第8話 侍女の証言


「明凛様を殺したのは柳貴妃様です! なぜわたくしが主人であるあの方を殺さなければならぬのですか?!」


 それが華宝林の侍女、仙月せんげつの証言だった。

 毒殺犯が見つかるまでの間、安全のために身柄を保護されてもなお自分の無実を叫び、柳貴妃が犯人だと繰り返した。日に焼けた肌を青くさせ、唇を戦慄わななかせた姿は鬼気迫るものがある。亜王である自分と対面しても意思を曲げず叫びつづける仙月を見て、明鳳の脳裏に「もしかしたら」という考えが過った。柳貴妃はそんなことしないと心の内で理解していても、騙されているのは自分の方ではないのか。見鬼の才を持たない自分では呪詛の痕跡はおろか、幽鬼の類すら視認することはできない。だから、もし柳貴妃が嘘をついていても自分は知るすべがない——。


 椅子の背にもたれ、明鳳は晶国しょうこくとの間に交わした貿易条約が記された書類を睨みつけながら「どう思う?」と義遜に問いかけた。


「塩は昨年と変わらない量でよろしいかと。今年はやや不作でしたのであわと米などの作物は多くいただきましょう」


 義遜は昨年の輸入量と輸出量の資料から目を逸らさず答えた。冷夏れいかの影響か今年は特に穀物の出来が良くないと報告されている。


「違う。そうじゃない」

「そうではないとは?」


 求めていた回答ではなくて明鳳は書類を卓に叩きつけた。


「華宝林の侍女の言葉だ」

「彼が毒殺などするわけありません。呪殺もしませんよ。明鳳様は彼を疑っておられるのですか?」


 先日、「毒殺しました?」と笑いながら口にした癖に凄い手のひらの返しようだ。そのことを指摘しようと思って、やめた。指摘しようものなら後で仕事という嫌がらせを押しつけてくる男だ。黙って聞き流す方が得策だろう。


「いや、疑ってはいないが……」


 嘘だ。ほんの少しだけ、そう思っている。


「第一に彼がお妃様方を害する理由はありません。貴方様の寵愛を得ようなど、彼は微塵も考えてはいないでしょう」


 さらっと気色悪いことを言われ、明鳳の肌が粟立った。


「彼は高舜様との約束を反故ほごにするほど薄情ではありません」

「そうだよな」


 柳貴妃は父である高舜を慕っているのはよく知っている。彼の元に通い詰めるのは自分が知らない父の姿を知ることができるからだ。父の話をする時、柳貴妃は昔を懐かしむように両目を細め、弾んだ声音で思い出を語ってくれた。その姿に父への敬愛に嘘はないと断言できる。


「分かってはいる。いるんだが」

「彼は貴方様を裏切ることはできませんよ」

「どういう意味だ?」

「……話は変わりますが蒼鳴宮の修繕費を算出しました。こちらでよろしければ署名をお願いします」

「教える気ないな」


 明鳳は苛立たしげに眉根を寄せるがここで異論を唱えても義遜は答えないと予測した。

 黙って差し出された見積もり書を受け取り、金額に目を走らせる。これは先日、破壊した扉を直すついでにひび割れた壁や剥がれ落ちた塗装を塗り直してやろうと考え、見積もりを出せと命じていたものだ。


「安くないか?」

「妥当な金額かと」

「ふーん。まあ、いいだろう」


 さらさらと筆で署名し、名前に重なるように王印を押した。


「ありがとうございます。こちらの手続きは私で行っておきますね」

「ああ、頼む」

「お預かりします」


 椅子の背もたれにもたれかかりながら明鳳は凝った肩を解すために回す。動き回りたいが書類仕事も亜王のつとめ。我慢するしかない。


「次はこちらですが、この内容でよろしいでしょうか」

「貸せ」


 いつもならぶつくさ文句をいいつつ、逃げるための隙を伺うのに明鳳は素直に次から次へと書類を片付けていく。その素直さに気味が悪いと思いつつ義遜は黙って従った。

 ある程度、仕事が片付いたところで書類と睨めっこをする明鳳に視線を向ける。どうやら晶国との条約について納得のいかないところがあるらしい。難しそうな表情で「あの晶王ババアは俺のことを下に見ているな」と唸っていた。横からちらっと確認すると規制されている虎を寄越せ、と書かれていた。


