いつかまた三人でⅠ
「リンゴ泥棒!」
男の叫びが市場をこだまする。怒れる店主が屋台から飛び出し、その影を追う。屋台を引いて何年か、最初の内は市場に跋扈する悪童どもの食い物にされてきたが、キャリアを積むこと数年、とうとう店主は見切りの目を得た。
身なり、立ち居振る舞い、雰囲気からそこに悪意のあるなしをくみ取り、警戒を厳重にする。警戒されているとわかったら、悪童たちも気配を察し目標を変えていく。気配の応酬、熟練者であれば当然、この程度はスタンダード。
だが、
「クソ、すばしっこい!」
今回の相手は明らかにその辺の悪童よりもワンランク上の技術を持っていた。気配の殺し方、足音の消し方、ただの盗人にはない凄みがあった。
だからこそ、店主は笑顔で接客しつつも自分の領域にくだんの少女が足を踏み入れた瞬間、警戒を強めたのだ。このガキ、出来る、と。
「だがな、この道五年の大ベテランを、無礼るなよォ!」
全体で見れば歴は浅めな自称ベテランだが、その見切りは冴えわたっていた。そして足も無駄に速い。アジリティも抜群。
絶対に屋台で果物を売るよりも向いている職がある。
「……!」
少女は驚きに目を見開く。が、それは少女の中で見開いたという実感があるだけで、第三者視点からの観測ではびた一文表情に変化はなかった。
とにかく、この店主は振り切り辛い。いつものリンゴ『置き場』の店主が、彼女『ら』に盗まれ過ぎてしょんぼりしていたので、今日は狙いを変えたのだが、その結果とんでもないのを引いてしまった。
しかし、彼女『ら』もその道の大ベテラン(自称)、隙は無い。
「……な、なにィ⁉」
店主、愕然。リンゴを三つ持っていたはずの少女の手にはいつの間にか何もなかったのだ。わざとらしく両手を上げる少女、服にも膨らみはない。
隠している様子はなかった。
「くっ⁉」
店主は周囲を見渡す。リンゴが消えるなどと言うことはありえない。あの少女が持たぬのであれば、何処かに捨てたか、それとも――
「協力者か⁉ 小賢しい!」
店主は眼を皿のようにして、凝視していた。蟻の一匹すら見逃さない、とその眼は言う。恐ろしき執念である。初心者時代、盗人にたかられ続けた苦い記憶が彼をここまで成長させていた。ここで叩かねばたかられる。
圧倒的執念、抜群の集中力、その眼が――
「な、なん、だとォ⁉」
リンゴを見つけた。が、そのリンゴは天高く舞う。そして家を跨ぎ、道一本外れた路地の方へ飛んでいた。店主は愕然とする。
だってそうだろう。あれでは自爆である。確かにああすれば追い切れない。と言うよりも追う理由自体が無くなってしまう。あの距離の遠投ともなれば、まず間違いなく落下地点など適当であろう。もし受け子がいたとして、リンゴを落下させずに受け取ることなど不可能と言い切れる。
ならば、リンゴはもう売り物にはならない。ああして空を飛んでいる以上、盗まれたものを無事に取り返すことは出来なくなった。
店主の猛追が悲しい結果を生んでしまったのだ、と店主自身が思う。
しかも――
「クソったれがぁ」
店主が屋台を離れている隙に、その辺の悪ガキどもがこぞって盗みに入り、屋台は見るも無残な姿に変貌していたのだ。げに恐ろしきはアルカスのクソガキたち。生き汚く、狡猾で、弱いくせにたくましい。それが底辺に生きる者たち。
「……あ、またリンゴが」
天を舞うリンゴ。その美しい放物線を見て、店主は「あれ?」と小さな疑問符を浮かべる。あれ、さっきと全く同じ軌道ではないか、と。
そんなはずはない。そんなはずはないはずだが――
「……転職、しようかなぁ」
店主は疲れたので、何となく転職を思い浮かべる。その後、最高級品である果実の王様を盗まれて廃業、兵士になったり傭兵として世界中を歩き回り、壮大な紆余曲折を経て、ガリアスでまた果物屋を開くのは別の話、である。
しばらくは彼女『ら』に目を付けられ、リンゴ置き場のレッテルを張りつけられることとなるのだが、それもまあ別の話、である。
○
「お前本当に投げるのが上手いよな」
「ねえさんも上手いからね」
「才能」
「にっしっし」
