穴掘りカールⅢ
静かなる開戦、それは地道なる戦であった。
大橋のネーデルクス側を都市化する計画。当たり前だが目と鼻の先に敵の拠点であるフランデレン(ブラウスタット)があり、そこからほぼ毎日敵が攻めてくる。
ギルベルトが主軸となって野戦で跳ね返し、並行して都市建設を行わねばならないのだ。業者も引け腰になり、兵士の士気も上がらない。この都市建設はいわば、ブラウスタットを諦めたと言っているようなもの。
妥協の産物を命がけで守り、造れという命令。
彼らの士気を上げるのは容易ではない。
「いやぁ、土のう重いよね」
「大将閣下、お立場を――」
「あはは、僕の立場なんて大したことないよ。僕に力がないから、本当は取り返したいけど取り返せない。こうして妥協の都市を造れと命令するしかないんだ。そんな僕がさ、誰よりも動かなきゃ、皆に申し訳が立たない」
「……閣下」
だからこそ、カールは率先して現場に出た。
皆を盛り立て、何とか戦線を維持し、作業を進めるために。
国家の、王族の命令によって妥協の都市を必死に造らせている、そう見せるための嘘。大将という本来は雲の上の存在が横で作業をしているのだ。
この時代においてありえない状況に盛り上がらないわけがなかった。
そして戦線が崩れかければ――
「盾隊構え! 絶対に敵を通すな。弓隊、引きつけ、五秒後斉射!」
「承知!」
すぐさま戦場に躍り出、敵を防ぐ盾となる。
必死の抗戦、それを見て敵味方共に都市建設の本気度を知る。
何とかルーリャ川の手前で食い下がりたいアルカディアの意地。それを押し出しかつての境界線を取り戻さんとするネーデルクスの意地。
二つのぶつかり合いが連日火花を散らす。
だが、本筋は其処にない。
「……閣下。進捗、あまり捗っておりません」
「だろうね。門外漢だもんなぁ、僕ら」
「簡単な土木技術はありますし、通常の攻城戦用の穴掘り程度なら私たちでも出来るのですが、今回は距離も距離ですし、バレぬよう深度もそれなりに必要で」
「何事も立ち上げ時が一番大変だからね。『上』は僕らが何とかして見せる。君たちは急がず慌てず安全第一に作業を進めて欲しい」
「承知しております。何としても繋げて見せます。国家のために」
「えー、本当にぃ?」
「こ、この私の忠誠を疑うのですか、閣下と言えどもそれは――」
「娘さん、生まれたの知ってるよぉ」
「うぐ!?」
「愛する人のために戦うのが一番だ。それもまた忠義だよ。国とは民の集合体、君の奥さんも娘さんもその一部、つまりはアルカディアさ」
「お、恐れ多いです、はい」
「君たちとも長い。きっとやり遂げられると信じている。長く、苦しく、誰にも言えぬ戦いになる。それでもやり遂げよう。アルカディアのために」
「はい! 期待に応えて見せます、閣下の信に応えるためにも」
「うん、信じているよ、ディーター」
カールと付き合いが長く信じられる人物のみを集めた部隊、敵味方に悟られず掘り抜くための本筋の要。彼らが地上に顔を出すことはない。カール大将のために用意された寝所を含む土地、其処から始まった長き道のりが貫くまでは。
掘り抜かれた土砂の排出は優先度を低いと『設定』した現場から搬出する。其処に地下道を繋げ、各現場に分散して搬出すれば多少の匂い消しにはなる。もちろん、地上の搬出班もカール大将肝いり、オスヴァルトの縁者まで混ざる始末。
それほどに信じ切れる人材と言うのは少ないモノなのだ。
「長丁場になりそうだねぇ」
「覚悟の上だろうが」
「もちろん。でも、僕に渡り切れるかな、この戦いを」
「弱音は許さんぞ」
「君だけに吐くから許してよ。他には絶対言わないから。なはは」
「……一日一回だけは許してやる」
「そりゃあありがたいね。ちなみにそれってストックできる?」
