穴掘りカールⅡ
カール・フォン・テイラーの評価、その多くは守戦に対するものであった。攻めに関しては、そもそもブラウスタットの防衛が主であったこともあり、それほど経験値もないというのが現状である。だが、それはあくまで彼が主将の場合。
話題に上がることのない十人隊時代、そして一つの伝説と成った百人隊長時代、今となっては色あせつつあるそれらが、あの男との日々が――
本来、戦いに向いていない男に引き出しを、牙を与えていた。
「穴を掘ろう」
攻城戦の王道である戦術である。それを咎める者はいない。
だが、弱い。相手は『蛇蝎』、そんなものを警戒しないわけがないのだ。
「それで勝てるか?」
己が剣であるギルベルトの問いにカールは首を振る。
「勝てない」
「……それでもやる、と?」
「ああ」
「嫌と言うほど妨害されるだろうが」
「いや、させないところから掘るんだ。もっと言えば、気づかないところから、だ。この大橋から掘り抜く。長い時間がかかるだろうけど」
カールの言葉にギルベルトは眼を見開いた。
「……遠いぞ」
「分かってるよ。でも、ここがディエースの急所なんだ。今回の件、今までの経歴から考えて、彼の強みはウィリアムと同じ、広さにある。盤外戦術じゃ僕らに勝ち目はない。そして近中距離戦でもエルビラと渡り合うくらいの力はある」
それは己にはない力。野戦でエルビラに勝てるか、と問われれば確たる返事は出来ない。負けない戦いなら何とかなると思うが。
「あくまで盤上、されど遠く、盤の隅から攻める、か」
「守りながら、ね。バレたら一発で終わりだ。匂い消しとして大橋のこちら側で都市建設を進める。元々、計画にもあった話だ。それを進めるだけ」
「なるほどな。それなら土砂が出ても不自然ではない」
ディエースを打ち倒すにはおそらくこれくらいの手順を踏まねば届かない。彼の真似では絶対に届かない。ブラウスタット言う盾を手に入れた『蛇蝎』を殺すには彼を超える必要がある。思惑を、思考を、策謀を、超えて刺す。
「穴掘り、その希望があれば兵たちも奮い立つだろう。いけるぞ、テイラー」
「……教えないよ、兵たちには」
「お前らしくないやり口だな」
「僕らしくじゃ勝てないんだ。今回の件で痛感した。僕がこの都市を守っていたとしても、ディエースの毒牙にはかかっていた。ブラウスタットだけを守る、その視点じゃ見えない相手だった。格上だよ、邪道で言えば世界最高峰だ」
自分の知る無理筋を押し通していた頃の『彼』でも及ばない。
そんな気がする。
広さでは勝っている。だが、敵は邪道のスペシャリスト。勝てるとしたら経験を積んだアンゼルムくらい、とカールは内心で考えていた。
だからこその王道。その上で白仮面のエッセンスも取り込む。
「穴掘りのことは掘り抜く部隊にのみ伝え、それ以外は王命によってブラウスタットを放棄、この地に新たなる都市を建造する、それだけを伝える」
「お前らしさ、誠実さはないな。好きではないやり口だ。あの男に似ている」
「嫌なら――」
「降りんぞ。やりたいことだけをやるなどと言う階級ではない。お前は大将だ、そして俺はその剣だ。どんな理不尽も、意に添わぬことであっても、俺がお前から離れることはない。それが剣だ。それがギルベルト・フォン・オスヴァルトだ」
「……重っ」
「……その表情でこぼされるとさすがの俺も傷つくが」
「あっはっは、冗談だよ。勝とうギルベルト、どれだけ時間がかかろうとも」
「ああ、勝つぞ」
方針は決まった。都市建造を目くらましに長距離を掘り抜く策。攻城戦の王道にして歴史に類を見ない距離からの奇襲でもある。
時間と金、人手、必要なものは多い。
