いつかまた三人でⅣ
雪自体はアルカスでも珍しくはないが、ここまで分厚く降り積もった光景は中々見られるものではない。ミラは一人、探検と称して外を歩き回る。
あの屋敷は暖かい。世話をしてくれるルトガルドも優しく、ベッドもふかふか。パンもふわふわで美味しい。だけど、少女には少し暖か過ぎた。
少しぐらい寒くて、三人がぎゅっと集まって温め合うのが好きだったのだ。あの屋敷だとそうする必要もなく、そもそもそんな雰囲気でもない。
ゆえに少女は一人、探検に飛び出したのだ。
「ふふん」
イイ感じの枝を拾い、気分は英雄のそれ。どんな敵が相手でも負ける気はしない。実際に犬猫程度ならアルカスでも彼女は蹴散らしている。
ずんずん、新雪の上を歩くのも気持ちが良い。
唯一、問題があるとすれば――
「いいなぁ」
「……むぅ」
間抜け面してついてくる同じ年頃の男の存在である。世話になっている屋敷の子ゆえ邪険には出来ないが、あの間抜け面が気に食わない。
悩みなんて一欠けらもなさそうな表情を見るとポカッと殴りたくなる。
アルカスで出会っていれば迷いなく殴っていただろう。
「ぼくもほしい」
「あげない」
「えー」
「ついてくるな!」
「あそぼーよ」
「やだ」
ミラは脱兎の如く駆け出す。それを見て少年、アルフレッドは目を輝かせた。彼の中ではどうやら、かけっこが始まったらしい。
「ついてくるなァ!」
「まてー」
足はミラの方が速い。しかし地の利はアルフレッドにある。結果、中々に激しくなる追いかけっこ。途中まではいい勝負であったが――
「ついてくんな!」
しびれを切らしたミラが立ち止まり、ぼこ、と左ストレートでアルフレッドを雪原に沈めた。目を白黒させるお坊ちゃま。当然、親にもぶたれたことはない。両親ともその辺りが甘く、逆にカイルは親や周囲から厳しく躾けられていた経験から、娘に対してもそれなりに厳しく躾をしていたのだ。
教育の齟齬、後は育ちの差。
「うう、ひぐ、ぶぶ」
「ふん」
泣くアルフレッド。それを無視して歩き去るミラ。ミラにしては大人の世界を考慮し我慢した方だが、最後は子どもの世界、子どもの理屈を押し通した。
それ即ち、力、である。
「ミラ、アルフレッド君はどうした?」
不機嫌な様子で屋敷に戻ってきた娘にカイルが問う。
「しんだ」
「……み、ミラ?」
「あっちでないてる」
「……!」
カイルは凄まじい勢いで駆けだし、鼻水を垂らしながら泣いているアルフレッドを回収。必死にあやしながら屋敷に戻ると、愛娘のおでこに強烈なデコピンをかまし、悶絶させた。これがカイルの愛の鞭、である。
「パパのあほ、くそばか、ぼけぇ」
「もう一発いっとくか?」
「…………」
顔を大いに歪めながら、しかしデコピンはごめんだと口をつぐむミラ。カイルはため息をつきながら娘が粗相をしてすまないと――
「ん!」
「……え?」
言おうとしたら、さっきまで何をしても泣き止まなかったアルフレッドが、おでこを出してまるでデコピンを催促するようにカイルを見つめていた。
「ちょーだい」
「……こ、これはね、悪いことをした子に対する罰なんだよ」
「……? よくわかんない」
よくわからないけど、面白そうだからやって欲しい。目をキラキラさせながらデコピンを待つアルフレッドに、カイルは顔を歪める。
まさか世話になっている恩人の息子に、自分が粗相をするわけには――
「カイルさん、やってあげてください」
「しかし、奥方。この子は何も――」
「この子は好奇心が向いていると言うことを聞かないのです」
カイルは参ったな、と思いながらアルフレッドを見る。容姿はあまりアルに似ていないと思っていたが、よくわからない頑固さは父譲りの様子。好奇心旺盛なところと、眼の奥がキラキラしているのもいつかの彼を彷彿とさせた。
それが、よくなかった。
「あっ」
往年の親友にするが如く、ばちこん、と決まったデコピン。その破壊力にアルフレッドは卒倒。ルトガルドは目を丸くし、ミラはゲラゲラと笑う。
「……いたい」
「す、すまない。大丈夫か⁉ つい、その、あいつと見間違えて」
「ひぎ、んぐ、び、びゃあああああああ!」
「ああ、やってしまった」
アルフレッド、大泣き。カイルは申し訳なさそうにアルフレッドとルトガルドに頭を下げる。ルトガルドは少し驚きつつも苦笑し「構いませんよ、自分が招いたことですから」と返した。とは言えカイルは恐縮しっぱなし。
その様子を尻目にミラは、
「バーカ」
満面の笑みでこっそり屋敷を抜け出し、一人探検を再開した。
さすがファヴェーラの娘、その抜き足差し足には誰も気づけなかったそうな。まあ、カイルはそれどころではなかったのだが。
「大丈夫です。この子、転んで泣いてもすぐにケロリとしていますから」
「し、しかし、そうは言っても」
「びゃああああ!」
「おお、よしよし、大丈夫かぁ」
必死に息子があやされる姿を見て、ルトガルドは微笑む。
(……あいつ、ですか)
思考は別のことに馳せながら。
○
患者を診て、医者たちは皆、渋面を浮かべていた。その病自体は偶然にも、この場にいる医者の一人が知っておりすぐに辿り着けた。
だが――
「マーシア随一の医家でも、お手上げだった、か」
