出会いⅢ

 その日、真夜中のグレヴィリウス王国を太陽が焼き尽くした。

 少年は逃げながら目撃してしまう。偉大なる父の首を掲げ、王都に足を踏み入れた怪物の姿を。悪意でも、憎悪でもない、理解不能の灼熱が漂う瞳。ほんの一瞬、少年はその怪物と眼が合った気がした。合うはずのない距離。

 それでも、父を殺した、国を蹂躙した仇敵を見て、その奥の灼熱に触れ、少年の心は完全に焼き尽くされてしまう。怖くて、母に縋りついてしまった。

 天才はその瞬間、地に堕ちた。

 少年、カイ・エル・エリク・グレヴィリウスは母に連れられ、逃げ場である北ではなく彼らが進撃してきた南へ足を向けた。南下し東へ、直接ネーデルクスに向かう道を選んだのだ。それはリスクしかない危険な道である。

 されど、ディアナ王妃はそれを選んだ。

 理由は一つ、他国にこれ以上の害を及ぼさぬため。

 この地獄をこれ以上広めぬため――

「母、上」

「ここで着替えます。願わくば、少しでも被害が少なくなるように」

 あえて着飾った姿で、目撃情報を残して逃げる。それによって他国への逃亡というセンを消し、王族である自分たちを追わせるという考えであった。

 いつもの作業着を身にまとい、下女のような格好で逃げる。

 息子の手を引き、地獄を歩む。血と臓物、ただただ蹂躙された人々。戦争の爪痕、強きが弱きをすり潰す惨劇が幾重にも繰り広げられていた。

「ここも、駄目ですか」

 逃げる親子。されど、ネーデルクスとの国境線にはエスタードの厳重な警戒網が敷かれていた。親子は活路を求めさ迷う。

 王都から離れるほどに逃げ場は少なくなっていく。かつては友好国であっても今はエスタード領内、信じていた人にも裏切られ、幾度となく危うい状況があった。逃げて逃げて、ただその日の食べ物を得るために母が体を売ることもあった。

 汚れ、やせ細り、それでも笑顔を絶やさぬ母。それを支えることも出来ず、ただあの灼熱におびえるかつての天才。明るく奔放な、全てを掴める英雄の卵は無残にも砕け散っていた。破壊と蹂躙、少年が知るには早過ぎたのだ。