「僕は一度王都に戻ってエアハルト殿下に陳情してくる。さすがに将が勝手に進める領分は超えているからね。あと、信頼できる者の選出も」
「その間は俺がここを守ろう。まあ、もう一度野戦を仕掛けてくる胆力があちらにあれば、だが。もし仕掛けてきたら、その準備、徒労に終わらせるぞ」
機会があれば勝つぞ、とギルベルトは言う。
「もちろん。でも釣られちゃ駄目だよ。この前のは君が強過ぎただけだ。仕掛け自体は五分だった。まあ、だからこそ来ないと思うけどね」
五分での仕掛け。ある件で怒れるカールの鼓舞があったとはいえ、ディエースが収拾をつけられず退くしかなかったのは神がかった剣士の存在が大きい。
とうとう死神を超えた、二代目剣聖という神をも斬る男が。
彼もまた踏み込みつつある。巨星とは異質な、別の領域への山巓に。
「あと、ガードナーを守ってやれ。お前にしか出来ぬことだ」
「うん。そのつもりだよ」
決意と覚悟、彼女の犠牲がカールを完成させた。ギルベルトは微笑む。長きに渡る綱渡り、その上で彼は渡り切るだろう。
そして示そう。
白騎士を欠いたとて、己たちがいる。早馬で伝わったアルカディアにとっての悲報。されどこの理不尽、ある意味で彼らにとっては証明の機会であった。
世界に示すのだ、自分が選んだ主、カール・フォン・テイラーの名を。
己を振るう彼こそが最強である、と。
○
「――大胆不敵。良いだろう、存分に振るいたまえ、己が力を」
「感謝いたします、殿下」
第二王子の姿はいつも通りであった。黄金の気配、カールの眼から見ても抜けている。並び立つ白銀の気配がなければ、だが。
(確かに、殿下はウィリアムを遠ざけた方が安定するだろうなぁ。僕がネーデルクスを抑えればヤンさん、アンゼルムがオストベルグに注力できる。何とかなる、か。中央に陣取ったアークランドが不穏だけど、あそこは攻めるにも、なぁ)
職業柄、気づけば世界の情勢にばかり目が向いてしまう。
不安定な、火種まみれのローレンシア。
「あら、カール大将。ごきげんよう」
「エレオノーラ殿下、ご無沙汰しております」
スカートの裾をちょんとつまみ、美しい所作での挨拶。
一挙手一投足が美しい。まさに美姫とは彼女のための言葉だろう。
「こちらに戻られていたのですね」
「またすぐに戻りますが。今度は勝って見せます。我が命に誓って」
「頼もしいですね」
エレオノーラはしばらく見ない内に突き抜けたカールを眩しそうに見つめていた。彼とは違う道だが、この男もまた這い上がってきたのだ。
そしてそれはエアハルトとも両立する。
今になって分かった。彼らがいるから兄は踏み切ったのだと。
「あの、ウィリアム様の処遇ですが、その、カール様からもお兄さまに陳情しては頂けないでしょうか? 今までの功績を鑑みれば――」
カールは首を横に振る。
「今は出来ません。殿下の後ろ盾がなければ勝てぬ戦です。僕からその件に触れることは出来ません。ですが、案ずることはないと思いますよ。王宮で言うのは憚られることですが、こうなることもまた彼の手の内な気がするので」
そう言いつつも一応陳情済みではある。と言うよりもカールとウィリアムの関係上、ふりでもそうしておかねばならないし、エアハルトがそれを諭すように跳ね除けるまでが一連の流れ。必要なのは時間、無理筋を通した代償である。
「そう、ですか」
「彼は必ず復活します。それの、良し悪しはわかりませんが」
「え?」
カールなりの考えはある。長い間、彼にまだ隙があった黎明期に共にした経験。今になって見えてきたものがある。この王宮では、否、アルカディアでは語れぬ推測であるし、カールがそれを彼以外の前で開帳することはないだろうが。
