穴掘りカールⅠ

 月明かりのない闇夜。

 暗躍するは蛇、頭が選りすぐった精鋭中の精鋭である。

「……他の者は?」

「まあ、当然排除させてもろたわ。おもてたより、雑魚やったわ」

 障害を排除し、到達する。

 彼らの目標であるオスヴァルト当主、いや、難攻不落の都市ブラウスタットを率いる第一軍大将、ヘルベルト・フォン・オスヴァルトの下に。

 辿り着いた蛇は二匹。

「挟むで」

「ああ」

 頭である『蛇蝎』のディエース、剣を使うところなど戦場ではほとんど見せていなかったが、立ち居振る舞いでヘルベルトは強敵であることを認識した。

 そしてそれ以上に――

「本当に存在していたのか。ガリアスの諜報部隊『蛇』。その中で最強の存在と噂される『蛇の牙』、か。相手にとって不足なし!」

 もう一人が、強い。濃密な血の匂い、彼によってここまでの道が切り開かれたのだろう。如何に真夜中とはいえ、大将首まで到達することなど至難の業。

 少数精鋭、闇夜に乗じて音も無く、彼らはここまで来た。

「ほんまは存在せえへんかったんやけどね。噂だけ流して混乱させるためのデマ、が真になってもうてん。強いから、ま、気を付けた方がええで」

「貴様もな。だが、負けん。俺は第一軍大将、オスヴァルトだ!」

 ヘルベルトが剣を引き抜いた瞬間、蛇二匹は表情を消す。

 片方は長剣ひと振りを構え、片方はナイフをふた振り巧みに操る。

 一瞬の静寂、そして同時に動き出す。

 先手はヘルベルト、煌めく剣閃は二匹の立ち位置を両断する。待ってましたとばかりに二匹は左右に挟む形をとり、必勝形を形成した。

「詰むで?」

「御託は良い。来い」

「…………」

 二匹に挟まれながらもヘルベルトの表情に変化はない。腹芸をするつもりはない。さっさとやりたいことをやれ、己は来る攻撃を捌き、断ち切るだけ。

 無言で二匹は巧みなコンビネーションを敢行する。

 サロモンが鍛えた『蛇』、諜報技術のみならず戦闘技術もまた彼らは共有している。ディエースは中途組であったが、戦闘の基礎はサロモン仕込み。

 そして牙は生粋の『蛇』仕立てである。

 ディエースが下段を断てば、牙が上段を断つ。右を断てば左。流れるようなコンビネーション、彼らにとって尋常な一対一よりもこういった戦闘経験の方が多い。卑怯、姑息、どんな手段でも勝てば良い。ゆえに迷いはない。

 だからこそ――

「無駄が多いな」

 それら全てに応じ切るヘルベルトの剣、その冴えが映える。

「あかんわ」

「ディエース。手数を増やすぞ」

「しゃーないわな」

 ディエースは躊躇いなく自らの剣を放り投げる。ヘルベルトはその奇襲を難なく回避するも、その先には牙が待ち構え、ナイフでの攻撃でヘルベルトの姿勢を乱し、僅かに体勢を崩す。そこからディエースの投げた剣を足の指で『掴み』、足を用いた三つ目の牙で断ち切る。常識に囚われぬ、暗殺術仕込みの応用力。

「ちィ!」

 ようやくヘルベルトが揺らぐ。揺らぎながらも見切り、その奇襲すら回避し切ったのは見事。さすがは剣のアルカディア、その看板を背負うオスヴァルトの当主である。ここまでの系譜たちとはレベルそのものが違う。

 おそらく現段階での戦闘力はまだ弟よりも兄が勝る。

 だが――

「しゃーないわ、自分、強過ぎやで」

 ディエースの右手にはナイフが一つ。左手は、空。

「……くだらん」

 すでに投擲を終えたそれはヘルベルトの肩に刺さっていた。

「この程度で俺の剣が揺らぐと思っているのか?」

 それを引き抜き放り捨てるヘルベルト。

「揺らぐで、人間やもの」

「ならば刻み込め、オスヴァルトの剣は貴様らの常識を超える、と!」

 手負いであっても剣に身を捧げた一族、オスヴァルトの当主ヘルベルトの剣に陰りはなかった。予備のナイフを取り出し、二匹で合計四つの牙を相手に圧巻の奮闘を魅せる。無機質で、怜悧で、それでいて熱い、ヘルベルトの剣。