 喪失と絶望、裏切りと醜悪なる人の性質。

「……逃げなさい。生きていればきっと、きっと幸せを掴むことが出来ます。私がグレヴィリウスでそれを得たように。貴方の幸せを祈っています」

 裏切られ、逃げ場を失い、とうとうカンペアドールに捕捉された。

「地の底にも、花は咲きます」

 ただ一人で生き延びる、そのか細い希望ではなく母は息子を人買いに売った。彼らの予想を超えて息子が生き延びるよう、祈りながら。

 そして母は憎き仇敵と遭遇する。

「ディアナ王妃、か。息子の居場所を吐いてもらうぞ」

「近くにいるかもしれん。徹底的に探せ!」

 カンペアドールを冠する男。戦争にて力を示し続けた男の顔が笑みで歪む。

 ディアナは毅然と真っ直ぐ彼らを見つめた。きっと彼らのような人種はそれをへし折ることを望むだろうから。僅かでも時間を稼いで見せる。

 王族としての戦いはこの進路を選んだ時点で果たした。

 あとは母としての戦いだけ――


     ○


 報告を聞いて早馬を走らせたラロは予想通りの光景に顔を歪めた。

 戦争なのだ。略奪はある。戦争と凌辱は切り離すことなどできない。戦士は奪うための存在、そうやって恐怖を、畏怖を刻むことに一定の意味はある。

 だが、ことここに至ればもはや戦争ではないのだ。

「おお、ラロか。貴様もこっちに来て混ざれ。あのディアナだぞ。箔も付くというものだ。お前もいつかカンペアドールに名を連ねる男ならば――」

 立場上、自身の上に立つ男を無視し、ラロは汚れ切った女性の前に立つ。

「あ、ああ、あぁ」

 地に堕ちた天輪の乙女。

「失敬」

 ラロは敬意をこめてそれを断ち切った。ひと思いに、痛みを感じることなき剣。事切れた女性の顔を己がマントでぬぐい、僅か残った在りし日の美しさを見る。

「ラロ、貴様、何の真似だ?」

「エレガントではない」

「俺はカンペアドールだぞ?」

「そこに価値があるというのなら、今奪わせて頂こう」

 手袋を外し、ラロはそれをカンペアドールに投げつける。ありえない暴挙、エスタードにおいてカンペアドールはエル・シドの次に至る戦士の極み。

 それへの侮辱はありえない行いであった。

「……覚悟は出来ているのか? 小僧」

「いつでも」

 ラロは剣を引き抜き、盾を構える。『烈日』を、力を信奉する彼らにとってそんな薄っぺらいモノ、盾を掲げること自体戦士の矜持に反するとされてきた。だが、ラロは効率的だから、と譲ることなくここまで来た。

 年長者にとっては気に喰わぬ男。大義名分が出来たなら――

「青二才が。死して敬え! カンペアドールをッ!」

 剛の剣。それを見てラロは薄く微笑む。

「まさに名ばかり、か」

 盾を斜めに差し込み、薄く剣身を滑らせる。カンペアドールの眼が大きく見開かれた。感じたことのない手応えだったのだろう。いつだって力でねじ伏せて来たのだろう。ありありと浮かぶそれにラロは苦笑する。

「死に体、ですな」

 盾で崩し、剣を添える。お手本のような所作でカンペアドールが敗れる。

 場が、静まり返る。生意気な頭でっかちが歴戦のカンペアドールに喧嘩を売った。それをカンペアドールが打ち破るまでが彼らの当たり前。

 しかし、今日、それは崩れ去る。

「一度目はご年配相手ゆえ、生かしましょう」

 カンペアドールの顔が赤く歪む。咆哮と共に剣を振りかぶり――

「二度目は、無いッ!」

 それが到達する前に、ラロの鋭い剣がカンペアドールの首を刎ねた。

「さて、どうなることやら」

 自らが犯した大罪のことなど意にも介さず、ラロは己がマントをディアナの遺体に被せる。ポケットに忍ばせていた花をその胸に乗せて、首を垂れる。

「美しき人よ。勇ましき王と共に逝かれんことを。男臭い野花で恐縮ですが、道行のせめてもの華やぎとして、無骨なる武人より贈らせて頂きます」

 誰もラロを咎めることが出来ない。この場で最強の男が敗れ去ったのだ。しかも、ああもあっさりと、である。戦場では力強く、多くの武功を成した男である。

 それを破った男をどうすべきか、誰も判断できないでいた。

 そんな中――

「何事じゃァ?」

 チェが先導し彼らにとっての絶対、エル・シドが現れた。

「か、閣下! あの者が、我らのカンペアドールを血に染めました。叛逆でございます。しかるべき処分を!」

 カンペアドールの副官であった男が吼える。

 それに一瞥し、チェが問う。

「何故?」

「エレガントではなかった、ですかね」

「……それが理由で良いのか?」

「ええ」

 悪びれることなくラロは真っ直ぐと背筋を伸ばしていた。背後に横たわるディアナ王妃を見れば何となく成り行きは理解できた。

「戦場ではよくあることじゃ」

「戦場であれば、強くは言いません。されど、今ここは戦場にありましょうか? ただ美しきを汚すだけの行為に何の意味がありましょうか?」

「……大カンペアドールがそう定義した」

「であれば、大カンペアドールが間違っております」

 場が、ざわつく。大カンペアドールを、エル・シドを前にして言い放ったのだ。絶対である彼を否定する言葉を。しかも、やはり悪びれずに。

「俺様の誤り、か」

 馬上より睥睨するエル・シド。大矛がギラリと光る。

「未来を案じ、この暴挙に打って出たのだとすれば、なおのこと。我らを軽んじておられる。明日のことは明日の、我らがどうにかするべきこと。大カンペアドールが案ずるべきは今、この時でしょう。それ以上は無用!」