「出来ん!」
「あっはっは、残念無念」
野戦を終えた二人は軽口をたたき合う。部下たちもいつもの奴だと各々緩やかに撤退していき、二人もまたしんがりを務める形で撤退を開始する。
それが唯一、本当の意味で『軽口』を叩ける状況ゆえ。
「……明らかにディエースの仕込み、少ないよね?」
「ああ。捕らえた連中も『蛇』ではなかった。ネーデルクスの『黒』だ」
「何故だろう?」
「それが分かれば苦労せん。とはいえ警戒を緩めるのはあり得ないが」
「うん。良い状況ではあるんだけど、逆に怖い。もちろん緩める気はないよ。搦め手に関して彼は圧倒的格上、こっちの本筋を通そうと思うなら針の先ほどの油断も、妥協も許されない。勝つさ、そのための嘘だ」
都市建設に多少の探りを入れられるのは想定内。むしろ探らせてそれが本筋だと誤認させるのが狙いなのだ。もっと活発に探られると思っていたのだが、カールたちの想定ほど諜報に力が入っていない。
必要ないと判断しているのか――
「やってみてわかった。俺はこういう戦が一番苦手だ」
「僕はやる前からわかっていたけどね、あー、ギルベルト苦手だろうなぁって」
「……あの男は嬉々としてやるのだろうがな」
「だね。でも、今の状況なら僕の方が上手くやるよ。ウィリアムじゃこの方法は取れないし、取らない。だから彼は此処に来なかったんだ」
「奴でも取れんか?」
「僕と同じ方法ではね。他の方法は知らないよ」
「……まあ、奇想天外な手で奪取しそうではあるが」
「意外とアドリブが得意な方でもないんだけどねぇ」
「そうなのか?」
「想定外に弱い。まあ、誰だってそうだけど、あっはっは」
『蛇』を、動かせないのか。
勝手に決めつけることは出来ないが、それでもらしくない気がしたのは事実。
相手は『蛇蝎』、油断などできるわけがないが。
○
ディエースは集めた情報の前で目を細めていた。
そもそも細めなのは禁句である。
「……匂うんやけどなぁ」
都市建設、野戦、思った以上に士気が高い。最初は何かの伏線かとも思ったが、仕込みによる士気の高さではなく、総大将である男の力であることも判明済み。
状況は極めてこちらが優位。
相手の都市建設を野戦で遅らせつつ、エスタード方面を落ち着かせ、きっちりと準備して攻め込めば完成前であればどうとでもなる。
「脇が甘めなのも、奪還したいはずのここを諦めたがゆえ、隠すものなんてないって言う意思表示、なんやろうけど。引っ掛かりはある」
引っ掛かりが無さ過ぎるのが引っ掛かり。
ディエースにとっては気持ち悪い状況である。しかし、それを解消する『手』はない。サロモン直々の命により、アルカスへの仕込みに多くの『蛇』を割いた。牙もまた。ガイウス存命の内に処理しておきたい事案があるのだろう。
今のディエースを飛び越えての命令などそう在ることではない。
「ウィリアム・リウィウスの裏技。エウリュディケの報告に対するアンサー。今なのは分かるんやけどね。教師連中、爺どもも引っ張り出したんや」
ガリアス本気の一手。懸念を払うための裏技であるが。
「まあ、ええわ。しゃーないわ。優先順位は断然、左遷されてなおウィリアム・リウィウスやろ。正解や。僕の勘もそう言っとる」
サロモンの命令、ディエースもまた賛成である。そもそも彼がネーデルクスに来たのもアルカディア、否、ウィリアム・リウィウスを封じるための一手である。彼を脅威と見た上層部と己の判断により、ネーデルクスが滅びぬため彼は此処に来た。その価値はある。『蛇蝎』の勘もまたそう言っている。
彼のアイデンティティであり、『蛇蝎』たる所以。
「正攻法は苦手なんやけどなぁ」
正面から揺さぶり、相手を遅延させる。その間に攻める準備を整える。王道であるし、今の戦力ではこれしか出来ない。『蛇』が多少手元に戻ってきたとしても、状況はやはり変わらないだろう。眼前の敵も強いが、警戒はさらに遠くなのだ。
