完璧だ。

 完璧なCだ。

 いや、完璧だとKか?違う、完璧はPだ。

 怜悧に気づかれないように、怜悧の姿をなぞっていると、間抜顔のけだまと目が合って、ボクは目線を山車と跳人に戻した。

 

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