第9話 柳貴妃と護衛兵


「また来たの?」


 細い柳眉を跳ね上げさせて年若い侍女は腰に手を置き、威嚇するように身体を前のめりにさせた。

 永翔は驚きに目を剥いた。繊細な美貌を怒りに歪めた侍女が睨みつけている相手が亜王である少年だったからだ。なぜ、同僚といい目の前の少女といい、殿上人相手に不敬な行為をするのか。自分が生真面目すぎるだけでこれが普通の対応なのか。様々な不安が脳裏を過ぎる。

 短気と有名な亜王がいつ切れ出すのかはらはらした気持ちで見守るが永翔の心配を他所に明鳳ははっと鼻で笑った。


「俺が来て何か問題でも?」

「玉鈴様はお忙しいの。貴方の相手をする暇はないわよ」


 侍女はしっしっと宙を手で払いのける。ごみのような扱いに永翔は冷や汗をかく。礼儀にうるさい盧大長秋が何も言わないのを不気味に思いながらも口を閉ざし、門兵として派遣されたもう一人の男に視線を向けた。どうやら彼はこの状況に慣れているらしく、「諦めろ」という視線を送ってきた。


「お前は本当に無礼だな。俺が亜王ということはしっかり理解しているのか?」

「してるわよ。小生意気で役立たずなくせに自分は有能だと勘違いしてる王様ってことぐらい」

「理解してないだろ!」

「だって本当のことじゃない」

「俺は仕事もできるし亜王として有能だ!」

「自分で言う? あとね、一ついいことを教えてあげるわ。有能っていうのは玉鈴様のような人をいうのよ」


 侍女は勝ち誇ったように胸を張った。


「俺に楯突くのはお前ぐらいだ」

「あら? それが嫌でしたら有能になられたら?」


 明鳳は渋面じゅうめんを作るが、殿舎から出てきた人物を視界に入れるとにたりと口角を持ち上げた。

 急に気持ちの悪い表情をする明鳳に侍女が片眉を持ち上げる。反論しようと口を開くが、


「豹嘉」


 青い裾を引き摺り現れた柳貴妃に背中をぺしっと叩かれ、口を閉ざす。


「亜王様への暴言、全て聴こえていましたよ。貴女は下がりなさい」


 柳貴妃は静かな声音で命じた。侍女——豹嘉はぐっと言葉につまる。


「玉鈴様。……けど」

「けど、ではありません」


 柳貴妃——玉鈴は羽扇で顔の半分を隠しながら、豹嘉を指差して笑う明鳳へ視線を飛ばした。


「亜王様」

「なんだ」

「私の侍女を指差して笑うのはやめてくれませんか?」

「こいつが悪い」

「豹嘉の無礼は謝ります。けれど、貴方の言動も亜王としていかがなものかと」

「うるさい! この女が俺を馬鹿にしなければ俺も怒ったりはしない!」


 子供のように言い訳をすると明鳳は殿舎の中へと駆けて行った。その後を貴閃は巨体を揺すりながら追いかける。

 二人の後をしばらく呆然とした面持ちで見つめていた豹嘉はすぐに我に返ったようで「なんなのかしら!」と声を張り上げ、二人の後を追いかけていく。

 残された三人は気まづさから顔を見合わせた。


「えっと、すみません。騒がしくて」


 申し訳なさそうに玉鈴が謝罪するので永翔は慌てて拝礼した。


「いいえ、私達は気にしていませんので」

「貴方は花彩池かさいちの警備をしていた方ですね」


 花彩池——華宝林妃の遺体が見つかった池の名前である。

 まさかあの柳貴妃に覚えていてもらえるとは思えなくて永翔は居住まいを正した。


永翔と申します」

「はい、貴妃の位を与えられました柳玉鈴と申します」


 続いて玉鈴は永翔の隣に立つ男を見た。


「先日に引き続きご苦労様です」

「いえ、今日も素晴らしい掛け合いでしたね」

「豹嘉もああは言っていますが亜王様がくると嬉しそうにするんです。張り合いがあるのでしょう」

「亜王様も嬉しそうでした」


 どうやら二人は顔見知りらしい。和気藹々わきあいあいと語り合うので会話に入れず、永翔は疎外感を味わう。この場を離れて警備に集中しようと考えたが会話を途切れされるのも申し訳なくて、永翔は黙って二人の会話の先を見守った。

 会話も弾んできたところで殿舎の中から「柳貴妃!!」と明鳳が大声で叫んだ。のと同時に硝子の割れる音と豹嘉の怒りの叫びも聞こえた。


「……すみません。私は失礼します」


 中で起こっていることを想像したのか玉鈴ははあ、とため息をこぼす。


「いえ、こちらこそ」

「今夜は冷えると思うので後で温かい飲み物を持ってきますね」

「いつもありがとうございます」

「お気遣いありがとうございます」

「いいえ。私の方こそ、最近はお世話になりっぱなしですので差し入れぐらいさせてください」


 玉鈴は小さく笑うと踵を返して去っていった。

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