アル考案の隙が生じぬ二段構え。一段目のファヴェーラが労せず盗めれば問題ないが、それが露見した場合、彼女は逃走中にこっそりとアルにブツを渡す。それをアルが雑踏に紛れながら投擲し、路地裏のカイルが受け止める、という作戦である。
作戦と呼ぶには粗いが、驚異のコントロールを持つアルがいれば成立する。生来の肩の良さと、緻密な空間把握能力が成せる業であった。
何せ受け手のカイルはほとんどその場から動かず、受け止めるだけで良かったのだ。受けた相手が唸るほどの絶技。カイルは思う。弓を引く力さえあればこのやせっぽっちの友人は化けるのではないか、と。
まあ、
(……ひょろいから無理か)
「何か言った?」
「言って『は』ねえ」
「……ふーん」
この国では奴隷が戦場に出ることは出来ない。奴隷でなくなったとしても、その権利を得ることはないのだ。本来、不条理にも思えるルールであるが、それを知った時カイルは思った。良かった、と。
友人二人が戦場に出ることはない。
だから、あの炎に焼かれることも、無い。
戦場を焼く、『烈日』の炎と自分が向かい合うことも生涯ないだろう。戦場から遠いことがカイル少年にとっては救いだった。
「リンゴはいつ食べてもうまいよね」
「働いて手に入れたリンゴは格別」
「……盗んで手に入れた、な」
「同じ」
「……澄んだ眼で言うなよ」
「……?」
盗みは彼らにとっては日常である。そうせねば生きられない側面もあるので、カイルとしてもやめようぜ、などとは言えない。
(底を知らなきゃ俺も、もしかしたらルールしか見えていなかったかもなぁ)
「今日は屋根の上で食べよう」
「賛成」
「別に地面で食べても一緒だろ?」
「残念。さようなら、カイル」
「ダメだよ、ファヴェーラ。カイルも面倒くさがらず登ろうよ」
「このデカブツは登れない。身体が大きくて鈍いから」
「大きいけど鈍くはねえぞ、おおん⁉」
そんなこんなで彼らは見知らぬおうちの屋根の上に登る。彼ら(カイル以外)の感覚だと人の家の屋根も自分の庭みたいなもの。駆け回るし、その上でリンゴを食べることにも抵抗はない。家人に怒られたら逃げるだけ。
「んー、いい景色!」
「確かに、綺麗な夕日ではある」
「血の色」
「言い方ァ!」
三人は笑いながらリンゴをかじる。ファヴェーラはこれを至福の時間だと考えていた。自分の世界に色を与えてくれた最高の友人とプラス一、こうして一緒にいるだけで幸せなのだと彼女は思っていた。カイルもまた二つ目と言う違いはあれど、こうして三人でリンゴを食べる時間を愛おしく思う。戦士によってすべてを失った。全てが燃やされ、壊され、世界を恨んだ。
だけど今はこうして幸せを噛み締めることが出来る。
二人は現状に満足していた。辛いこともあるけれど、それでもこれ以上は望むまい、と。二人は、そう思っていたのだ。
だが――
「…………」
「……何見てんだ、アル」
彼だけが、違った。
「お城、きれいだなぁ、って」
「そうかぁ? デカいけどセンスはなぁ。武骨過ぎて華がないと思うぜ。あの外観じゃ中身もそんなもんだろ。芸術性が欠けてるよ、この国は」
「し、知った風な口を」
「俺は見たから知ってんの」
「中身も?」
「お、い、いや、それはまあ、見たことはねえ、な」
本当はグレヴィリウスの王宮に住んでいたし、ほかにも多くの国々の、何よりも母の故郷である芸術大国ネーデルクスの王宮も訪れたことはあるのだが、そんなこと言えるわけもなく言葉を濁すしかない。そんなカイルからすれば、アルカディアの城などさほど興味がそそられるものではなく、むしろネーデルクスやその流れを汲む城に比べると、どうしても田舎っぽいというか、垢抜けていない感があった。
「行ってみたいなぁ」
「別にお城なんてそんないいもんじゃねえだろ」
「また知ったかぶり?」
「し、知らねえけど、たぶん堅苦しいぜ。礼儀作法がどうとか、国ごとに違ったりさ。メシに口付ける順番とか、そもそも服装自体が息苦しいし」
「……なんか、実感がこもっている気がするよ」
「……そうなんじゃないかな、と思っただけだ」
