穴掘りカールⅣ

 ディエースは偽名である。そもそも彼自身、自分がどんな名をつけられたのか、つけられていなかったのかすら知らない。気づけば泥沼の底、底の底でへばりついていたゴミ。彼は彼自身のかつてをそう形容する。

 特別、生き永らえたかったわけでもなかった。そうしたいのならもっと別の生き方があったはず。誰かから己が糧以上に奪う道など死に近づくだけ。

 彼は死にたがりだったのかもしれない。

 盗みも殺しも必要以上にやった。何故そうしていたのか、どうしてそうしたかったのか、それは今の彼ではわからない。

 かつての自分がわからない。

 わかるのは人より多少目端が利いていた、それだけのこと。

 彼の感性が常に教えていたのだ。相手の欠点を、盲点を、死角を、何よりも相手が認識している嫌がるところを、彼は視えていた。

 独特の感性、蛇の資質、彼はたまたま備えていただけ。

『頭ァ、今日の稼ぎは最高でしたな』

『せやねぇ』

 気づけば野盗の王、笑えるほど滑稽な虚ろなる存在。奪うだけ、生産性皆無、クズの集合体。早晩、滅ぶことなど他ならぬ彼は知っていた。

 いずれ来る破滅、それで終わり。

 そんな人生こそクズの己らしい末期だと、彼は思う。

『頭、その、王の左右になった、ダルタニアンがうちに――』

『どんな構えや?』

『今、こんな感じに展開しているはずです』

『ほな、こう捌こか』

 別に死ぬのは怖くない。生きるのも死ぬのも億劫で、ただ終わらせてくれる存在を指折り数えて待っていた。かと言って男が手を抜いていたわけではない。むしろ全力で、持てる力全てを振り絞って抵抗した。

 そうでなければ自殺と同じだから。

 だが――

『貴様が首領か。定跡を無視し、相手の嫌がるところへの攻め、徹底していた部分は面白かったが、それだけだ。それだけでは定跡に勝てない』

 今まで培ってきた全てがこの男には通じなかった。『血騎士』などと謳われながら、ある挫折を経てガリアスの教科書などと評され始めた新鋭の前では。

『なんや、意外とおもろかったんやね、この世界も』

『……存外、潔いものだな』

『充分食い下がったやろ、クズにしては。好きにしてええよ。負けたら死ぬ、それだけのことやろ? 別になんも思わんわ』

『俺にはない、惜しい才能だが、奪い過ぎたな、ディエース』

『ああ、そう言えば僕、そんな名前やったね』

 いつからそう名乗り始めたのか、それすら思い出せないつまらない記号。ディエースなどその程度の重さ、吹けば飛ぶ名前。野盗の頭、仲間内には頭としか呼ばれていなかったため、自分でも忘れてしまった『ディエース』。

 捕縛され、当然の如く極刑、死罪を言い渡される。

 特に何の感慨もない。

 牢屋に繋がれながら、がらんどうは静かに死を待っていた。早く終わって欲しい。そして叶うなら次はもっと面白い人生を歩みたい。

 劇的に、鮮烈に、生きた! と胸を張って言える人生を――

『おまえがダルタニアンの言っていたわるいやつだな』

 そんな時に彼女が現れたのだ。

『……なんや、えらいちっこいガキやね』

『おもしろい方言だな。わたしも最近いろんな書物を読んでいるが、おまえのようなしゃべり方ははじめてだ。名はなんという?』

『……ディエース』

『ふむ、ディエースか。よし、ディエース、わたしと勝負しろ』

『ハァ?』

『ストラチェスだ。指せるか?』

『まあ、駒の動かし方程度なら、ほぼ素人やけどね』

『むむ、素人ではつまらんな。ダルタニアンは強過ぎるし、他のものはわたしと戦ってくれないのだ。女はそんな遊びではなく、もっと将来役に立つことをしなさい、だそうだ。母上たちはなにもわかっておらん。これ以上があるか?』