「僕ら若手のリーダー的存在だったユランさんの奥方が発症してしまいまして。まあその奥方と言うのも内々の存在と言うか、名門としては絶対許されない相手でして、色々あったのですが……事実だけで言うと、治療のめどが立つことなくユランさんは国を追放されました。たぶん、治せずに亡くなられた、かと」
若き医者の言葉にウィリアムは顔を歪める。ユランと言う人物の顛末に関してはどうでも良いのだが、医療大国マーシアの名門一族でさえ歯が立たなかった、その事実は希望を打ち砕くには充分な情報であったのだ。
「無間砂漠を越えてきた者たちのみが持つ、病と言うことか?」
「最初はそう思っていたのですが、調べるとどうも違うみたいです。『黄黒病』、色んな呼び方があるみたいですが……この病はそもそも一度、ローレンシアで爆発的に流行り、当時大勢が亡くなったらしいです」
「……聞いたことがない話だな」
「眉唾ですが、ユランさんが言うにはこの大陸は一度、多くの歴史が途切れた時期があったみたいで、病が流行ったのはその前の話だとか」
「……ユラン氏は、その話をどこで?」
「ネーデルクス王家にはその時代の文献が秘匿されているらしく、キール家は王家にも顔が利くため、病根絶を建前に資料の閲覧を許されたとか。眉唾ですが」
「君は何故、その話を信じた?」
「根拠と言うには薄いですが、この病の事例ってローレンシアでもゼロではないんですよ。異民族ではなく、自ら外界との接触を遮断する民族では、稀ですが同じ症例と思しき記録がありました。あと、単純に――」
若き医者が頭をかきながら、
「同じ人間ですし、彼らしか保有していない病や、彼らにしか移らない病と考えるより、眉唾でもそちらの方が医学的には筋道が通るかな、と思いまして」
あっさりと言った言葉に、雇い主であるウィリアムと患者であるファヴェーラは少し、驚いたような顔をした。彼とて元はマーシアで医家をやっていたのだ。それなりの家の出なのだろう。それなのに彼は、異民族の血が色濃い彼女を同じ人間と言い切った。出自も、人種も、身分も関係がない。
医者から見れば全部同じ人間。腹を切れば皆同じ。
「何か変なこと言いましたかね?」
「いや、つまりこの病に対し、我々の多くは耐性を持っている、と言うことか」
「現状は、です。病の恐ろしい所は」
「そうだな。時を経てまた、同じような症状の病が流行することもある、か」
「はい。我々の退化か、病の進化か、我々にはまだわかりませんが」
絶望的な情報ではあるが――
「……ミラは」
「夫の血に期待しておけ。血の強そうな見た目だ。期待しても良いと思うぞ」
「……よかった」
楽観は出来ない。ただ、娘に関しては希望がある。
「ただ、その――」
「何だ?」
若き医者がウィリアムに近づき、患者に聞こえないように耳打ちする。
「ユランさんの奥方と同郷、とは限りませんが、その場合、民族内での近親交配が横行していたらしく、そもそも身体が病に弱い可能性も、あるかと」
「……その話は?」
「ユランさんが奥方から直々に」
「……そうか」
かつてアクィタニアから端を発した貴族至上主義。その結果、横行した近親婚によってかの国が身をもって示すことになったのだ。近親婚の危うさを。
血が濃くなれば身体は病に弱くなる。
ただ、皮肉にもその期間がかの国の全盛期でもあった。濃い血は病には弱いが、能力を特化、向上させる効果も、ある。
奇跡の血量、それによって得たものは大きかったが、失ったものもまた大きい。今現在、最も近親婚に対し厳しい国がアクィタニアなのだから――
押して知るべし、である。
ファヴェーラは自らの出自のことは知らない。興味がなく、それを知る両親はとうの昔に他界していたから。
「今回の案件、君が中心で動き給え。持っている情報を共有し、可能な限りそのユラン氏が試した方法をリストアップ、それを参考に動いてくれ」
「承知致しました」
「……頼むぞ」
今はただ、彼女自身の生命力と薄弱であっても積み重ねを元に動くしかない。冬でなければネーデルクス、それに異民族との接点であればアクィタニア辺りにも情報が転がっていそうである。そちらに手勢を差し向けることも出来た。
しかし、この雪では――
「黒星」
「はいはい」
「動けるか?」
「動けますけど……どう見てもその女、間に合わないと思いますが?」
「新入りのくせに口答えか?」
「いえいえ。正直者なだけです」
「……金は、出す」
「俺たちは結構高いですよ。特に、今のあんたじゃ、ね」
「それでも、だ」
「……了解。その執着、気になりますねえ」
出来ることはすべてやる。例えそれが徒労であっても。何の意味もない足掻きであったとしても、進むことには意味がある。
「……っ」
ウィリアムは自分の中に浮かぶ考えを、消す。情とは別の部分で、亡者たちが叫ぶのだ。その女の死を糧にしろ、と。
手勢を動かしたのはあくまで彼女を救うため。他意はない。あってはならない。だが、亡者が囁く。それで良い、と。
これでまた一歩、人は進む、と。何かが耳朶を打つ。
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