第10話 金眼を欲する
臥室に入るやいな明鳳は臥台の上で台の字になり、両手で腹を撫でた。大きく膨らんだ腹にあるのは脂肪ではなく豚肉だ。夕餉に並んだのが豚尽くしの料理のため、胃が悲鳴をあげるまで食べた結果がこの腹である。
「腹がはち切れそうだ」
明鳳は苦しそうに唸る。例えではなく、本当に腹が裂けて中身が出そうだった。やっとのことで臥室に戻ってきたがもう一歩も動けない。
寝返りすら打てない様子が面白いのか椅子に腰掛けた玉鈴は袖で口元を隠し、くすくすと笑う。
「お気に召したようでなによりです」
「あいつは本当に料理が美味いな。性格は悪いが」
「最後の一言は余計です」
「本当のことだろう」
自分を馬鹿にする豹嘉が性格がいいとは微塵にも思いたくない。
しかし、それを玉鈴に言っても部下を溺愛する彼は静かに怒りながら訂正を求めるだろう。現に何度か訂正を求めて抗議された過去がある。これ以上、豹嘉を小馬鹿にする言動をすれば玉鈴はもっと怒ると予想し、明鳳は両眼を細めて天井に向かって舌を突き出した。
「亜王らしくしてください」
「……ここには俺とお前しかいない」
舌をしまうと今度は頬を膨らませる。もうすぐ十五歳になるというのに仕草はまだ幼子のようである。その様子がツボに入ったのか玉鈴は顔を隠して肩を震わせた。
「笑う前に早く言え」
ぶすっとした表情にまたもや吹き出しそうになるのを我慢して、気分を変えるために咳払いを一つ。玉鈴は背筋を真っ直ぐに伸ばすと持参した資料を広げた。
「とりあえず、今の時点で分かったことだけ報告いたします」
明鳳は首を捻り、視線だけ玉鈴に向けた。
「華宝林様を毒殺したのは侍女である仙月様です」
「証拠は?」
「仙月様の幽鬼が教えてくれました」
「幽鬼、か……」
「……信用ならないのでしたら彼女の
「いや信じているぞ。明日にでも使いをだして確認させる」
明鳳は慌てて弁解する。こんなことで機嫌を損ねられたら面倒だ。
「実行犯は彼女一人のため、他に協力者はおりません。彼女を検挙するには証拠は十分でしょう」
玉鈴の言う通りだ。殺害に使用した毒草が見つかれば簡単に検挙が可能だ。仙月が己の身の潔白を叫んでも証拠を盾にすれば無実でも投獄し、処罰を受けさせることができる。
「僕が庇わないのが不思議なようですね」
「お前はよく分からない。自分の命が危ないのに犯人を助けようとしたり、今回のように突き放したり」
「約束なんです。高舜様との。僕が対応するのは後宮及び国内での怪異や呪詛の類。毒殺などは口を出すなと言われております。どうしても証拠や動機が分からない時には呼ばれることもありますが基本的に僕は関与しません」
「なあ、一ついいか?」
「はい、なんでしょうか?」
「俺も幽鬼が見たい。見て、話して、そいつの意思を知りたい」
「華宝林様の件はもうしばらくお待ちください。解呪が分かれば反魂の術で対話が可能です」
「そういう意味じゃない」
「反魂の術を会得したいということでしょうか?」
「それもあるが
玉鈴は急いで資料から顔をあげた。両目を丸くさせ、大の字のまま動かない明鳳を訝しげに見つめる。
「……この眼を?」
明鳳の言っている意味が分からなくて右眼に瞼越しに触れた。
「便利そうだ」
玉鈴は複雑な表情で明鳳を見つめた。
「……この眼は貴方に似合いません」
この眼を綺麗だという変わり者はいたが、欲しいと言われたのは初めてだった。誰も彼もがこの眼を見ると恐れて気持ち悪がるか魅入られたように固まった。その中に欲する者は誰一人いなかった。
続いての言葉をどう切り出すか玉鈴が迷っていると小さな寝息が聞こえてきた。大きな腹が上下するのを見て玉鈴は静かに席を立つ。
ゆっくりと近づくと明鳳は幸せな表情で眠りについていた。きっと夢でも豚肉にかぶりついているのだろう。
「……本当に貴方といたら僕が僕でなくなります」
かつて、高舜は友と呼んで己を側に置いていた。何をするにしても玉鈴自身の気持ちを最優先にし、対等な立場を築かせてくれた。
彼の息子である明鳳は己を友と呼ばない。男と知っても廃妃せず、未だ貴妃の位を与え続けているのは玉鈴の力を利用し、王として君臨するためだと知っていた。
「僕は貴方の対です。僕が貴方を裏切ることは決してしません」
明鳳が恐れていることも知っている。玉鈴が持つ力を信じてはいるが、自分に従事すると信じていないことぐらい再開した時から分かっていた。
綿を詰め込まれた冬用の
「尭」
房室から出ると扉の前には腹心である部下が仁王立ちしていた。身長がある分、高圧的である。
「自分もついていきます」
尭は「絶対に」と付け加えてきた。
考えていることは見透かされているらしい。玉鈴が強く言えば聞くだろうが後で不貞腐れるのは目に見えている。玉鈴は困ったように眉を下げた。
「では荷物持ちをお願いします」
「御意に」
嬉しそうに拝礼すると尭はいそいそと玉鈴の隣に立った。
尭が隣に並んだのを確認し、玉鈴は保管庫に向かって歩き出した。
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