『さあ、僕に貴人のことなんてわからんよ』

『だから、おまえがよかったのだ。囚人ならわたしに手を抜く義理もないだろう。だが、素人ならしかたがない。ほかを当たる』

 突然現れて、突然失望して去って行く少女。

 別に何か意図があったわけではない。退屈だったから、気まぐれである。

『まあ、僕がちっこいちびちゃんに負けることはないやろうけど』

『ほほう』

 嗚呼、今でも思い出す。小さな女の子の好戦的な表情に。

 ディエースは初めて笑みをこぼした。

『めちゃくちゃな定跡だぞ。初期陣形もふくめてやはり素人だな』

『言うた通りやよ』

 鉄格子越し、手枷をしているとはいえ、囚人と、しかも死刑囚と対面し対局する少女。その眼には好奇心と知性が渦巻いていた。

 情や道徳ではなく、彼女は面白そうだからここに訪れたのだ。

『……おまえ、ほんとうに、素人か?』

『ちっこいお嬢ちゃんは立派やね。よぅく勉強しとる。よお知らんけど、意図のない手なんてないんやろうね。滲み出とるわ。嫌や思うとるとこ』

『いやな、とこ?』

『せや。勝負ってのは敵のやりたいこと、自分のやりたいこと、敵がやられたくないこと、自分がやられたくないこと、そのせめぎ合いや。細かい理屈はよぉ知らんけど、ちっこいお嬢ちゃんは自分のやりたいこと、やられたくないことばかり考えとる。敵を見とらんねん。まあ、今の僕見てもしゃーないけどな』

『む、むむむ』

 彼女は少しずれている。普通の女の子ではないのだろう。そんなずれたところが、ほんの少しだけ自分に似ている気がした。

 だから、いつになく饒舌になってしまったのだろう。

『少し、汚のぉなっても捌き切れる腕力がないんや。ぐちゃぐちゃになっても、こっちが嫌なところを突き続けても、折れへんかったら地力で勝る自分の勝ちや。ちっこいお嬢ちゃんはまだまだやね。嫌なところを避け過ぎや』

 少女は顔をくしゃくしゃにして泣き、悔しがる。

 負けず嫌い、ここはあまり自分と似ていないとディエースは思った。

『まあ、次は自分の勝ちやろうね。僕、所詮素人やし』

『……ゆるさん!』

 脱兎のごとく退却していく様を見て、ディエースは生まれて初めて腹を抱えて笑った。きっと、彼女は貴人で、機嫌を損ねたら良くないことが起きる。それくらいの想像力はディエースにもあった。死刑囚である己にとって良くないこと、それは刑の執行が早まることであり、それはそれで悪くない。

 何よりも最後に小さな女の子の面白い顔が見れたから――

『なりません、陛下!』

『余が決めたことだ。どれ、余のリディを負かした者の面、とくと拝んで進ぜよう。ふは、これまた蛇のような男だな、実に面白い!』

『陛下! この者は罪人、大勢の人々を恐怖に陥れた野盗の王です。こちらも百将を二名、私が攻める前に討たれております。ご再考を』

『のお、ディエースとやら、貴様はリディをどう見る?』

 突如現れた男、聞き違いでなければ陛下と呼ばれていた。この国で、ガリアスにおいてそう呼ばれているのはただ一人。

 革新王ガイウスその人である。

『お行儀ええ子やね。僕が前に喰った連中と同じや。このままならどっかで躓くやろうけど、汚れる覚悟を身につけたらどこまででも行けるんやない?』

『ほほぉ』

『ま、よぉ知らんけど』

『ならば貴様がリディに教えよ。戦い方を。ダルタニアンと両輪、うむ、余の欲しかった欠けが見つかった。断っておくが拒否権はないぞ』

『僕が死刑囚やから?』

『馬鹿もん。余がガイウスゆえ、だ! がっはっはっはっは!』

 信じ難い話である。これは暴挙であろう。王があり、法があるとはいえ、死刑囚を身の内に取り込む王など聞いたことがない。顔をしかめる男は、自分を負かしたダルタニアンなのだろう、彼もまた天を仰いでいた。

『それに、リディの頼みでもある』

『……どういうことや?』

『勝ち逃げは許さん、だとよ。ぶはははは!』

 ゆるさん、の意味をディエースは勘違いしていた。そして王と共に彼もまた笑った。小さな女の子の好奇心が、負けず嫌いが、クズの己を生かした。想像もしていない面白い展開である。人生で最高の笑えるジョークであろう。

