いつかまた三人でⅡ
分厚い雪に覆われた屋敷の中、煌々と燃ゆる暖炉の前に座るウィリアムは困った顔をしていた。主な原因は隣で立つ息子である。
「ちちうえ、あたま」
「……わかったよ」
深夜に言葉を発した自分も悪いが、そこでパッチリ目が覚めて腹は減っただ眠れないだのと駄々をこねるのは我儘モンスターであると言える。
そもそもウィリアムは親子というものを知らない。初代モンスターであったマリアンネを始め、どうにも身内に対し徹し切れず甘い部分がある。まあ、徹するべきなのかどうか、合理的な判断が下せない曖昧なところでは甘いのだろう。
その結果が、
「もうちょっと、こっち」
「はいはい」
息子に長い髪を弄られるのが習慣となってしまった。元々は母であるルトガルドが髪を父の髪をまとめているのを見て、自分もやりたくなったというのが根っこ。そこから無駄に経験を積み、気付けばただ束ねるだけでは物足りなくなったのか、
「まだ眠くならないか?」
「ならない」
編み込みまで手を出し始めた。今宵の趣向はどうやら三つ編みのようである。このまま息子の玩具となり果てるか、それともバッサリと切ってしまい玩具を取り上げるか、弄られながらウィリアムは真剣に考えこむ。
「あら、可愛い」
「嫌味かい?」
「まさか」
ルトガルドからの誉め言葉を受けて、切る方向に考えが傾く。が、ここでウィリアムの悪い癖、必要ではないことに労力を割くのが億劫、と言う考えが働いてしまう。意外とこの男、出不精であり服や髪型に関しても無頓着。
かつては気を遣う必要があったから都度、必要に応じて手を加えていただけ。北方に幽閉され、必要がなくなるとこの有様である。
ルトガルドが手入れしなければ髪はぼさぼさで伸びっ放し、服もその辺にある物を機能性のみを考慮し着込んでいたはずである。
「…………」
「まだか?」
「まだ」
「……そうか」
息子アルフレッドも悪い癖が出ていた。一度凝り始めると集中力が中々途切れてくれないのだ。このままではいずれ、髪の毛全てが編み込みにされかねないと危惧する程度には、息子の髪を弄る技術は無駄に向上しつつあった。
「君まで縫物を始めて」
「今のアルフレッドは朝方まで寝ません」
「腹は括った、か」
「そういうことです」
まあ、明日も大した用があるわけではない。そもそもこの地に置いて、何を置いてもやるべきことなど何もないのだ。今やっていることも手持ち部沙汰だからやっているだけ。必要かと言われたなら、あまり意味はないと彼なら答える。
ヤンが去り、一時は混沌としたアルカディア軍内も『穴掘り』カール、『黒騎士』アンゼルムの二本柱がきっちり支えている。『白騎士』の出る幕はないかもしれない。彼らが自分よりも優秀であれば、自分はこの地に縛られ続ける。
優秀でなければ縛りが解かれる、それだけのこと。
今この時間は、世界が自分を必要としているかどうか、それを問いかけているようなものなのかもしれない。
(我ながら、随分と傲慢な考えだが、な)
自らの思考にため息をつきながら、必要なことが存在しない時間を過ごすウィリアム。ある意味でこの時間は罰のようなもの。必要に駆られている時は考えずに済んでいた、表に出て来ることのなかった思考がわんさか湧き出してくる。
自らの足跡、その轍には常に血がこびりついている。
永遠に消えぬ、血の跡が。
「できた!」
「そうか、なら――」
「べつのあみあみにする」
「……ルトガルド、書斎から適当に本を持ってきてくれないか」
「はい」
ウィリアム自身も腹を括り、この凝り性な息子が睡魔に敗れるまでは起きていることを決めた。まあ、寝ずの番くらいは若き頃いくらでもしている。
この程度、どうと言うことはない。
親子三人の時間、団欒と呼ぶには静寂過ぎる気もするが、これが彼らの形なのだ。苦にならぬ沈黙、言葉だけが会話ではない。
こうした静寂の中にも『親子』は、ある。
だが――
「……ルトガルド、アルフレッド」
その静寂を途切れさせたのは、ウィリアムであった。
「はい」「なに?」
二人とも、父の雰囲気が異なるのを察し意識を向ける。
「来客のようだ」
「こんな時間に、ですか?」
「足音は二人。相当な巨漢なのか、随分足取りは重いな。もう一人は……小さ過ぎる。この時間に子連れとは思えんしな」
ウィリアムは本を閉じ、立ち上がる。
(暗殺者共が見逃した、と言うのが気になるな。俺が気付く程度の気配、連中が気づけぬとは思わんが……黒星、イマイチあの新入りがわからん)
部屋に飾ってあった剣を持ち、玄関へと足を向ける。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
久方ぶりの戦いに、自らが僅かなりとも高揚しているのを感じ、ウィリアムは苦笑いを浮かべた。結局、分厚い雪に覆われたところで人は変わらない。