 ラロは臆することなく言い切った。要約すれば爺が先の心配をするな、というあまりにもな話。それを聞いて誰もが言葉を失った。

「たかが英雄、そんな時代が来ます。それを思い描けぬのであれば、先の心配などするだけ無駄というもの。老いたモノが見る夢ほど旧いものはないのです」

「この俺様を老いたとほざくか」

「それは今をどうされるか次第ですが」

 引き下がらぬラロ。それを見てとうとう――

 エル・シドは笑った。腹の底から、地響きのような笑い声に毅然としていたラロでさえ顔をしかめる。やはりこの男は絶対で、ラロの明日は新し過ぎ――

「ならば、貴様がカンペアドールに座り、示せ。新しさとやらを」

 それきり、エル・シドは何も語らず馬を返す。

「お、お待ちください。それでは示しが――」

 追いすがろうとした副官の前にチェが立つ。そしてその頭を掴み――

「大カンペアドールの命令は、蹂躙じゃ。誰が略奪を、凌辱を許可したァ?」

「へ、ぎゅ!?」

 そのまま圧し潰す。体半分ほどに、潰れた肉塊。

 あまりの異様に誰もが言葉を失った。

「ラロ・シド・カンペアドール。軍をまとめ撤退させよ。出来るな?」

「心得ました」

「よう、言うてくれたな」

 小さくラロにしか聞こえぬ声量でチェはつぶやく。

「そう思うのであれば閣下が言うべきだったと思いますが?」

「くっくっく、クソ生意気なガキめ。わしには言えぬのだ。父よりも先に老い始めた、わしにはのぉ。まったく、嫌になる」

「あれだけの力を示しながら、ですか?」

「全盛期なら半分ではなく全部潰しておったわ」

「ハハ、怖い怖い」

 ディアナの遺体をラロ指揮の下、丁寧に扱い秘密裏に葬る。夫婦ともにグレヴィリウスの地、それを見下ろす小高い丘に。それを公言することは出来ない。国家としてはあの蹂躙を正当なものであり、彼らは敵であるというスタンスを崩すわけにはいかなかったから。それでもそうせずにはいられなかった。

「許せとは言いません。我らの不甲斐なさが貴方方を傷つけた。ゆえ、グレヴィリウスのことは私にお任せください。願わくば、孫子の代で互いに手を繋げるように、などと加害者側が言うべきではありませんね。エレガントではない」

 ラロのカンペアドールとしての初仕事はグレヴィリウスの戦後処理であった。生き延びた者たちの怒りを、憎悪を一身に受ける仕事である。

「許さんぞ、エスタード!」

 愛する国を、王家を奪われた者たちの恨み、それは軽いモノではない。

 民を守り抜いた後、命がけで剣を向けた者もいた。

 それをラロは丁寧に、しっかりと下し――

「さすが、チェ様の猛攻から民を守り抜いただけはある」

「絶対に、貴様らを許してなるものか!」

「スヴェン王の懐刀、コーバス。憎しみも剣も、すべて私に向けると良い。その全てを弾き返させてもらうがね。さて、そうなると少し手持ち無沙汰にならないか? 私はなる。それで提案があるのだが」

「貴様らの提案など――」

「園芸が私の趣味なのだ。花が好きでね。君たちは敗残の兵として我が趣味に付き合ってもらう。否とは言わせん。君たちがそれに否という時は、私を打ち破り君たちの手で今一度グレヴィリウスを掲げる時だ。身勝手ながら、そう決めた」

「……何様だ。貴様、は」

「ラロ・シド・カンペアドール。しばらくは我が遊興に付き合ってもらう」

「……何故、貴様のような男がいながら、何故だァ!」

「……我を通す力と覚悟がなかった。許せとは、言わぬよ」

 悲痛なる叫びが、怨嗟の声が轟く中、グレヴィリウス王国はエスタード王国の手に落ちた。ネーデルクスからの救援を弾き返し、新たなるカンペアドール、若過ぎる彼は完璧なる戦にて名を馳せた。誰も寄せ付けぬ鉄壁の存在として。

 『烈鉄』のラロはその命を散らすまでグレヴィリウスに内も外も、誰も寄せ付けなかった。それがせめてもの贖罪であると彼は思っていたから。

 それをエル・シドらが咎めることも、なかった。


     ○


 そして、堕ちた天才はいくつもの国を、人買いをまたぎながら、とうとう東の果てにたどり着いた。七王国アルカディアに。

 世界全てを呪い、憎悪の塊と化した少年は出会う。

「でっけえ!」

「あン?」

 どん底の中、それでも明るさを絶やさぬ、生涯の友となる少年と。

「身体大きいね――」

 最初は誰にとっても最悪の出会いだったが――

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