『まあ、余個人としても定跡を一切解さず我が軍を二度破った貴様が、ガリアスの定跡を修めた先を見てみたく思う。期待しておるぞ、ディエース』

 人生を分かった気でいたが、彼はこの日痛感した。

『サロモンに預ける。余の決定である』

『……承知』

 自分は一寸先すら見えていなかったのだと。

 あるかどうかも分からない来世に期待するよりも今面白い世界が、人が、自分の周りにいるのなら、それは身に余る幸福であり――

『よくきたな、ディエース。ギタギタにしてくれよう』

『僕、もう素人やありませんけど?』

『ふふふ、だからこそ倒し甲斐があるのだ!』

『ほな、お手柔らかにお願いしますわ、ちっこいお嬢ちゃん殿下』

『わたしの名はリディアーヌ・ド・ウルテリオルだぞ』

『長ぉて覚えられませんわ。ま、負けたら覚えられるんやろうけどなぁ』

『なるほど、目にもの見せてくれる!』

 分不相応なほど、世界は面白い。

『ふぎぎ』

『ここで駒、迷わせたんが敗因やね。手つき、顔つき、盤面以外もよぉ見んと転がされますよ、っちゅう話や。ええ勉強やね、ちっこいお嬢ちゃん殿下』

『……ディエースなんてきらいだ』

『くっく、僕は殿下のこと好きやけどねぇ。ほな、ここらで失礼しますわ』

 ぷんぷんと頬を紅潮させ、視線も合わせないリディアーヌ。それを見てディエースは苦笑する。まだまだモノに成るのは時間がかかるな、と。

 だが同時に――

『……またやるぞ。勝ち逃げは、ゆるさん』

『承知』

 こんなに悪戯し甲斐のある主人もいない、と彼は思っていた。

 嗚呼、この気持ちはいったい何と呼ぶのだろうか。

 生まれながらに色々欠けていた男は最後までその名を知らなかった。


     〇


「ディエース」

「様や、ちっこい坊主」

「ストラチェスおしえて」

「教えてください、やろうが。この国で礼儀がなっとらんのはあかんよ」

「せやな」

「……もしかして僕舐められとるん? 『蛇蝎』呼ばれとるんやけど」

 そう言いながらも『蛇の牙』が遺した一粒種を放置することも出来ず、おそらくこの手のことから最も遠いであろう男、ディエースが世話をすることになった。が、ディエースに料理は出来ない。掃除も嫌い、洗濯も好きではない。

 ダメンズに子育ては苦しいため――

「……そろそろコックでも雇ってくれませんか?」

「あかん。無駄やろ、費用が」

「……あの、あたし一応、次期『黒』の三貴士ですけど」

「人材不足やねえ」

「ぐぬ、言い返せませんよ。そんなの誰だって知っている話ですから」

 歪なる共同体の中核、家事全般を引き受ける(押し付けられた)のは『黒』の副将フェンケである。ゴーヴァンが死に、ヴォルフが去り、残ったディエースが最後に受け持ったのが『黒』で、彼の去就次第で彼女の立ち位置も変わってくる。

 別に三貴士になりたいわけではないフェンケの胸中は複雑であったが。

「男欲しいィ。糸目じゃないの。生活力ある男が欲しいィ」

「あっはっは、言われとるぞディオン」

「ディエースのことや」

「あほぬかせ。僕は何処でも生きていける生活力あるねん。都市部での生活が一番苦手なまであるわ。溢れとるやろ、生活力」

「……強くて、適度に馬鹿で、都市部での生活力のある男ォ」

「ウサギでももうちょい慎み深いわな。年中発情期やで、あれ」

「はつ、じょうき?」

「ディオンは知らなくていいの。『蛇蝎』閣下も言葉選んでください」

「知らんわ。ほれ、これで詰みや。僕が言うのもあれやけど、もうちょい基本学んでから挑戦しぃや。僕と同じ眼ェ持っとるし、センスである程度どうにかなるのも分かるんやけど、その先はないで。野盗の王が関の山、や」

