第2話 嫌がらせ
——ミシッ。
肋骨が悲鳴を上げた。「これ以上は危険だ」と訴える警告音はすぐさま脳髄に届く。同時に
「離れろ」
空いている手で豹嘉の肩を掴むと力任せに引っ張った。
体勢を崩した豹嘉は床にへたり込む。まだ冷静ではないためかいつものように怒声を上げる事はせず、その場で顔を覆って泣き出した。
「なんで、どうして」
嫌だ、死なないで、とうわ言のように繰り返す。
「刺されてはいない。死にはしない」という明鳳の言葉も。
「大丈夫ですよ。ただの染みですから」という玉鈴の苦し紛れの言い訳も、取り乱した彼女の耳に届かない。
「ほら、泣くのはおやめなさい。目が溶けてしまいますよ」
何を言っても逆効果だ。玉鈴が話しかければかけるほど、豹嘉ははらはらと涙を流した。
「僕は無事です。だから泣き止んで」
袖で真っ赤になった目元を抑える。けれど、涙は止まらない。
「玉鈴様、何事ですか」
喧騒を聞きつけたのか息を弾ませた尭が扉を叩く。
「明鳳様、どうされたのですか?!」
亜王の付き人として蒼鳴宮を訪れていた貴閃も一緒だったらしく、主人の名を呼んだ。
「玉鈴様が死んじゃう!!」
「失礼します!!」
豹嘉の叫びと同時に扉が勢いよく蹴り破られた。
血相を変えた尭が、同じく血の気が失せた貴閃と翠嵐を伴って臥室に転がり込む。
そして固まった。
臥室の中には血塗れだが元気そうな主人。その前で俯いて泣きじゃくる妹。見るからに怪しい麻袋を手にする亜王。
しかし、迷いは一瞬。素早く
「お怪我を?!」
「あー、えっと、怪我ではなくてですね」
どう答えればいいのか迷っていると明鳳が麻袋の表面を叩いた。
「これだろう。その血と同様の臭いはここからしかしない」
「犬ですか」
「亜王に向かって犬とはなんだ!!」
明鳳がかっとなって言い返すと手に持つ麻袋を振り回した。距離が空いているため、ぶつかる事はないが袋の中身を知る玉鈴は「やめなさい!」と叱責を飛ばす。嫌がらせに使われた挙句、このようなぞんざいな扱いは目を瞑ることはできない。
両親以外から叱責されることのない明鳳は見るからに落ち込んだ。けれど、文句は言えるようで。
「俺は心配してやったのに、なんだ、あの言い方は」
ぶつくさ何かを小声で呟く。
「……わかりました。全て話しますから、その袋を下さい」
手を差し出すと明鳳はすぐさま麻袋を手渡して来た。
「最初から素直に話せ」
「大ごとにしたくなかったんです」
麻袋を大切に両腕の中に抱え込み、玉鈴は近くの
明鳳が腰を下ろし、他の四人が各々の主人の側に控えたのを確認してから、玉鈴は臥台に腰掛ける。
「亜王様が考えている通り、この血の痕はこの子です」
膝の上に乗せた麻袋の表面を優しく撫でると入り口を縛る紐へと指をかける。
「今朝、目覚めると膝の上にいました」
紐を引っ張ると簡単に解けた。入り口を少し開けて袋の中を覗き込む。敷布をめくり、件の死体を確認しようとするが中で広がる
「早く、開け」
固まったままの玉鈴に痺れを切らした明鳳が声をかけた。
「ええ、わかっています。けれど……」
これは見せるべきだろうか。特に少女である豹嘉と翠嵐に見せていいものかと一瞬、開けるべきかと戸惑う。
先ほど、叩かれ、振り回された死体は羽が歪に歪み、足が折れ、顔は潰れ、切り口からは大量の血が流れていた。
かろうじて綺麗な姿だったのにどこぞの愚王のせいで見るも無残な姿に成り果てている。男の自分が目を背けたくなる有様なのにそれを可愛い侍女に見せるのは良心が痛む。
仲間外れは二人は嫌がるだろうが致し方ない。外に出てもらおうと玉鈴が顔をあげた時、目の前には明鳳の顔があり、思わず叫んでしまった。
「お、驚かせないでください」
「お前がもたもたしてるのが悪い」
玉鈴はばくばくと脈打つ心臓を抑えて、じろりと睨みつけた。
その視線に気づかないのか明鳳は袋の口に指先を引っ掛けて、玉鈴の静止に聞く耳を持たず、中を覗き見た。
「なぜ何も言わない」
予想していたものが的中したらしく、顔を歪める。
「言う必要はないと判断しました」
呆気からんと答えた玉鈴を一瞥すると袋を引ったくった。
取り返そうと玉鈴は手を伸ばす。指先が触れる前に明鳳は麻袋を高く持ち上げ、それを制した。
「いい加減にしてください。力づくで物事を解決するなど愚王のすることです」
「力づくでないとお前は黙ったままだろう」
「問題ないから黙っていたのです」
「これはお前にとって問題ないのか?」
そういうと明鳳は麻袋を逆さにした。真っ赤な塊が重力に従って床へ叩きつけられる。衝撃で血飛沫が床に飛び散った。
それを見て、貴閃と翠嵐が悲鳴をあげた。
「誰がこのようなことを!」
「豹嘉、黙れ」
豹嘉は涙を引っ込め、美貌を怒りに染めた。
怒りはおさまらず、勢いのまま外へ飛び出そうとしたのを尭は腕を掴み止める。
腕を掴まれた豹嘉は「けど!」と兄を見上げた。その視線を無視して尭は玉鈴へ視線を向けた。
「玉鈴様、この件に関しては自分は亜王様の味方をします」
腹心の言葉に玉鈴は驚きに固まった。
「尭、貴方まで……」
「お前だけだ。これを問題ないという馬鹿は」
さあ、言え。と明鳳は先を促す。
逃げ道はないと悟り、鶏に布をかけてやりながら玉鈴はぽつぽつと話し始めた。
始まりは明鳳が
——と、話し終えた頃には空気はどんよりと重く、黙って話を聞いていた四人は形容しがたい形相をしているのに気付く。
「この通り、怪我はしていませんし、害はありません」
「「害はありすぎます!」」
両手を合わせて微笑む玉鈴に兄妹は声を荒げた。
「玉鈴様は危機感というものがありません!」
「ありますよ。害はないので今回は持たなくていいと判断しました」
豹嘉の叫びに玉鈴は不思議そうに両目を瞬かせた。
「最悪、死にますよ」
「僕を殺す、というよりも怖がらせるのが目的みたいなので大丈夫かと」
「膝の上に置かれていたと言うが目覚めなかったのか」
明鳳の問いかけに玉鈴は首を傾げた。
「気配はしましたけれど、起きる必要はないと判断しました」
「起きていたのか」
「数秒だけです」
「だが、起きていたのだろう。刺されるかもしれないのに」
なにを悠長なことを言っているのか。体力も腕力も無い、下手したら幼児にすら負ける柔男の癖に。明鳳は片手で顔を覆い、深く息を吐き出した。
「お前は危機感というものがないのか」
「ですから危険はないことは知っていました」
「なぜ、分かる?」
「生きている人間には守ろうとする幽鬼がついています。幽鬼には色があり、緑や黄色などは問題ありません。赤や黒は危険な証拠です。その女人についている人は黄色でした」
呆れて言葉が続かない。明鳳を筆頭に四人は
玉鈴は「それに」と続ける。
「放っておけば飽きると思いまして」
そして、冒頭に至る。
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