第6話 豹嘉の我が儘


 夜の帳が降りた。昼間の雨空は嘘だったかのように格子窓の外は満天の星空が広がっている。きらきらと輝く星々の明かりが柱に背を預け、腕を組む玉鈴の横顔を照らす。


「豹嘉。何度も言いますが自室にお戻りなさい」


 目の前にいる侍女に優しく語りかけるが気落ちした様子を見せる豹嘉は首を縦に振らない。


「一緒に眠りたいです」


 頑なに共寝を望むので玉鈴ははあ、とため息を溢す。豹嘉が幼い頃、心の傷から眠れない夜は尭や淼を含めた四人で就寝したこともある。しかし、今や豹嘉は大人の女性だ。本人にその気がなくてもさすがにじぶんと共寝は駄目だと玉鈴の理性が告げる。


「もう、一人で眠れるでしょう」


 ため息混じりに問いかけるが豹嘉は答えない。


「……豹嘉。いい子だから一人で眠りなさい。もし、嫌な夢を見るのならまじないをかけてあげますから」


 つとめて優しく語りかけるがそれにも豹嘉は何も答えない。堪えるようにぎゅっと衣服を握りしめ、面を伏せている。

 玉鈴は困ったように頬を掻き、目線を合わせるため膝を折る。


「もし、眠れないのなら木蘭様か水蝶様にでも頼みましょうか?」

「……嫌です」

「嫌ですって言われましても」

「なんで駄目なんですか?」

「もう子供じゃないんですよ」

「こういう時は大人扱いなんですか」


 豹嘉は大きな目からぽろぽろと涙を溢し、震える声を絞り出す。滴は頬を伝い、寝衣に染みを作った。


「泣かないで」


 ぎょっと両目を見開いた玉鈴は焦った様子で豹嘉の頭を撫でた。幼い頃ならこうすればすぐ治まり、笑顔を見せくれたのに涙は止まるどころか勢いを増す。


「わかりました。わかりましたから泣き止んで。擦ると傷ができますよ」


 ごしごしと両目を擦る腕を捕まえ、玉鈴は頬を緩ませた。


「本当に貴女は素直に育ちましたね」

「……ごめんなさい」

「今夜だけですよ」


 涙に潤う頬を撫で、玉鈴は目尻を下げた。


「正し、僕は持ってきた仕事があるので先に眠ってくださいね」




 ***




 開け放たれた窓から入り込んだ風が燭台に灯る炎を揺らす。右に左に。ゆらゆらと。それに呼応するように床に伸びる影も同じ動きを見せた。

 豹嘉はしとねに横たわりながら踊る影を横目で見つめた。


「——玉鈴様」


 影の主人は榻に座りながら蒼鳴宮から持参した書物に夢中になっていたが豹嘉が小さく名を呼べば優しく笑みながら振り返った。化粧を施していない端正な横顔が炎に照らされる。


「どうしましたか」

「あの……」


 呼んだはいいが続きが浮かばす言葉に詰まる。気まずくなり敷布を目元まで引き寄せた。

 玉鈴は何も言わず、読んでいた本を閉じると腰を上げた。そしてそのまま豹嘉の隣に腰を下ろした。臥台がきしむ音が嫌に大きく聞こえ、豹嘉は息を飲む。


「ゆっくりでいいですよ」


 いつものようにゆったりとした口調で、玉鈴は微笑んだ。


「一人では眠れませんか」


 長い指先で豹嘉の前髪を梳きながら玉鈴は問う。


「僕ももう寝ますから少し待っていて下さい」

「……ごめんなさい。深夜遅くに押しかけて。大切なお仕事を邪魔して」

「泣かないで。これは明日でも間に合うので大丈夫です」


 玉鈴は目尻に溜まった涙を指先で拭う。

 くすぐったくて豹嘉は身動ぎした。幾分か緊張も解れたらしく、先ほどよりも和らいだ表情を浮かべた。


「……血塗れのお姿を見た時、ぞっとしました」


 豹嘉は目蓋を閉じた。


「いつか、母様のように、玉鈴様まで居なくなってしまうんじゃないかって」

「僕はまだ死にませんから安心して下さい」

「わかってます。わかってはいるんです」

「心配性ですね」


 玉鈴は口元を袖で隠した。


「……何が面白いんですか」


 微かに震える声音に、豹嘉はじとっとした目つきで玉鈴を見つめた。


「気が強く、誰にでも啖呵たんかをきる貴女にも怖いものがあるのだと思い、安心しました」


 嬉しそうに玉鈴は言った。昔を思い出すように両目が細められる。


「貴女は僕たちを心配させまいと無茶をするから」


 後宮に来た当初を言われているのだと察し、豹嘉は顔を赤くさせた。


「無茶なんかしていません!!」


 語気荒く叫び、敷布にうずくまる。


「僕のためなら亜王様にすら噛み付くではありませんか。鬼道を使えないのだから危ない行動はおやめなさい」

「別に鬼道が使えなくてもあんな餓鬼一匹、捕まる前にどうにでもできます」


 豹嘉ははっと鼻で笑った。

 乱暴な物言いに眉をひそめ、玉鈴は豹嘉の頭を小突いた。


「何するんですか?!」


 敷布を投げ飛ばし、豹嘉は勢いよく上半身を起こす。力は込めていないため痛くはないはずだが小突かれた部分を押さえ、涙目だ。


「僕は亜王様のため、力を貸すと決めました」

「だからなんですか」

「貴女が嫌なのは分かっています。けれど、僕の気持ちも汲んで下さい」


 玉鈴の懇願に、豹嘉はぐっと言葉を飲み込む。


「僕は死にません。貴女達、兄妹を置いてはいきません」


 その言葉に豹嘉の頬に一筋の涙が伝う。


「死なないでください」

「ええ」


 その涙を玉鈴は指先ですくいあげる。


「約束します」


 豹嘉の頬を撫でて、玉鈴は強く頷いた。


「……ごめんなさい」

「もう謝るのはやめなさい」


 謝罪は必要ない。自分にも十分落ち度はあると理解している。だが、どんなに玉鈴が諭そうとも豹嘉は謝罪を続けるだろう。

 豹嘉の唇がまた謝罪の言葉を紡ぐ前にその両目を覆った。


「今は眠りなさい」


 豹嘉が黙ったのを確認すると両目を覆う手を退けて、額に触れる。右回りに円を描きながら、よく眠れるようにとまじないの言葉を呟いた。

 すると、豹嘉の体は糸が切れたように力が抜けて、前にゆっくりと倒れた。その体を抱きとめると玉鈴は豹嘉を褥に横たえ、胸元までふすまをかけてやる。

 乱れた髪を梳いて整えながら、まだ幼さが抜け切らない寝顔を見つめ、小さく笑った。


「大きくなりましたね」


 寝顔を見ていると重なるように幼い豹嘉の姿が脳裏を過ぎる。兄達の背に隠れた豹嘉は豪奢な衣に身を包んでいたが、それでも痩せこけた体は目を背けたくなるほど貧相で、母親に似た容貌は昔のように笑ったりはせず石のように固く無機質だった。

 それが、怒って、泣いて、笑うだけで玉鈴の心は幸せで満たされる。


「安心してください。ここは安全です」


 小さく囁き、潤う目尻を指先で撫でると玉鈴は立ち上がり、臥房しんしつを照らす燭台に近づき、ふっと息を吹きかけ炎を消した。

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