「高舜様がお亡くなりになってから晶王しょうおう様の言動はますます酷くなりますね」


 同盟国である晶国の現王は兎や鼠などの小動物から豹や鹿などの大型の獣の毛皮を集めることに精をだす蒐集家しゅうしゅうかの一面を持っていた。

 そんな彼女が最も欲しているのは自国には生息しない虎である。亜国では虎は龍と並ぶ神聖な獣として狩猟及び飼育は禁止されている。その牙や毛皮を売買するのもご法度だ。そう何度も伝えているのに亜国の東方に生息する虎を事あるごとに強請ねだるので明鳳は辟易へきえきしていた。


「これは駄目だ。ババアのくだらない趣味のために条約を変えることはしない」

「その方がよろしいかと」

「もう我慢ならない。来春、晶国に使節を出す」


 本来、対等な立場のはずが晶王は孫ほど歳が離れた明鳳を見下してる節がある。一度、使節をだしてその考えを正さねばならない。


「人選はこちらでしてもよろしいでしょうか?」

俊角しゅんかくを入れておけ。あいつがいれば安心だ。他は任せる」


 鹿ろく俊角。礼部れいぶ侍郎じろうを任される義遜の甥であり、明鳳の腹心の部下でもある。叔父同様、柔和な面差しをした青年はその柔らかな雰囲気から想像はできないが忠義に厚い性格をしているため明鳳は気に入っていた。


「人数は?」

「十五、六人ほど」

「期間はいかがしましょう」

「一か月」


 淡々と答えながら明鳳が別の書類に手を出そうとした時、義遜が「明鳳様」と声をかけた。


「後でさい太医令たいいれいが健康診断のため太医署にお越しいただきたいそうです」


 太医署の長官、太医令は亜王及び王族専門の医官である。


「例の病はまだ治る気配をみせないのか?」


 うんざりだ、と明鳳は天を仰いだ。例の病とは今、国中で流行している流行り病のことだ。発熱や咳、体のだるさなど風邪の症状に酷似しているが完治までの期間が長く、悪化すれば吐き気が止まらないため太医署は新たな病と睨んでいる。

 そのため頻繁に健康診断を受けさせられた。元々、風邪はあまりひかない体質なので受けても意味はないと思っているし、その時間を別のことに使いたい。


「やはり太医署がいう新しい病気なのでしょうか。既存の薬はあまり効果がないようです」

「死者は?」

「普通の風邪と比べ、少ないようです。一度、柳貴妃様に相談してみてはいかがでしょうか?」

「ただの風邪だぞ?」

「それならばいいのですが……」

「なにを言い淀んでいるんだ?」

「いえ、ただ少しばかり嫌な予感がするのです。高舜様の時も普通の風邪だと診断された後に呪詛によるものと発覚した事例もあります」

「あいつは最近、仕事が忙しいらしいし、もうしばらく太医署に任せてみる。それで解決が無理なようなら柳貴妃に伝えるておけ」

「はい。御意の通りに」


 義遜は頷くと明鳳の前に書類の束を置く。

 小さな山を一瞥し、明鳳は見るからに嫌そうに顔を歪めた。


「その件が片付いた後でしたら急ぐ仕事はないのでご自由にしていただいても大丈夫ですよ」


 途端、明鳳は背筋を正し、輝く瞳を義遜に向ける。


「本当か? よし、すぐ終わらせよう。終わらせたら蒼鳴宮に行くから貴閃に声をかけておいてくれ」

「その前に太医署に向かってください」

「……分かった」


 そんなに早く仕事を切り上げたいのか明鳳は神妙な面持ちで書類に書かれた文字を読み上げ、承諾印を書く。その様子から逃走の恐れはないと判断した義遜は王太后の元にいる貴閃を呼びに執務室を後にした。

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