第9話

 勇者は可哀想なくらい真っ青な顔で私の顔を見る。

「それでは改めまして勇者さま、これからよろしくお願いしますね? あの人がずっと私の傍にいられるようになるまでの短い付き合いになるとは思いますけど」

 そう笑いかけると、勇者はさらに顔を強張らせて私を見る。

 魔王を倒した怖いもの知らずの勇者の面影と余裕は何処へやら、その様子はいもしないオバケに怯える子供のようにも見えて、とても滑稽だった。

 ……まあ、この程度でいいか。

 もう十分だ、気が晴れた。……それにこれ以上やると恨まれそうだし。

 笑みを消して大きく溜息を、ついでに肩もすくめる。

「……と、いうのは冗談です」

「………………は?」

 勇者は非常に呆けた顔で私を見た。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔って、多分今の勇者みたいな顔を言うのだろうなと思う。

 とても間抜け面だった、ディアンさんと同じ顔でそういう顔しないでほしいのだけど。

 思わずもう一度深々と溜息を吐いてしまった。

「……なんだって人間ってこんな簡単にころっと騙されるんですかね……少しは冷静になってくださいよ、私にそんな大層なことができると思います? 私を何だと思っているんです? 幻術と罠が得意なだけの脆弱な魔女ですよ?」

「え? え?? 待ってくれ、何から何までが冗談、だっていうんだ??」

「……まずですね、残念ながら私はそこまで優秀は魔女ではありません。あなたの話を聞きながらあの短時間で森に仕掛けた魔法の術式を書き換えるとか、不可能です」

 そんなことができるくらい優秀な魔女だったらよかったのだけど、あいにく私はそこまでできる魔女ではない。

「えっと……つまり?」

「つまり、あなたはこの森に閉じ込められてなんかいないんですよ。この家から出て少し進めば、後は勝手に森が入り口まで帰してくれます……というかですね、仮に私がそれをこなせる魔女だとしましょう。それで本当にあなたをこの森に閉じ込めてしまったとしましょう……どうなるかなんて明白じゃないですか」

「……え?」

「あなたが帰らなければ探しに来る連中がいっぱいいるじゃないですか。あなた、別にこの森に来ることを隠していたわけではないのでしょう? ならあなたが帰らないことを不審に思ったあなたの仲間が徒労を組んでこの森に突撃して来るのなんか目に見えてるじゃないですか。……この森、ご存知の通り幻術と罠ばっかりでそれ以外はザルなんですよ。焼き討ちとかされたらどうしようもないんですよ……そんな破滅の道にわざわざ進むほど私は馬鹿じゃないんです」

 なんでこんな簡単なことに気付かずにあんな青い顔をしていたんだろうかこの人は、と思いながら話をさらに進める。

「……大体ですね、私が何もしてなかったことなんかあなただって十分知ってるじゃないですか。あなた仮にも勇者でしょう? 私がなにか妙なことをやっていればすぐに気付くはずではないですか。……なんだってあなたほどの方が自分の感覚を信じずにこんな見ず知らずの魔女の根も葉もない言葉を信じるのです……?」

 呆れ返った口調でそう言うと、勇者は少し考え込んだ。

「…………確かに、そんなそぶりはなかった……」

「でしょう? それだと言うのにまんまと私の話を信じ込んで……あなたってなんというか…………単純な方なんですね?」

「………………よく言われるよ」

 苦虫を噛み潰すような顔の勇者にまた溜息を吐きかけたけど、やめておいた。

「……それじゃあ、全部嘘だったってことか? 僕を閉じ込めようとしたことも、彼を取り戻そうとしたということも……君が彼のことを好きだということも」

「ええ。ご安心下さい。ごめんなさいね、少しからかいたくなってしまって……最後以外は嘘ですから、本当にご安心下さいな」

 微笑みながらそう答えると、勇者は思い切り顔を強張らせた。

 何かおかしいことを言っただろうか、この人にとって都合の悪いことを言った覚えはないのだけど。

「…………さいご……最後は、嘘じゃないのか…………? それじゃあ君は本当に彼のことが」

「ええ。好きですよ? それが何か?」

 首を傾げると、彼は頭痛に耐えるような顔で小さく何かを呻いた。

「……ほんとうに?」

「ええ。ほんとうですよ…………ですがご安心下さい、今更あの人を取り返そうだなんて思ってませんよ」

 そう断言したのに、勇者は疑り深い目で私をじっと見つめるだけだ。

 ちょっとした意趣返しのつもりだったのだけど、少しやりすぎたかもしれない。

 面と向かって人と話すなんて随分と久しぶりだから、柄にもなくはしゃいでしまったのかもしれない。

 ほんの少し前の自分の発言に後悔しつつ、私は弁明のために口を開いた。

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