こびり付いた血は、残ったままなのだ。
ウィリアムは静かに居合の構えを取る。先手は譲る。後手で、捲る。
どう攻めて来る、その考えは――
「夜分遅く、失礼する!」
大きな声と、それに負けぬノックの音でかき消えた。声を聞き、ウィリアムの思考が飛ぶ。それは聞こえるはずのない声であったから。
「こちらの街にウィリアム・リウィウス殿がいると伺った。どうしてもお会いしたい。どうか屋敷を教えてくれまいか⁉ 謝礼は払う。だから――」
聞こえては、ならぬはずの声だった、から。
「入りたまえ」
「感謝する! それで――」
扉が開き、外にいたのは大柄の男と、その隣に立つ小さな少女。
「私が、ウィリアム・リウィウス、だ」
「……ッ⁉」
見間違うはずがない。見間違えようがない。
「……すまない!」
自分にとっての例外。斬り捨てた『彼女』を除けばこの世界にはもう、家族と彼らしかいないのだ。もう二度と会うはずがなかった。
血生臭い自分から遠ざけるために縁を切ったというのに――
「何の、真似だ?」
目の前で土下座をするかつての親友カイルを見て、ウィリアムは顔を歪めた。名を呼びたい。何が起きているのか、壁を設けずに話したい。
だが、ウィリアムの背後には異変を察知し、様子を窺う妻と息子がいる。
「助けて欲しい。こんな、頼める立場でないことは、重々承知しているつもりだ。しかしもう、打てる手が、無い! 名を持たぬ俺では、何も、出来なかった」
こんなにも弱々しい友の姿を、ウィリアムは見たことがなかった。かつて大勢に囲まれていた時でも、彼はここまで打ちひしがれてはいなかったし、死の間際ですら泰然としていたような気がする。それなのにこの取り乱しようは――
彼自身の問題では、無いのだ。
では、誰か。ウィリアムの脳裏に、最悪の絵が浮かぶ。違ってくれ、言葉を飲み込みながら、心の中で祈る。
「金ならある。だから妻を――」
男は背中に手をやり、何重にも包んだ毛皮を剥ぎ取る。
その中には――
「…………」
「助けてくれ!」
もう一人の親友、ファヴェーラの変わり果てた姿が、在った。
寝ているのか、意識がない。顔に黄色い斑点がいくつも現れ、やせ細り、記憶にあるかつての姿とは大きく様変わりしていた。
「……ふざ、けるな。何故だ、何故、こんなになるまで――」
自分を頼らなかった、途中まで出かかった言葉をウィリアムはぐっと飲み込んだ。そうしたのは自分であろう。切り離すべきだと思い、そうした。
今の自分にそう言える筋合いなど、無い。
「ルトガルド、奥の部屋に火を」
「はい。手伝って、アルフレッド」
「う、うん」
二人が去り、ウィリアムは少女に目を向ける。びくりとした少女は、大きな父親の陰に隠れた。その微笑ましい振舞いを見て、かすかにウィリアムは笑みを溢す。
「娘か?」
「……ああ」
「お前に似なくて良かったな」
「……眼は、俺似だ」
「くく、いいとこどりだな。初めましてお嬢さん、お名前は?」
「……ミラ」
「良い名前だ」
自分の息子の頭を撫でるように、少女の頭を撫でてやるウィリアム。見た目は本当に、彼女そっくりである。無愛想が遺伝しなかったのは幸運であろう。
「今、奥の部屋を暖めている。しばらくは居間で温まっていると良い。色々あってこんな時間だが暖かいはずだ」
「恩に着る」
「気にするな。俺たちの――」
仲だろう。その言葉の空虚さにウィリアムは虚ろな笑みを浮かべる。今の自分たちは果たしてどういう仲なのだろうか。かつて親友だったのは間違いない。では今は、縁を切り、離れて、そして――
「……こちらへ」
「ああ」
カイル、ファヴェーラ、ミラ、三人がリウィウスの館に足を踏み入れる。こんな景色を夢見なかったわけではない。かつての親友が家庭を築き、こうして彼らを館に招く。夢であった。叶わぬはずの、夢だったのだ。
こんな形で叶うなんて、思ってもいなかったが。
「今着替えと拭く物を持ってくる」
「助かる」
「それと――」
ウィリアムはミラに聞こえぬようカイルの耳元で、
「この病は、移るのか?」
「何もわからん。ただ、今まで俺にもミラにも、周りにも移ったことはない、はず」
「わかった」
必要なことを問い、一応の答えを得た。どんな時でも必要なことには頭が回る。そんな自分をウィリアムは嗤う。薄情な男だと、思う。
「……とにかく休め」
「……ああ。そうさせてもらう」
そう言ってウィリアムが居間から出ようとすると、
ぐう、と言う音が、
「あっ」
恥ずかしそうに俯く少女、ミラの方から鳴った。それを見て、
「……食事も用意しよう」
ウィリアムは少し、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます