いつかまた三人でⅢ

 国の英雄が北方へ幽閉される。この報せは当然、彼らも手に入れていた。どうすべきか、夫婦で幾度も相談した。今の自分たちに出来ることなど何もない。それでも弱っているのなら、寄り添ってやるべきなのではないか、と。

 だが、彼が北方へ去る姿を見て、その考えは必要なかったのだと知る。傷だらけの落ちた英雄の隣には、番と成るべき人物がいたのだ。

 寄り添うべき人が、いた。

 それからは夫婦ともに自分たちの人生だけに注力した。ようやく子宝にも恵まれ、それを機に父カイルは剣闘士を引退し職探し、母ファヴェーラも盗賊をやめ子育てに専念する。カイルは筋が悪いと言われながら鍛冶師見習いに。

 娘の名はミラ、とした。

 今までの貯えもあり、三人家族は贅沢こそせずとも困窮することなく、それなりに幸せな日々を過ごしていた。今まで出来なかったから、自分たちが与えられなかったからこそ、一人娘に愛を注いだ。

 子育ては楽しいことばかりではない。元々、仲良くしてもそれぞれの人生を干渉せず生きてきたところもあり、足並みをそろえるのも大変だった。

 それでも幸せだった。この上なく、幸せだった。

 二人だけで幸せになる道に、少しだけ引っ掛かりはあった。だけど、なるべく考えないように、彼が望んだとおり自分たちの幸せを追求した。

 あの日、までは――

『ママ、くびにへんなのあるよ』

『……っ』

 黄色い斑点が出来た。ファヴェーラはそれを見て、今まで見たことがないほど顔を歪め、娘を遠ざけた。幸せな家族が、崩れ去る。

 彼女はそれを知っていたのだ。何せ、両親にもそれがあったから。それから少しして、彼らはファヴェーラの下から姿を消した。当時は捨てられたのか、それとも盗みに失敗して死んだのか、さほど興味もなかったが――

 近頃の気怠さ、体調がずっと悪かった。気のせいだと思い込もうとしていたが、その記憶との合致は彼女に覚悟を決めさせる。

 自分もいなくなるべき時が来た、のだと。

 姿をくらませようと思った。実際に、数日姿を消した。だが、必死に彼女を探し続けるカイルと、母がいなくなって号泣する娘を見て、耐え切れなくなった。一緒にいるべきではないのに、移ってしまったら大変なのに。

 それでも――

『二度と一人で抱え込むな。俺たちは家族だ』

『……うん』

 欲が勝った。いつの間にか、一人でいることが出来なくなっていたのだ。あの時、アルを切り捨ててでも、三人を捨ててでも二人を選んだ。あの時点で、かつて存在した一人でも問題ない自分はとうに死んでいたのだろう。

 申し訳ないと思いつつ、家族で生きたいと縋った。

 だけど現実は――

『そんな症状見たことがない。とにかく出て行ってくれ』

『身分がない? 君は解放奴隷? 金だけあってもねえ。お引き取り下さい』

『うちに変な噂が立ったらどうする! 帰ってくれ!』

 奇病、人種、身分、あらゆる壁が立ちはだかった。今までは金さえあればそれほど大きな壁を感じてこなかったのだが、ここに来て分厚くそびえる壁を前に、カイルは膝が折れそうになる。元スター剣闘士、これには何の価値もなかった。

 解放奴隷と奴隷ですらない者。

 しかも明らかに人種が違う。まず、医家に診てもらうところまで辿り着けない。金があっても軽んじられ、一瞥だけして帰らされる。

 何度も繰り返した。アルカスの外に出てまで探した。

 だが、結果は同じ。

『ごめんなさい。私の、せいで』

『問題ない。俺は強い、からな』

 手の届く範囲なら絶対に守れる。そう思っていた己の浅慮を呪う日々。出自を明かせば、そう思ったこともあったが、亡国の王子に何の価値があるというのだ。しかももう、それを証明する手立てなど無いのだ。子どもの時分であれば残っていたかもしれないが、こうまで年月が経てば自分を認識できる者などいない。

 ただの妄言と笑われるだけ。

 自分の浅慮と、弱さを呪う。

 考えても考えても、活路は見出せない。時だけが過ぎ、ファヴェーラの体調は悪化するばかり。嫌でも過ぎる、ファヴェーラの死。

『絶対に、駄目』

『……そう、だよな』

 アルなら知恵を貸してくれるかもしれない。最終手段をファヴェーラに問うたが、彼女は頑として首を縦に振らなかった。当然である。彼は自分たちのために縁を切り、彼を孤独にして自分たちは幸せを得たのだ。