「では、失礼いたします。大事な人が待っていますので」
「大事な人。……まあ、そうでしたか。呼び止めて申し訳ありませんでしたね」
「え、と、伝わりましたか?」
「ええ。私、ヒルダとも仲が良いのです。年の離れたお姉様、ですね」
「そ、それは存じませんでした」
「色々聞いていますよ、カール様のことも」
「……こ、怖いですねぇ」
「良いことばかりです。ヒルダは貴方以外に貴方の悪口はそうそう言いませんよ。とても可愛らしい方です。よしなに、お願いいたしますね」
「承りました」
颯爽と去って行くカールの背を見て、案じていた人物はもう大丈夫だとエレオノーラは知る。きっと、あの二人には輝かしい明日が待っているだろう。
自分が踏み出せない一歩を、彼らは踏み出そうとしているのだから。
「私は、何をしているのでしょうね」
全てを振り切って走り出したい。しかし、王族という立場がそれをさせてくれない。それ以上に、彼が一人の女性を連れ立っていると聞いてしり込みしてしまった。一人であれば走り出せたかもしれない。
でも、今の彼もまた二人、なのだ。
ならば、今の自分に立つ瀬などないだろう。
それが歯がゆく、辛い。
○
カールがやってくると家人が押し寄せ、凄まじい勢いで彼を屋敷の中に入れてくれた。昔はあまり良い顔をされなかった記憶がある。
まあ、それほどの名家であるのだが。
「カール殿、来てくださったか!」
「ロルフさん」
「ロルフとお呼びくだされ。苦境の中、先に退かせて頂いたことは感謝の――」
「あはは、構わないよ。それで、ヒルダは?」
「不味い状況です。御顔に傷をつけられた時よりも激しく、暴れられまして。死んでやる、生き恥を晒す気はないと。刃物は取り上げたのですがガラスやペン、果ては本の角で自害されようとしまして、今は猿轡をかませ拘束しております」
「アグレッシブだなぁ」
カールは深呼吸する。本当なら彼女のお返しをした後に言うべきことである。まだ、それほどに自信はないのだ。あれだけ大言を吐きながら、根底は変わっていない。昔から自分に自信がない弱い己が二の足を踏ませようとする。
それを意志にて踏み潰し、カールは悠然と歩を進める。
運命の扉、その前に立つカールは躊躇いなくそれを開けた。
会った瞬間、言うべきことを言うために。
「ヒルダ!」
部屋は、もぬけの殻だった。
「え?」
「ば、馬鹿な! 拘束を食いちぎったというのか、どこまでおてんばなのだ」
引き千切られた拘束、皮ではなく鉄にすべきだったとロルフは思う。
ロルフ、膝をつきうな垂れる。
「ちょっと、ダッシュで探してきます」
「た、確かに屈しておる場合ではない、ですな!」
カールとロルフ、それに続く家人たちが一斉に走り出した。
行方をくらまさんとしているヒルダの捜索のため。
○
カールは肩で息をしながらようやく追いついた。
彼女ならきっと此処にいる。誇り高き武人であった彼女が、そう生きられなくなったのなら、絶対に来るはずの場所、父、カスパルの墓前に。
「……ようやく見つけたよ」
「……顔の傷はさ、よかないけど、飲み込めた。そりゃあひらひらのドレスってのも嫌いじゃないけど、でも、それで死にゃあしないし」
「山は越えたんだろ? 今の君だって死なないさ」
「死んだわよ。見ての通りね」
ヒルダ・フォン・ガードナーは腕の通ってない袖を引き千切り、戦場での手荒い処置によって築かれた醜い傷跡を見せる。
喪失した腕、もう二度と彼女は戦場に立つことは出来ない。もちろん、世界には例外がいる。隻腕でこそ輝いた武人すら。
でもそれは例外なのだ。しかも彼女の場合は利き腕である。
まさに武人としては致命傷であろう。
「生きてるさ」
