第5話 優しさ


「豹嘉は荷物をまとめ終わったらすぐ来ると思います。翠嵐、……新しい僕の侍女は元々は昭娟の位を与えられていましたのでここには来ません。彼女が僕の元に身を寄せていることはまだ公言していませんから」

「あら、残念。とても可愛らしい子って貴閃に聞いていたのに」

「ああ、貴閃様は木蘭様付きでしたね」

「明鳳のお目付役に指名したの。貴閃の忠誠心の高さは素晴らしいものだから」

「貴閃様は高舜様が大好きですねよ。昔のお話すると目がキラキラ輝きます」

「あの人が見つけて今の地位にいるもの。尊敬してあたりまえでしょう。仕事の腕も優秀。怖がりなのを除けば優良物件よ」

「最近は怖がりも克服し始めているようですよ」

「え、貴閃が?」


 木蘭は信じられないと両目を丸くさせる。あの怖がりを克服できるとは親友の言でも信じられない。


「彼も明鳳様と共に犯人を捕まえる。そのために今日明日は蒼鳴宮に泊まると意気込んでいました」

「あの貴閃がねぇ」

「ええ、尭も一緒ですし安心しているのでしょう」


 同じ宦官同士、通じるものがあるのか二人はよく料理の話やお互いの主人の話をしていた。笑顔は見せはしないが淡々と誰ともなく話している姿はよく見かける。


「お友達ができたのね」


 お友達というより、ただの暇潰しの話相手のような気もするが訂正はしない。


「犯人が捕まればいいですね」


 その言葉に木蘭はじとりとした目つきで玉鈴を見た。


「どうせ来ないように手配しているのでしょう?」

「僕はただ、嫉妬のために身を犠牲にする必要はないと思っているだけですよ」


 涼やかに微笑みながら両肩を持ち上げるのを見て木蘭はため息を溢す。この男が飄々とした性格をしていることは知っていたがここまでお人好しだとは思わなかった。


「お前は本当に優しいわ。いっそのこと残酷なまでにね」

「残酷とは酷い言われようです」

「お前がそんなんだから妃嬪は柳貴妃を害するのよ」

「害さないように誤解を解けばいいだけです。かつての貴女のように」


 痛いところを突かれ、木蘭はぐっと言葉を飲み込む。忘れていた訳ではないが自分達が仲良くなったきっかけは自分が幼い妃に嫉妬し、感情のまま乗り込んだことが要因だった。


「その節は迷惑をかけたわ」

「いえいえ。確かに恐ろしいと思いましたが迷惑だとは思っていませんよ」


 緩やかに首を振って大丈夫だと伝えると木蘭はまた目尻を釣り上げた。


「あのねぇ、もっと怒りなさいよ」

「必要がないことに怒っても疲れるだけです」


 袖で口元を隠しながらくすくすと笑う玉鈴に木蘭が何か言い返そうとした時、足音が回路から聞こえてきた。足音は二人分。一つは水蝶が水を持ってきたのだろう。そして、もう一つは、


「失礼します。遅くなりました」


 客房に入るなり豹嘉は優雅な拝礼を見せた。


「あら、豹嘉。遅かったじゃない!」


 お気に入りの登場に木蘭は素早く立ち上がると豹嘉に抱きついた。


「待っていたのよ。あら、目が赤いわ」


 まだ微かに朱が残る目尻を見て、木蘭は心配そうに眉尻を下げる。


「大丈夫ですわ」

「本当に?」

「ええ」


 木蘭は豹嘉の頭を胸に抱え込む。息子より娘が欲しかった木蘭は豹嘉を溺愛していた。


 楽しそうな二人を尻目に玉鈴は水蝶から水を受け取った。


「ありがとうございます。豹嘉も一緒だったんですね」

「ちょうどお会いしましたから」


 水蝶は主人の姿を視界に入れると眉をひそめた。


「あの方はいくつになっても少女のようですわ」


 呆れたように呟く。独り言のようだ。


「裏がなくて楽しいですよ」

「もう少し大人になって欲しいものです」

「自分に素直なところも可愛らしいではないですか」

「柳貴妃様は本当に優しいですね」


 玉鈴は首を傾げた。


「僕は優しいですか?」

「ええ。とても」

「木蘭様にも言われました」

「普通でしたら娘子は柳貴妃様に危害を加えたと死刑に処されてもおかしくはない行動をしました。柳貴妃様が娘子の行いを許していたおかげであの方は生きているのです」


 当時を思い出し、水蝶は顔を蒼白にさせた。主人が佩刀を手に、龍の子として崇められる柳貴妃の宮に押し入ったと知った時は心臓が破裂するかと思った。その場に先王がいれば間違いなく木蘭は処罰されていただろう。しかし、何を思ったのか幼い玉鈴はその事実を隠し通すことに決めたため、知っているのは当事者である玉鈴と木蘭。護衛を務めていた義遜。木蘭を探しにきた水蝶の四人だけ。


「あの方が皇后に、皇太后になったのは一重に貴方様の優しさのお陰ですわ」


 優しい眼差しから逃げるように玉鈴は袖で口元を隠した。


「水蝶様」

「はい」

「過去に高舜様からも言われました。もっと厳しくしろ、と」

「はい」

「やはり、僕は甘すぎますか?」


 おずおずと問いかけられ、水蝶は首を左右にふった。


「柳貴妃様は柳貴妃様らしく生きればいいと思います」


 確かに貴妃として甘いところはあるが、それが彼の長所だと思っている。優しくない玉鈴なんて想像できない。

 そう伝えると玉鈴は安心したように顔を緩めた。

 その表情を見て、水蝶は頬を綻ばせるが視線をいまだにじゃれている主人に向けるとキッと目尻を釣り上げる。


「いつまで遊んでいるつもりなんでしょうかね」


 止めに行こうとするが玉鈴が袖を掴んだことで阻止される。


「楽しそうですし、いいじゃないですか」


 玉鈴は二人を視界に入れると眩しいものを見るかのように両目を細めた。

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