 今更、どんな顔をして会えると言うのか。

 悩んだ。時が過ぎた。悩んだ。体調が悪化した。

『ママぁ』

『離れなさい。いい子だから』

『やだぁ』

 彼らの心を折ったのは、またしても娘の涙であった。母の死を直感し、泣きじゃくる娘を見て、恥も外聞も捨て生きたいと思ってしまった。

 親友を、親友だった彼を、利用してでも。

 季節は冬。小さなミラを置いていくわけにはいかない。家族三人、雪深き中を北方まで進むなど自殺行為とも思えた。だけどカイルは踏破した。元々軽かったがより軽くなった妻を背負い、時には娘も背負って、雪をものともせぬ歩み。

 狼すら近寄れぬ雰囲気を振り撒きながら、辿り着いた。

 かつて親友だった者の、元へ。


     ○


「すまん。お前の善意を踏み躙ってでも、俺たちは――」

「馬鹿が」

 ウィリアムはかつて親友だった二人を前に吐き捨てる。

「俺の善意? 勝手に俺の考えを推し量るな。俺にとって邪魔だから、俺が切り捨てたんだ、お前らをな。そこに善意もクソもあるか」

 あれは善意ではなかった。

 自分のためにしたことなのだと、言い切る。

 その上で――

「金はあるんだろう?」

「あ、ああ。剣闘士時代は、結構稼いでいたからな。貯えはある」

「なら、充分だ」

 ウィリアムは笑う。

「アルカスのヤブ医者共は元スター剣闘士から金を巻き上げる機会を失った。俺からすれば馬鹿な連中だ。金を稼ぐ機会を自ら捨てる、なんてな」

 そして彼は立ち上がる。

「俺は高いぞ。カイル」

「買えるなら、いくらでも払うさ。元スター剣闘士の稼ぎを舐めるなよ」

「ふん、上々」

 何事もやっておくべきだ、とウィリアムは思う。世の中何が起きるかわからない。何がこうして繋がるかもわからない。

 だから、手を広げておくのだ。

「交渉成立だ。あとは、任せろ」

「感謝、する!」

「感謝される謂れはない。これは、商売だからな」

 ウィリアムはカイルから弱り切ったファヴェーラに視線を移す。視線を察し、頭を下げる彼女の姿を見て、ウィリアムは歯を食いしばる。

 やるべきことは単純。

 彼女を救い、再度縁を切る。ただ、それだけ。


     ○


 リウィウスの屋敷の近くには工房があった。様々な研究開発をする複合施設であり、多くの技師や商人が出入りする場所でもある。

 将としての彼は墜ちた。表向きは商人としての彼も墜ちたのだが、今の彼を知る者で、そう感じている者など誰もいなかった。

 ルトガルドを妻としたことでテイラー家との繋がりを確固たるものとし、未だベルンバッハとも繋がりが深い。この世界で彼が死ぬには、強固過ぎたのだ。

 圧倒的なまでの地盤が。

「朝から集まってもらいすまない。諸君が夜型なのは重々承知しているが、今回の案件は急を要する。その上で、最優先だ」

「今自分たちがやっている研究はどうなりますか?」

「雇い主の裁量で全て凍結させてもらう。不服かな?」

「大いに」

「だろうな。だが、今回は特別だ。戦う相手は奇病、何らかの成果をあげた者には多額の報奨金を支払おう。今回の件は命令と言うよりも、稼ぎ時と考えて貰いたい」

 ウィリアムは目の前にいる彼らが、商人ではないことを思い出し苦笑する。

 彼らが金にあまり興味を示さないことを失念していた。

「望みの研究書を一式、用意させよう」

「やりましょう!」

 彼らは流れ者の医者である。何らかの理由で国にいられなくなった、もしくは見限った者たち。研究への熱意は人一倍あるが世渡りが下手くそ。世界中に散らばるテイラー商会の人脈を用いて集めた彼らは、若くとも熱意に溢れた人材である。

 何でもやらせてもらえる。だからこんな辺境の地までやって来た変わり者ばかり。人間性はともかく、医術に関してはかなりのもの。

「奇病かぁ」

「移るのかな? 移ったら死ぬかもな」

「そうしたら俺が研究してやるよ。髪の毛一本無駄にしないぜ」

「こっちのセリフだっつうの」

 今は彼らの情熱に託すしかない。世界中から人材を集めたのにも理由がある。人材ごと世界中の医療をこの地に集めたのだ。ウィリアムが後に創り上げるエル・トゥーレ、その原型はここに在ったのだ。

 これで駄目なら、その考えをウィリアムは切り捨てる。

 今はただ、彼らと共に最善を尽くすのみ。

(勝つさ。俺は、ウィリアム・リウィウスだ。やせっぽっちの、アルじゃない)

 彼にとって絶対に負けられない戦いが今、始まる。

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