ばつが悪そうにするカイルであったが、友達のそんな様子に気づけないほど、アルは城へ熱中していた。少し前からカイルも気づいていた。アルという少年の目に浮かぶ野心とか、野望のようなもの。もちろん、まだ実の伴っていない綺麗なものであったが、だからこそ危うい気がしていた。
だってそうだろう。手が届かないものに手を伸ばした者の末路など、いつの世だって破滅と相場が決まっている。
アルが凡人とはカイルも思わない。光る部分はある。正しく教育を受けたなら化けそうな気配はあるな、とカイルもまた思っていた。
だが、それは下地の話。彼は奴隷身分で、這い上がる術も伝手も持たないただの子どもなのだ。高望みするぐらいなら良い。夢見るぐらいは構わない。
でも、本気で手を伸ばそうとしたら、その先は悲劇しかないだろう。
「ファヴェーラはどう思う?」
「興味なし」
「ほらな、二対一だ」
「そんなぁ」
自分の手が届く範囲ならば、彼らのためならばカイルは戦える。だけど、天に手を伸ばされたなら、手の届かぬ所に行ったなら、守ることなど出来ない。
分相応が良い。こうして三人で生きる。何が悪いと言うのだ。
「お城の中にはリンゴが山のように積まれているよ!」
「リンゴなら市場にいっぱいある」
「う、ぐぬ」
「山のように積まれてねえだろうし、市場にあるのは俺らのじゃねえけどな」
「「……?」」
「こ、こいつらのモラルはどうなってんだよ」
綺麗ごとばかりではない。底辺での生活は苦しく、辛いことも多い。それはどちらも知るカイルが一番わかっている。しかし、同時にカイルは知っているのだ。結局のところ環境とは、誰と一緒にいるか、そこが肝要なのだと。
天上に置いても一人では孤独なだけ。底辺でもこうして気の置けない親友と一緒ならば、かつて王宮で家族たちと過ごしていた日々とさして変わらない。
大変なことはある。
飢え、渇き、色んな辛いことがあった。
それでもカイルは思う。
「俺は三人一緒なら、人ん家の屋根の上でも良いけどな」
「お城より?」
「あそこにお前らがいないなら、俺は迷わずこっちを選ぶ」
「「…………」」
「……なんだよ、二人して」
「いや、うん、僕も、二人がいないなら、お城はいいかなって」
「たまには良いこと言う」
「たまには、って言わなくてもよくね?」
「付けないと調子に乗るから、カイルは」
「この、クソ女が」
「はいはい、ケンカしない。そろそろ日が沈むし、帰ろうか」
「ん」「おう」
大丈夫なのだとカイルは思っていた。自分の想いは伝わっている。三人はずっと一緒なのだと、この時のカイルはそう信じて疑わなかった。
だけど、
「でもさ、三人いっしょにお城に住めば、それが一番じゃないかな?」
「何か言ったか?」
「ん、何も」
「明日はまたあのリンゴ置き場を狙いたい。今日の借りを返す」
「……何のプライドだよ」
「盗人」
二人と一人の小さなズレは、この先どうしようもなく広がっていくことと、なる。まるで運命がそう仕向けたかのように。
この先で三人は道を違える。
○
懐かしい夢を見た。三人で見た夕日。
いや――
「……俺だけが、違う方を向いていたな」
自分だけが城を見つめていた。そこに希望があると思っていたから。何も知らず、あそこには幸せが詰まっているのだと、無邪気に信じ憧れていた。
カイルはわかっていたのだ。自分の危うさが。
彼はどちらも知っていただろうから。
「どうしましたか?」
「ん、いや、少し夢を見た。すまないな、起こしてしまって」
「私は構いません。でも――」
「ちちうえ、あさ?」
「……参ったな」
自分が起きたのに連動して、まだ小さな息子まで起きてしまった。こうなると経験上、寝かしつけるのに時間がかかり難儀する傾向にある。
「おなかすいた」
「……ルトガルド、知恵を貸してくれ」
「諦めましょう」
妻の笑みを見て、アル、ではなくウィリアムは天を仰ぐ。
どうやら今日の夜は長くなりそうである。
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