血濡れの白虎Ⅲ
ストラクレス、ベルガー率いる至強のオストベルグ。エル・シド、ジェド率いる烈強のエスタード。そしてサロモン率いる最大のガリアス。
これらを相手取り、己が領域で一敗すらしていない怪物がいる。
何よりも彼らの神を墜とした怪物。巷では『英雄王』と呼ばれ始めた男。
聖ローレンス王国国王、ウェルキンゲトリクス。
「大層な名前だなァ、クソガキィ」
「ウェルキンだけでは愛想がないと適当に増やしました。お久しぶりです、ティグレ様。此度は何用で、我が国の前に陣取られたのですか?」
「ハッハ、口調は丁寧になっても礼儀のねえ野郎だ。この俺様が出向いてやったんだ、ナァ、そりゃあ戦うしかねえだろうがよォ!」
「相変わらずお変わりないようで」
戦場のど真ん中、両陣営が睨み合う狭間に彼らは立つ。
馬にも乗らずに座り込んでいたティグレに合わせ、ウェルキンゲトリクスもまた徒歩にて現れた。互いに得物は一つだけ。
槍と剣、シンプルな構図である。
「今時、このような戦争、流行りませんよ。ジェドならば絶対に受けないでしょうし、ベルガーも罠だと考えて近づかないでしょう」
「エル・シドとストラクレスなら?」
「……乗る、でしょうな」
苦笑するウェルキンゲトリクスと爆笑するティグレ。
「成熟したな、全盛期って奴だ。負ける気しねえだろ? クソガキ」
「そちらは老いましたな」
「おう、だからってよ、手ェ抜くと死ぬぜ。俺様なりに極めてきたつもりだ」
「ええ、分かりますとも」
穏やかな空気が流れていた。
今、この時までは――
「んじゃ、やるかい」
「ええ、古き良き、一騎打ち。こちらにとってはありがたい」
ティグレが槍を構える。ウェルキンゲトリクスが剣を抜く。
それだけで空気が一変、両陣営が張り詰めた。
「すぐにその軽口、聞けなくしてやるよ!」
「負けません。守るべきモノが在るので」
ティグレの格好は三貴士とは思えぬ紅き襤褸をまとったものであった。血が染みつき、獣臭すら漂う紅き毛皮。まさに血濡れの虎、『白虎』の面影はない。
荷は全て捨てた。今はただ槍が一振り。
「……難儀な」
気高さもクソもない、ただ一匹の虎へ。
上下の二連、虎の咢が迫りくる。当然、彼は本当の虎ではない。一人の人間、しかも老人。それなのに何故こうも、巨大に、虎に見えるのか。
「集、中――」
たん、後退しつつ宙へ飛ぶウェルキン。ただの後退だけでは足りぬと彼の蒼き眼が見抜く。上下の咢だけではない。喰らいついた後、来るは爪牙。
「しッ!」
必殺の三撃目を捌き、世界を俯瞰するような感覚でティグレを見下ろすウェルキン。シャウハウゼンとの戦いで磨かれ、時が成熟させた完全なる英雄。
「ガハ、よォく見てんなァ」
「……なる、ほど」
獰猛に見えていた。英雄をしてそう見えた。だが、その実、虎の動きは精緻極まるものであり、赤ではなく蒼みを帯びていたのだ。
深さは、虎。
「牙ァ!」
三撃目をあえて捌かせ、英雄の攻撃を誘い、横薙ぎの剣を肘と膝だけで押さえる。白刃取り、英雄が眼を見開いた瞬間には逆足での蹴りがウェルキンの顎を捉える。軸足は、槍。槍を支えに蹴り込んだのだ。
「ウェルキンゲトリクス様!」
英雄の軍勢が慄く。だからこそ、ウェルキンゲトリクスは蹴られた勢いそのままに蹴り返した。三半規管は揺らいでいる。しかし、負けのイメージを自らの勢力に与えることへの忌避感が勝る。彼らは守るべきモノの盾、揺らぐことすら許さない。
「ふはっ!」
その蹴りを槍の柄で受けるティグレ。野生の勘が語る。
