第4話 豹嘉と翠嵐
「玉鈴様を犯人扱いするなんて何を考えているのかしら! あの男の目は節穴よ! ほじくり出してやりたいわ!」
豹嘉は怒っていた。それはもう烈火の如く、怒っていた。
「ほじくりだすのは痛そうですよ」
その怒りように翠嵐は苦笑をこぼしながら的外れな返答を返した。
「痛みなんてないわ。だって、痛みが分かる人なら玉鈴様に『殺しました?』なんて聞かないでしょう」
「ただの軽口ではないでしょうか? お二人はご友人と聞いていますが」
「友人じゃないわよ。玉鈴様いわく、ただの仕事仲間。友人と思ってるのはあの男だけよ!!」
豹嘉は怒りのまま、卓を叩いた。その衝撃で
「あっ!」
豹嘉は急いで資料を持ち上げた。染みは空白のみで
しかし、この染みをどうしようか。
「最悪。あの屑がくるようになってから災難続きよ」
屑とは明鳳のことである。明鳳は蒼鳴宮のことを娯楽施設や観光地とでも勘違いしているのか自由気ままに訪れては殿舎内を探検と称して歩き回り、休息だと言っては勝手に庭園で眠った。そのせいで今までの幸せな日常が壊され、豹嘉はいらいらが止まらない。また、亜王になにかあっては一大事だと明鳳の滞在中は門兵が派遣されたのも苛立たしい。
「最低最悪!」
「本当に?」
「翠嵐。貴女、何がいいたいの?」
鋭い目つきで豹嘉は翠嵐を睨みつけた。出会った当初ならその目つきに怯えた翠嵐だったが半年も共に過ごしたお陰か今は怯える仕草を微塵も見せない。
「いえ、そうはいうけれど、最近、なんだかとても嬉しそうに見えたから」
資料の内容を白紙の紙に書き写しながら翠嵐はくすっと笑う。
「だからいい事あったのかなって思いました」
豹嘉はぐっと言葉につまる。兄にすら悟られなかった内心を指摘され、恥ずかしさから頬を染めた。
「……夢を見るの」
「夢ですか?」
翠嵐は筆を置くと面をあげた。
「そうよ。最近、毎日のように視ているんだけど内容は思い出せないの」
「でも、いい夢なんですよね?」
「ええ。とても幸せな夢なの」
「思い出せたらぜひ聞きたいです」
「もちろん、嫌だっていうまで話しをしてあげるわ」
はにかみながら告げると豹嘉は思い出したように資料を手に取った。自分が担当していた資料の書き写しが六割程度しか終わっていないことを思い出し、笑みを消し、憂鬱そうな顔をする。
椅子に座り、続きを書こうと筆を持つと翠嵐が紙の束を差し出してきた。
「これで書き写しは終わりです」
豹嘉が怒っている間に二人分の書き写しをしていたようだ。豹嘉は紙の束を受け取り、「ごめんなさいね」と謝罪した。
「今度、翠嵐が好きな料理を作ってあげる」
「約束ですよ」
料理上手の豹嘉が自分の好物を作ってくれることに喜びつつ、翠嵐は一つの疑問を抱く。
「しかし、これはどうするのでしょうか?」
主人である玉鈴に頼まれ、昭花院から借りた資料を二人で書き写していたがなぜ書き写す必要があったのだろうか。先王から許可が降りているのならそのまま借りておけばいいのに。
「玉鈴様が多忙な時は手が空いている人が資料を書き写しているのよ。高舜様はいいっておっしゃっていたけど、個人情報を借りたままにしておくのは玉鈴様が嫌がるの」
「そういうことでしたか」
「分かっていると思うけどこの情報は私達以外、他言無用よ」
「はい、分かっています」
「まあ、貴女は外に出たがらないから誰も心配はしていないけど」
人見知りが激しいのか翠嵐は蒼鳴宮の外に出たがらない。亜王や門兵にも姿を見られるのが嫌らしく、彼らがくる日はほとんど奥で書物や刺繍をして過ごしていた。こもりっきりだと気分が滅入るからと尭や豹嘉が宮外へ出かける時に一緒に行かないかと声をかけるが「庭園があるから大丈夫です」と断られる。
「もう皆が知っているのだから出歩いてもいいのに」
動物遺棄事件の後、後宮全域に「才昭媛が王命により柳貴妃の侍女になった」という知らせが届けられた。慈悲深い柳貴妃が才昭媛の身を案じ、自分の元へ身を寄せるように進言したといわれている。才の血をひく不安分子ではあったが柳貴妃の管轄下にいるのならばと亜王は許可をだした。高官の中には異を唱える者もいたが「文句があるなら私に直接言ってください」という柳貴妃の言葉に皆、口を噤んだ。
なので翠嵐が後宮内を歩いていても今は誰も気に留めることはない。
「出歩きたいとはあまり考えたことはないので」
「そう、外に出たかったら声をかけてちょうだい。私でも兄さんでもいいわ」
「ありがとうございます」
豹嘉は書き写した方の紙の束を手に取ると立ち上がった。
「私はこれを玉鈴様のお
「そういえば玉鈴様はどちらに? 今朝早くに出かけられたまま、まだ戻っていませんね」
翠嵐の問いかけに豹嘉は盛大に嫌な顔をした。
「糞餓鬼と一緒に華宝林のところよ」
玉鈴が力を貸すと決めても豹嘉にとって糞餓鬼——明鳳が天敵であることには変わらない。
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