「まあ野戦も盆暗にはええ経験になる。僕もいつまでこないなとこにおるわけにもいかんしな。真っ直ぐなだけやった『白』には多少の小細工を仕込み終えた。今の『黒』に裏技仕込めばお役御免、やろ。その後は、何したろうかなぁ」
ダルタニアンと並んでガリアスの、という妄想は泡沫に消える。表舞台に立つのは自分の望みではない。あくまで裏方、それでいい。
後継者は彼女なのだ。自分はもう必要ない。
「まあ、『蛇』の頭くらいはしばらく務めたろうか」
脳裏に浮かぶのは牢屋。鎖に繋がれた己と小さな少女。
ただ、それだけのこと。
「ディエース様、お茶」
突如、小さな子供がディエースの使う部屋に現れた。
「ノックはどないしたん?」
「……足音」
「それで判別つくんは牙だけや。僕にはノックしぃ、ディオン」
「はい」
「自分も飲む?」
「いいえ、部屋の前で父を待つ」
「……寝る時はベッドで寝るんやで」
「床がいい。父と同じ」
「さよか。まあ、無理せんとな」
「はい」
全く感情を見せない子供を見て、ディエースはため息をつく。自分も大概な人生を送ってきたが、それでも純正の『蛇』と比べればマシだろう。
自分がネーデルクスにやってきた時、こちら側の担当であった牙と再会し、彼が子供を作っていたことに驚いたものである。『蛇』でも所帯を持つのか、と。だが、やはり彼はおかしかった。子供がはぐれないように首輪をつけたり、ベッドから落ちるのではと考えたのか床で寝る習慣を教えていたり、他にも色々。
立って寝る方法、足音の消し方、数えればキリがない。
だが、暗殺術だけは教えてなかった。それを知ってディエースは腹を抱えて笑ったものである。当の牙本人はきょとんとしていたが。
彼は知らず知らずの内に子供を『蛇』にしたくないと考えていたのだろう。未だに自覚はしていないが、サロモンにすら息子の存在を伝えておらず、技も教えていないのでは確定的。そういう普通の感覚があの男にもあった。
それはディエースにとっては衝撃だった。
良いことだとも思っていた。
「安心しぃ。自分が死んでも、この子ぐらいは守ったるわ」
未だ帰還せぬ『蛇の牙』、すでに予定は過ぎている。
遠き地で戦う同じ年頃の先輩。何一つ噛み合うことのなかった男であったが、それでもディエースは嫌いでなかった。強く、従順、死ねと言われれば死ぬ男が、たまに見せる人間臭さがたまらなくなるのだ。
きっと、彼は『蛇』でなければ良い親に成っただろう。その辺りが自分やアダン、アドンと違うところである。
「死なんかったら戻ってくるんやで。『蛇』なんてクソ喰らえやからな」
『蛇』に縛られた彼は規範に則り、長期の離脱をしてしまえば戻ってこないだろう。それでもディエースは祈る。そう在るのが一番良いのだと。
普通に生きられるものはそう生きればいいのだ。
「生きとったら、やけど」
遠く、ディエースの眼は東方を見つめる。
そう、彼はこの国に来てから一度としてかの国を、白き英雄から視線を外したことはなかった。それこそが己の役目だと思っていたから。
あの王会議で危険だと思った。一目見て理解できた。自分と同じ底辺を知る眼、その上で濃度は己よりも濃い。同類以外に感じさせぬ振舞いも含め、あれほど危険な存在はいないと思った。事件を知れば知るほど、確信と成る。
あれはガリアスにとって、彼女にとって最大の脅威となる、と。
だからこの地に来た。ゆえに国を離れた。
後のことを考えれば彼は間違いなく先見の明があったのだろう。遠くを見る力、それは革新王や白騎士に近いモノを持っている。
だが、彼は遠くを見過ぎていた。