 長き攻防の果て、この中で一番弱い、ディエースの腕が斬られる。

「ッ!?」

 浅くはない。

「これが、オスヴァルトだ」

「……化け物か」

 牙が意思を見せるほど、感嘆するほどの剣技。否、彼の精神力こそ牙にとって信じ難いモノであったのだ。もう、彼の眼は何も映していないはずなのだから。

「くだらんと、言ったぞ」

 口の端から血を流し、死の淵に立とうとも揺らぎなし。

 ディエースが放ったナイフに仕込まれた毒は比較的即効性の毒である。全身に激痛を与えるのがファーストステージ、すぐさまセカンドステージ、眼が充血し視力を奪っていく。最後のサードステージは、より大きな激痛と共に死亡する。

 対象を確実に殺すための毒、である。

「死ぬぞ」

「それがどうした、牙よ」

 強がり、そう言い切るにはこの男の活力、些かの衰えもなかった。激痛が身を侵しているはず。眼は見えていない、はずなのに。

 この男は真っ直ぐと敵を睨みつける。

「弟の主よりこの都市を預かった。その俺が負けるわけにはいかぬ。俺は死なんし、死するならば貴様らを殺し切る。それが俺の覚悟だ!」

 裂ぱくの気合、これがアルカディアの大将。オスヴァルトの名を背負う男の姿。ディエースは止血しながら顔を歪めた。またしても自分は読み違えた。

 敵の器を。それがこのタイミングで良かったと心より思う。

「……許さんで、ええよ。戦いは、自分の勝ちや」

「……貴様ッ!?」

 ここに来て初めて、ヘルベルトが大きく揺らぐ。

 ディエースが目配せした瞬間、二匹の蛇は躊躇いなく撤退する。

「ぐっ、畜生ッ!」

 今のヘルベルトは追う眼を持たなかった。普段であればそれでも気配を、音を辿って追えるのだが、相手は超一流の暗殺術を修めた蛇。音がしない。

 気配が、無い。

 ヘルベルトはあらん限りの声で叫ぶ。誰かいないか、侵入者がいる、相手は少数だ、落ち着けば対応は出来る。しかし、それは誰にも届かない。

 届く距離に、人の命がないから。

「間一髪だった、か」

「せやね。僕、距離近いとあかんわ。最近よお負けとるしな」

 残っていた命も急ぎ、この二匹と残りの『蛇』が始末をつけていた。先ほどは強がったが想定を遥かに超える消耗、オスヴァルトの系譜たち相手に『蛇』の多くを討ち取られ、頭と牙も満身創痍、特に頭は利き腕を一時的に喪失した状態である。

「これ、遺るやろなぁ」

「ああ。まあ、安い買い物だろう」

「せやねぇ。ほんま、そう思うわ」

 まあ、己にとって腕などあってないようなもの。頭が現場に出張らなければならない時点で、この状況は決して良い状況ではないのだ。

「ほな、いこか」

「「「「承知」」」」

 最後の一仕事、ブラウスタットの門を開ける。

 それで、詰みである。

 この闇夜であれば容易い仕事、自分たちを潜り込ませた時点で勝負はついていた。他の都市よりも厳しいチェックを設けていた都市であったが、『蛇』にとってはむしろやりやすい環境である。多数の人間が入り組む場所である以上、どんな手段を用いようとも方法はあるのだ。いくらでも手はある。

 日の当たる人間には理解できないだろう。外への厳しいチェックによって内部が緩んでしまうのも仕方がない。こっちは闇のプロ、其処に持ち込んだ時点で彼らは勝っていた。誤算は相手の強さ、事前の情報よりも、強かった。

 蛇の中でも上位のディエースと最強の牙、二匹がかりでも負けたのだから。

「恨むんなら、僕を恨むんやで、剣聖の末裔」

 さあ、終わりにしよう、と『蛇』が動き出す。

 そして、都市が落ちる。

「……すまぬ、ギルベルト。俺は、弱い兄だった。お前の才を受け止めきれぬ、弱い、本当に、くだらぬ、男だった。お前は強くなる。誰よりも、強く」

 その炎をヘルベルトは感じ取ることすら出来なかった。

 すでに四肢に力はなく、生涯手放すまいと思っていた剣は零れ落ちている。

「申し訳ございません、父上。私にオスヴァルトは重過ぎました。我が剣は、嗚呼、そうだったな、とうに、零れ落ちて、いた、か。なあ、クソ天才野郎、もっと、早く、復帰するなら、言えよ。そうしたら、出世なんぞ、誰が、剣一本、馳せ参じ、共、に――」

 脳裏に浮かぶのはほんの少しだけ交錯した、ラコニアでの戦い。

 あれはよかった。ほんの少しだけ昔に戻れたから。

 彼と一緒なら、彼らと共に戦えたなら、弟の才に押し潰されることなく胸を張って生きることが出来た気がする。俺があの男の剣だ、と。

 ただ、ただ、悔いが残る。

 全身から血を流しながら、ヘルベルト・フォン・オスヴァルト、散る。

 その手からは剣が、零れ落ちていた。

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