「ここ、ダロォ!」
攻め時を虎は見誤らない。怒涛の連撃、激しく見た目は荒い。だが、その一手一手には次への布石が仕込まれていた。攻撃と攻撃、その間にあるはずの繋ぎが見えない。シームレス、ゆえに速い。
蛇に睨まれた蛙、走馬灯を見るかのように時が引き延ばされていく。ウェルキンゲトリクスの貌から自然と笑みが零れる。かつて、シャウハウゼンとやり合った時と同じ手応え。ほんのひと時の緩みすら許さぬ超絶の槍捌き。
ティグレ・ラ・グディエ、今が全盛期。自らが積み上げた俺の槍、『虎ノ型』にシャウハウゼンの『神』を喰わせた彼なりの究極。
「……勝てる、のか?」
その様子を遠方で見つめるキュクレインは固唾を飲んで見守っていた。あの英雄には墜ちて欲しい。しかし、それが己以外、神以外の手によるものであるのは――
「さしづめ虎の王、か」
「ガハハ! そうともよ、これが俺の槍、俺の人生、俺の全部だ! 『虎王ノ型』、テメエは逃がしてやらんぞ。もうここは虎口だぜェ!」
蒼き牙が、爪が、怒涛の如く押し寄せてくる。
「シャウハウゼンとも違う、荒々しくも美しいな」
その猛襲をギリギリでしのいでいるウェルキンもまた至高の才を持つ。技は劣れども眼は互角、上下左右、ありとあらゆるところから襲ってくる爪牙を見切る眼が彼にはあった。並大抵の攻めでは崩れてくれない。
何よりもこの男、無尽蔵の体力を持つのだ。
(くは、これだけ攻められてんのに息一つ乱さねえか、ガキィ)
ここで違いが出てくる。シャウハウゼンとティグレ、二人の最大の違いは極限状態で槍を崩せるか否か、であった。神は極限こそ槍を崩さない。逆に獣は極限状態でこそ崩してでも勝利をもぎ取りに行く。その差が、ここで出る。
「牙、ラァ!」
下段からの振り上げ、ウェルキンは眼を見開く。
「それは悪手だ」
剣とは違い、槍は柄が大半を占める。抑える箇所は剣よりも多く、その隙を見逃すほど今のウェルキンは甘くなかった。きっちり足で押さえ、これで詰み。
「ハッ、俺ァシャウハウゼンほどお行儀よくできてねえのさ」
押さえ込みながら剣を振るウェルキン。その瞬間にはすでにティグレは無手。片足を支点とし、もう片方の足で踵落としをする。
槍もそうだがこの男、戦闘の天才なのだ。
「アン?」
それは、もう片方も同じであるが。
相手の足をかち上げて体勢を崩す。それが虎の目論見であった。地の利を失えば攻め崩せる。桁外れの体力差、誤魔化しようのない年齢差を埋めるためのズラし。
そこであえてウェルキンゲトリクスは跳んだ。
天へと。
「龍じゃねえんだ、テメエに其処で出来ることなんてよォ」
何もない、そう言おうとして虎は好敵手であった男の技とも呼べぬあれを思い出す。類まれなる身体能力で飛び上がり、重力加速と共に振り下ろす雷鳴の一太刀を。
「…………」
ウェルキンゲトリクスの眼が煌めく。ここが勝負所、と察したのだろう。
蒼と紅、天空で二つが重なり、虹と化す。
「ガハ、『英雄王』、がァ!」
自然と零れたその男を表す名。勇者のようであり彼は勇者ではない。ストライダーは群れなかった。如何なる時も、如何なる時代も、彼らは孤高であり続けた。
それが責務、守護者たる者の務めと知るが故。
彼は違う。彼は王なのだ。勇者ではなく人の王を選び取った。
「ったく、とことん、時代じゃねえわなァ!」
虹の雷鳴が轟く。全体重、全てのパワーを込めた一振り。一瞬、回避することが脳裏に浮かぶもティグレはそれを喰い殺した。先がないのは己の方なのだ。