カールを危険な相手と分析しながらも、遥か遠くの脅威から眼をそらすことが出来ない。そちらを優先してしまう。そこが『蛇蝎』の隙である。
遠見の力、それは決して良き結果だけをもたらすものでは、ない。
○
闇の王国、その深奥にいくつかの虚ろがあった。
闇の王、ニュクスの戦力を削るためにサロモンが打った手駒。とうの昔に現役を退き、『蛇』の教師として後進の育成に力を注いでいた者たち。
彼らはサロモン同様、知識としてウラノスを知る。長き時をガイウスと、サロモンと、世界を駆け抜けた古き時代の『蛇』たち。
だが、相手が悪過ぎた。
『ここまで迷いなく辿り着いたは見事よな。だが、わしとウラノスでは背負う命の数が違うのじゃ。術式に流した血、その量が、願いが、ぬしらを殺す』
闇の王ニュクス。彼女と目を合わせただけで彼らは虚ろと成った。彼女が背負う一端に触れさせただけ。流した血の記憶、絶大なる絶望、僅かなる希望、背負うに足るモノであれば問題なかった。彼らはそうでなかっただけ。
心を潰すこと選択した哀れなる虚ろ。
『わしは今、あまり機嫌が良くなくてのぉ。さらばじゃ』
吐息一つ、それは闇の王の慈悲。
虚ろたちはその機能を停止する。ころりと何も感じず、散る。
『届かぬよ、ウラノスの子。何故かなどわしが言わずとも理解できようて。世界が、時代が、選んでおるのじゃ。もはや変わるかよ、何人であっても』
神ですら、変えられない。
それが流れというもの。
ニュクスは哂う。それでも、分かっていてもこうせねばならなかった王の、その従者の足掻き、醜くも美しい人らしい矛盾に満ちた戦いに対して。
無意味と分かっていてもなお手を伸ばす。
それはかすれ果てた、かつての己たちを思い出す。
足掻き続ける道を選んだ最愛を、思い出してしまう。
『わしらは在って無き者。泡沫なる存在。それでも、確かに在ったのじゃ。わしは忘れぬよ、ぬしら背負えぬ者たちのこともまた』
消える命。上でもまた――
○
「……諦めろ。『蛇』では闇の王に届かない」
血濡れの竜、それを見て『蛇の牙』は顔を歪めた。暗殺者の器ではないのだ。自分とは違う。強さではなく、身から零れる雰囲気がそう告げている。
これが俺だ、と。
ディエースに、アダン、アドンに、彼らに在って自分にはないモノ。
最初こそ納得できなかったが今はしている。自分は頭になるべきではないし、なれるはずもなかった。己がない者に何故、人を動かすことが出来るというのか。
自分のない己では――
「撤退だ。俺が殿を務める。一匹でも生き延び、伝えろ。闇の王国には手を出すべきではない。裏技は最も遠い道のりである、と」
「逃がすと思うか?」
「逃がす。それが俺の役目だ」
最強の暗殺者『白龍』と対峙する『蛇の牙』。体中が総毛だつ。白龍以外の暗殺者も凄腕ばかり。平均をとっても『蛇』では及ばないだろう。
勝ち目ナシ。ならば、少しでも味方を逃がす。それが男の役目。
死に場所が来た。覚悟していた終わりの時。
「……征くぞ」
ナイフを二振り、牙を構えて突貫する最強の蛇。
迎え撃つは最強の暗殺者。
(……ディオン)
終わりの時、覚悟していたはずなのに、何故だろうか。
こんなにも怖いのは。自分一人の時は全く恐れていなかったはずなのに。
今は、こんなにも怖い。
○
「……父」
少年の息が白く、揺蕩う。
ディエースは静かに毛布を被せてやる。ただ一人、どこか自分と似ている境遇(まあ自分は親の顔すら知らないが)、床に座り一人眠りて待つ少年を見て彼は何を想うのか。『蛇』の頭は何も語らない。
最後まで彼はその子のことをサロモンらに伝えることはなかった。
きっとそれが彼の願いであったと思ったから。
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