「死んだんだよ、ヒルダ・フォン・ガードナーは!」
「武人の君と言う意味なら、そうだね」
「それ以外、私に何が残ってんのよ!」
「たくさん」
「ハァ? ふざけんじゃ、ないわよ! 顔に傷があって、腕ももげた。私にはもう、何も残ってない。せめて、ガードナーとして恥じないようにって」
そう思っていたのに、もうそれは叶わない。
「前にさ、約束しただろ?」
「……覚えてない」
「そりゃあないよ。僕はそのために頑張ってきたのに。本当はまだ、僕自身足りているとは思ってない。追いつきたい背中は、まだ遠いから。でも、君が捨てるって言うなら今で良い。僕が拾わせてもらう。文句は言わせない」
カールは一歩踏み込む。ヒルダは一歩、たじろぐ。
「僕は強くなったよ。君の分も、戦って見せる。僕ならそれが出来る」
「ハッ、随分と、粋がってんじゃん!」
残った片腕でカールを殴ろうとヒルダも踏み込んだ。
振りかぶったそれは――
「何度でも言う。もう、君は戦わなくていい」
カールの腕に掴まれていた。あんなにもひ弱だった男がいつの間にかいっぱしの力を身に着けていた。自分が病み上がりであることを考慮しても――
毎日彼が誰と稽古しているのか。泥にまみれて、傷だらけになって、それでも辞めなかった無謀。稽古相手であるギルベルトが引き上げたのだ。
カール・フォン・テイラーを戦士へと。
「結婚しよう。否でも良いけど、その場合死ぬのはナシだよ」
「……脅しじゃん」
「ああ。強かだろ?」
カールは力ずくでヒルダを抱きしめた。痩せてしまった彼女に普段の強さは感じない。ここまで削いだ相手がやはり許せない。
今はこの感情、押し殺そう。来るべき時に備えて。
「いっこだけ約束して」
「ん?」
「私を、一人にしないで」
「……約束するよ。必ず生き抜いて見せる。君は知らないかもしれないけど、僕らの生き汚さって相当だったんだよ。大丈夫さ、僕は無敵のカールだ」
「それ言われてたのめっちゃ前じゃん。バーカ」
堰を切ったように泣き始めるヒルダ。それを見ないようにカールは目を瞑りながら背中をさすっていた。揺らがずに支えよう。彼女は弱い。繊細で、強がりで、あまのじゃくだけど、根は優しい。ルトガルドが貴族社会で孤立しないように色々引っ張り回してくれたのもその一端。
優しいのに、隠すからなお弱くなってしまう。
もう隠す必要はない。
「僕が守るよ。君を。ガードナーを。アルカディアを」
将と成り、戦士と成り、名実ともに国の盾に成った男は強く抱きしめた。
「娘さんと閣下の力、頂戴いたします」
明確に守るべきモノを得た。
守るためにこそ力を発揮する男が最高のモチベーションを得た日。
アルカディアは期せず最高の盾を手に入れた。
「閣下、これでガードナーは安泰でしょう。わしもようやく息子の下にいけまする。長かった。とても、長かった」
ロルフらは滂沱の涙を流しながら邪魔せぬように遠巻きにそれを見ていた。
○
「戻ってきたか」
「ああ」
「ガードナーは?」
「とりあえず結婚してきたよ」
「……そ、そうか」
「式は、勝った後にやる。だから、絶対に勝つ」
「ふっ、無論だ」
これより始まるは長き戦。『蛇蝎』の眼をかいくぐり、穴を通すという綱渡りを完遂する。失敗は許されない。そのための準備はしてきた。
エアハルトと兄に話を通し、集めに集めた本気の資材。
これを見て誰も穴掘りが本筋とは思うまい。
敵も味方も欺く鬼手。
「取るぞ、ディエースの首!」
「承知!」
蒼き盾、彼の名を世界に知らしめる戦が今、静かに始まった。
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