この鉄火場で勝たずにどこで勝つ。
「俺ァ、三貴士、ティグレ・ラ・グディエだァ!」
荷を捨てたはずの虎は僅か、瞬く間だけ背後を見た。自分の生まれた国を、自分が鍛えた子供たちを。虎が槍の次に愛した全てを、見る。
シャウハウゼンがかつて己が討ち滅ぼしたはずの剣に揺らいだのであれば、ティグレは最後の最後で三貴士であることが捨てられず、揺らぐ。
勝ちたい。勝たねばならない。彼らのために。
「牙ァァァアアアアアアッ!」
その一心が彼に俺の槍を捨てさせた。
その愛が純白の虎を血で染めた。俺の槍を手放し虎は紅く染まる。
「さようなら」
虹の雷鳴が一閃。
「……嗚呼、クソ、俺様と、したことが、よォ」
「誇り高き虎よ。貴方は俺が戦った中で、二番目に、強かった」
「ケェ、また二番かよ。畜生め」
鮮血が舞う。老いた体に鞭を打ってここまで来た。自らの血に濡れて、『白虎』は静かに終わりを迎える。折られた牙、俺の槍を支えに膝は屈さない。
「……ありがとな、爺の道楽、付き合わせちまってよ」
「今度は勝ちます、と言いましたから」
「ガハ、律義なガキだぜ」
ウェルキンゲトリクスは身を翻す。彼女以外、他者の死で己が揺らぎかけるとは思わなかった。彼が最後、獣の如く攻め立ててくれなければ、果たして己はこの剣、振り切れていただろうか。勝ち切ることが出来ていただろうか。
あの場末の闘技場で強さを、そして場末の酒場で愛を教えてくれた男に。
「ハハ、何が三貴士だ! 我らが英雄、ウェルキンゲトリクスに歯向かうなぞ」
「身の程知らずな爺だぜ!」
「ウェルキン! ウェルキン! ウェルキン!」
自らの英雄、その勝利に浮かれる彼らを――
「黙れ!」
彼らの王が征する。その眼は決して味方に向ける類のものではなかった。
一瞬で静まり返る聖ローレンス陣営。
その反面――
「ウェルキン、ゲトリクス!」
神を、虎を奪われた。仕掛けたのはどちらもこちら側。怒りを向ける筋合いはない。だが、それでも彼らにとっては神にも等しい存在で。
「全軍、突貫!」
虎の息子は全員に命じる。死んでも構わない。
虎の王の仇を取れ、と。虎の子たちは皆同じ気持ちであった。
だが――
「大馬鹿クソガキども! 戦場の勝った負けたに一喜一憂してんじゃねえ! 爺が一匹戦場でくたばっただけだ! なぁに揺らいでやがる!」
その突貫は今にも死にかけている虎に止められた。
「新しい時代が来るぞ! 槍一本じゃよ、抗し切れねえ時代だ! テメエらも虎なら堪えて見せろ! その先が、本当の戦うべき時、だ。今は伏せ、明日を信じろ!」
血濡れの『白虎』は凄絶な笑みを浮かべる。
「待ってるぞ、クソガキども。この俺程度、ひょいと超えて先に征けェ!」
血を吐きながら、噴き零す血も絶えた虎は、立ちながら逝く。
「ティグレ、様」
偉大なる三貴士、ティグレ・ラ・グディエ、ここに没す。
ここにいた者たちはティグレの願いを受け取った。だが、結果として彼らのほとんどはそれを繋げることも出来ず絶える。彼らは先んじ過ぎた。凡人が追いすがるにはあまりにも遠く、繋げられなかった者たちの絶望は計り知れない。
それでも、彼の言った明日は来るのだ。
虎が、虎の子たちが思いも寄らぬ所から――
『おや、禁酒していたのでは?』
『うるせえクソガキ、俺ァ死んでも酒は飲むんだよ』
彼らはそれを彼岸の彼方より、見つめていた。
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