「やとう?」

「悪い人のこと。この御方みたいな、ね」

「なるほど、やねん」

「……真似すんならもうちょいクオリティ上げて欲しいわぁ」

 ディエースは盤を片付け、机の上からモノを除ける。

「さあ配膳しろとばかりに……ディオン、こんなのになっちゃ駄目よ」

「せやせや」

「まあ、そこに関しては僕も同意見や。参考にするのはええけど、そいつに成ろうとすんのは味消し。劣化にしかならんわな。この凡人女でも僕に近い眼を持っとる。使い方がクソな上、恋敵にしか使わん阿呆やけど」

「んなッ!? な、なに言ってんですか。毒殺しますよ!」

「ほんでも、近接戦なら僕よりこっちの方が上手く使っとる。今度教えてもらうとええわ。僕は暗殺術に特化し過ぎとるし、近接は技術偏重や。僕遠視やから、あんまり得意やないねん。近場視るのが、な」

「……あたしも変な剣使ってますけどね」

「槍使えるやろ? 端々で出とるわ。出さんようにしとるんが滑稽やけどな」

「……近場、十分見えてますよ、『蛇蝎』様」

 蛇はにやりと笑い、机をポンポンと叩く。

「はいはい、ディオン、手伝って」

「承知やねん」

「……それは変」

 戦場の近く、そこで繰り広げられる即席の関係性。長続きなどしない、するような面子ではない。それでも蛇にとってそこは存外悪くない空間であった。

 あの牙が求めた理由も分かる気がする。

 これもまた、面白い話である。こんな景色を山ほど奪ってきた男がそれに浸ってようやく理解したのだ。その価値を。いつだって蛇は後から知る。

 その気持ちの、規範の、名前を、その意味を、価値を――


     〇


 ディエースは誰よりも早くウィリアム・リウィウスの危険性に気付き、彼の真価はガリアスに届き得るとネーデルクスという別角度から観察し、場合によってはこの国をガリアスと連動させ、潰すつもりでこの地にやってきた。

 見立ては正しかった。

 だが、肝心の男が北方に引きこもり姿を見せない。そして、見えないことはディエースやサロモンと言う人種にとっては見えるよりも恐ろしいことなのだ。彼自身、今は何もしていない。少なくとも大局に影響を与えることは。

 されど、見えない以上、彼は、彼らは警戒を解かない、解けない。

 しかし、牙は届かなかった。アルカスの闇に飲まれてしまったから。北方の動きは断片的に伝わってくるが、人の出入りが多少でもある以上、彼が中枢に向けて何かを伝達していないとも限らない。彼自身がいなくとも、影響下にいる何者かがそう動けば同じこと。中枢を押さえ切れなかった以上、情報戦は敗北。

 ガリアスの『蛇』、一度再編せねばならぬほどの痛手。

 見えない敵。ある意味、彼以上に北方へ幽閉されたことで振り回された者はいないだろう。まさにガリアスの伏龍であるディエースをかく乱するための、と考えるのは考え過ぎであろうか。されど実際、『蛇蝎』は取りこぼす。

 遠くの敵を見据え、近くを軽視していたがゆえに。

 決して甘く見ていたわけではない。だが、白騎士と比較してどちらが危険か、という問いならばディエースはノータイムで白騎士と答える。

 同等であるなどと考えもしない。実際に彼の主戦場である世界という舞台であればその通りであろう。しかし、ここは戦場なのだ。

 代り映えのしない戦場、日常と成った小競り合い、どっちつかずの消耗戦。

 その深奥で一歩ずつ、歩を進める存在など、彼には見えていなかった。

「おつかれさまー。差し入れだよぉ」

「大将閣下! ありがたく頂戴いたします!」

「進捗、予定より随分進んでるね」

「いやー、やってると練度も上がるものですね。たぶん今なら剣よりもピッケルとかスコップ振り回す方が上手いですよ、自分たちは」

「そりゃあ頼もしいね。僕も手伝おうか?」

「あ、いいです。進捗遅れますので」

「……ひどい」

 笑いの絶えないカールの秘した槍。見えないのは白騎士だけではない。

 遠過ぎたウィリアムと近過ぎたカール。

 その槍は静かに進む。一歩ずつ、着実に。遠く、多少湾曲させ、しっかり穴を補強しながら確実に、蛇の喉元まで――

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