第3話 金眼に映るもの


「お前はなにを考えている!!」


 岸にあがった玉鈴を待っていたのは明鳳の叱責だった。


「今の季節を考えろ! この時期に入水などお前は馬鹿なのか!? お前まで風邪に罹るつもりか!?」

「……声をかけようにも水の中まで届かないと思って」


 明鳳の言っていることはもっともだ。なので玉鈴も反論はしない。そっぽを向いてたっぷりと水を含んだ袖や裾を絞り、義遜から受け取った布で髪や腕を拭く。


「言ってくれれば小舟ぐらい用意する! ……え、水の中?」

「ええ、華宝林様は水中にいます」

「呼び出せるか?」


 それには「無理です」ときっぱり答える。反魂術で呼ぶことはできるが水中では会話はままならない。地上に連れ出すことができても当の本人にがないので会話は難しいだろう。


「明確な日にちは答えることはできません」

「その言い方ならいつかは可能ということか」

「明日、いくつかの解呪の方法を試してみます」

「……毒ではなく呪殺なのか」

「いえ、死因はただの毒殺ですね。ただ、呪詛をかけられた形跡がありました」


 袖から覗く右手の人差し指には何かにかじられた痕があった。血は出ていないことから亡くなる数日前に負ったと考えられる。血の代わりに傷口からは呪詛の証である黒いもやが滲み出ていた。


「十中八九、蠱毒でしょうね」


 才昭媛の呪殺事件を思い出したのか明鳳が「またか」と呟く。


「呪いが身体を蝕むその前に、毒によって亡くなったのでしょう」


 黒い靄は全体からではなく指先からしか出ていなかった。目を凝らさなければ分からないほど弱々しい呪いだが耐性のない者なら徐々に体調を崩し、一ヶ月もしないうちに絶命する。


「誰がかけた」

「……さあ」


 玉鈴が肩を持ち上げた時、木枯らしが吹いた。


「寒いですね」


 こんな季節に入水したことを酷く後悔する。考えなしに行動する癖をいい加減、治さなくてはと思いながら体を震わせ、腕をさすった。

 玉鈴が袖で口元を隠しくしゃみをすると「当たり前だ」と明鳳は上着を差し出してきた。


「えっと」


 玉鈴は目を丸くさせた。差し出されたからには受け取ればいいと考えるのが妥当だが、この我が儘で自分一番な少年王が自分が寒いのを我慢するだろうか。いや、きっと受け取った後で「寒い。早く返せ」というに決まっている。


「僕は平気ですので亜王様が着ていてください」


 明鳳が風邪をひくと困るので受け取ることを辞退すると「いいから着ていろ」と投げつけてきた。


「ありがとうございます」


 着なければもっと機嫌が悪くなるのは簡単に予想がつくので袖を通すが肩幅が足りないので肩に羽織はおるだけにする。亜王なのだから高質な毛皮を裏地にしているのは分かっていたがここまで着心地がいいとは思わず、玉鈴は驚いた。それと同時に上着を池の水で汚してしまうことを後悔する。


「柳貴妃様、いったん、蒼鳴宮に戻りましょう。このままですと亜王様がお風邪をひかれます」


 義遜の提案に明鳳は「ひかない」と反論した。


「俺は平気だ。これぐらいの寒さで風邪などひくか」

「いえ、もう帰りましょう。今、僕ができることは何もありません」


 ふるふると首を振り、池を見つめるので明鳳も真似をする。見鬼の才を持たない自分には先程と同様、紅葉が浮かぶ静かな水面が見えるだけ。


「今もいるのか」


 しかし、玉鈴には水中で揺蕩たゆたう華宝林の姿が見えているのだろう。黒と金の双眸が哀しみに染まるのを見て、明鳳は問いかけた。


「ええ。ずっと一人で、寒い水の中に」


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