第7話

【赤のアネモネの森】は、辺境のど田舎中のど田舎に存在する小さな森だ。

 森とは言ってもその中はとても明るくて、そこら中に一年中、赤いアネモネの花が狂い咲いている。

 この森のアネモネは普通のアネモネとは違って、少々特殊な性質を持っている。

 この森のアネモネの花粉には、生き物を惑わせる特殊な成分が含まれているのだ。

 なので中に人間が入れば、その花粉の効果によって迷い惑うことになる。

 そんな森にある日一人の魔女が住み着いた。

 魔女は幻術と罠を扱う魔女だった。

 魔女は自らの魔法を使って、森を自分の魔法で埋め尽くした。

 誰も魔女が住む森の中の家にたどり着けないように、様々な幻術と罠を仕掛けた。

 入ってきた他者の平衡感覚を狂わせ、この森を訪れた目的を忘れさせ、いつの間にか森の入り口まで自力で引き返させる。

 まっすぐ歩いているつもりでも、狂わされた平衡感覚によりいつの間にか方向転換させられ、森の入り口まで引き返った頃には森に入った理由すら忘却している。

 攻撃性は一切ない、迷わせはするが中に留めることなく穏便に追い返す。

 この森は魔女によって、そういうふうに作り変えられた。

 ……とはいっても、こんなド辺境の上に少し珍しいアネモネが咲いているだけの森に好き好んで入ってくるような変わり者は滅多にいないのだけど。


「そうか……この森は恐ろしいな……まっすぐ歩いていたつもりなのにいつの間にか引き返しているし……なんでここにきたのか、その理由すら忘れてしまうこともあった……いくら強化をかけても無駄だったし……何度も試してみたんだけど、それでもどうしようもなくて……」

「この森の特性を利用しているのもありますが、私の幻術はそこそこ出来がいいですからね。正攻法で突破できる方はほぼいないでしょう」

 正攻法で以外を使われれば実はだいぶ脆弱なものではあるのだが、それはあえて黙っておく。

 この男だってそんなことには気付いているのだろうけど。

 それでもあえてその方法を取らなかったのは……極力敵対という形をとりたくなかったのだろう。

「普通に歩いてこの森を攻略するのは不可能ですよ。運良くマジョタック用にわざと作ってある抜け道を見つけられたとしても……見つけられただけじゃあどうにもならないように罠を仕掛けているので」

 その抜け道だって不定期に変えている、だから普通は私の家までたどり着けるのはマジョタックの宅配員か私自身だけなのだ。

「……だからと言って、まさかマジョタックの荷物に紛れ込む、というか荷物として送られてくるとかいうのは予想外にもほどがありました。……提案者はその魔女さんですか?」

「ああ……何度試してもどうしようもなくて……一旦戻ってその魔女さんに相談してみたら……君がほしいものりすと? に使い魔を登録してるようだから、もういっそ使い魔扱いで送ってあげようかって冗談っぽく言われて……そうしてもらえるのなら是非、と」

 多分その魔女さんは本当に冗談のつもりで言ったのではないかと思う。

 それでもその魔女がその頼みを引き受けたのは、勇者のことを信用できる人間だと思ったから、だと思う。

 多分同族である私に非道な行いをしないと踏んで彼を私宛に送ったのだろう。

「……なるほど、経緯はだいたいわかりました」

 勇者がここにきた理由と、私にたどり着いた方法はひとまず理解できた。

 足りていない部分ももちろんあるのだろうが、それでも十分だ。

 だから、最後にこちらとあちらに存在しているのであろう、認識の齟齬を埋めてこの話を終わらせよう。

「ところで、私と彼の関係について、どの程度知っているのですか?」

「詳しくは、よく知らない……ただ、彼が君にひどいことをし続けていたということくらいしか……」

 彼でいる間は意識を失い、人伝で彼の行いを知ることしかできない勇者にとっては、確かにその程度の認識でしかなかったのだろう。

「……それでは、あなたは私が彼の事をどう思っていると考えて、ここにきたのですか?」

「…………恐れていると、嫌っていると思っている。僕がここに来る事で君を必要以上に怖がらせてしまうだろうとも思っていた、それでも」

 そう思って当然だ。

 そう思われるような扱いしか、私は受けていなかったのだから。

 殴られ、蹴られ、時には殺されかけ、犯されて、唯一の趣味であり唯一の楽しみであったお菓子を強奪され。

 好き勝手に扱われて、虐げられた。

 誰が見ても、私は彼から非道な扱いを受ける魔女で、気分屋で横暴な彼に対するスケープゴートのような存在だった。

「なるほど、なるほど。私に対するあなたの態度について少々違和感があったのですが、やはりそれが原因ですか。あなたは私のことを彼を恐れる被害者だと……そう思っていたのですね」

「ああ……しかし、どうしてそんなことを……」

 どうしてそんなわかりきったことを、と言ったような表情で勇者は私の顔を見た。

「あなたは彼が自分に残っている原因を魔女の呪いだと思った。だけどそれは魔女にとっては不本意なことだったのではないか、とも推測した。例えば、魔王に命じられて仕方なくの呪わされた、とか……」

「……ああ」

「被害者である私にとって、彼の存在は驚異となる……私にとって彼の存在は不都合なもので……なら私が彼の消滅に協力する可能性は高い……そう考えてこんな辺境の地にのこのことやってきた、というわけですか」

「…………何が、おかしい?」

 勇者は訝しげな顔で私の顔を見た。

 そこで、自分の口元と目元が妙な形に歪んでいることに気付いた。

 気付いた直後になんだかいろんなことがおかしくなってしまって、思わず口から笑い声が上がる。

 一度笑ってしまうと今度は止まらなくなった、おかしくておかしくて仕方がない。

 息が切れて、ようやく笑うことを止められた頃には、勇者がこちらを狂人で見るような顔で呆然と見ていた。

「……ぷっくく……ああ、すみません、ちょっとおかしくなってしまって…………御愁傷様です、勇者様。あなたは致命的な読み間違えをしたのですよ」

 笑い声を抑えながらそう言うと、勇者の顔にさらに困惑が広がった。

「そうですよねえそうですよねえ、わかりっこありません、私だってどうしてこうなっているのかよくわかりません。ひどいことしかされませんでした、理不尽でした、殴られて痛かったし、蹴られて苦しかったし、大事に食べようと思っていたお菓子も喰い尽くされるし……でもね、どうしてでしょうね、なんででしょうね?」

 自分でもどうしてそうなったのかは……なんとなくは理解しているけど、どうしてここまでのめり込んだのかは理解できていない。

 だって、あんなにひどいことをされたのに、多少は憎んでもいいはずなのに。

「誰にも……あの人にだって一言も言ったことありませんけど……私、あの人のこと、大好きなんですよ」

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