第4章 Side-A:急転直下!

 月曜日。

「おはよう、あれ、背広替えたの?」

 開店前の店内清掃に励む北条柾木に、出勤してきた下山が声をかける。

 始業の定時にはまだかなり早い午前八時十分。北条柾木は、いつも通り早めに出社し、本日の業務の準備を始めていた。

「おはようございます。なんか、実家から送られてきまして」

 北条柾木は、それが一番当たり障りがなかろうと判断した偽装工作ワードを語る。口が裂けても、西条精機の御令嬢とホテルで会食し、プレゼントされたスーツ一式だ、などとは言えない。

 昨夜、八丁堀から東京駅八重洲口まで失意のまま歩き、ふと、ある事に気付いてそのまま甲州街道沿いに新宿駅まで小走りに移動してその気付きを確認した北条柾木は、その気付き、生身の体では得られないその特性を生かす方向でとにかく生きよう、この体を大事に維持していれば、必ず緒方が自分の体と一緒に井ノ頭邸に帰ってくるに違いない、そう前向きに無理矢理自分に言い聞かせることで、へし折れた心をなんとか接ぎ直す事に成功していた。週明けの、法人営業主体の自動車販売会社の新入社員は多忙を極める事も、余計な事を考える隙を与えないという意味でその一助となっていた。

 その、昨夜気付いた事とはつまり、この体は疲れない事、汗をかかない事、そして腹が減らない事だった。


「そう言えば今朝の新宿駅、妙に混んでましたけど、地下鉄で何かあったんですか?」

 昼休み、実は昨日あの後ちょっと飲み過ぎまして、と言い訳し、エナジー系ゼリーだけで昼を済ませ、空腹を感じず摂食の必要も無い体の事をごまかそうとしている北条柾木は、愛妻弁当を広げる下山に尋ねる。

「ああ、なんか丸ノ内線が始発から停まっててな、俺が乗る頃には動いてたけど、エラい混んでて大変だったよ」

 方南町方面から東京メトロ丸ノ内線を使って通勤する下山が答える。

「人身事故っスか?」

「大手町で事故だったらしい、そういや、事故としか駅の黒板に書いてなかったな。いっそもう少し停まっててくれりゃなあ」

「堂々と遅刻出来ましたね」

 相づちを打ちながら、北条柾木は別の事を考える。この体、食事が必要ないのはいいけど、毎日ゼリーって訳にもいかないから、なんかごまかす手を考えておかないとな……


 月曜は、週明けで一斉に動き出す法人顧客の対応、例えば急な故障での入庫引き取りと代車の手配、リースやレンタカーの依頼、入金や支払いの確認と納期の整理等々で毎週忙殺される、と下山から聞いていたとおり、まだまだ仕事慣れなど全然していない北条柾木は退社の定時を三時間ほど過ぎた頃にようやく仕事の区切りを付け、タイムカード――と呼ばれている電子勤怠管理ソフトの帰宅ボタン――を押した。

「お先にしつれいします~」

「おう、お疲れさん。気を付けて帰れよ」

 ヘトヘトな振りをして会社を後にするが、この体は疲れを知らない。会社では誰も自分が、自分の体がオートマータであるなどとは疑わなかったし、これはもしかしたら使い方次第では良い方向に転がるのではないか、などと北条柾木はやっと、明るい事を素で考えられる程度に精神状態が復帰してきた事を感じていた。この体は食事も給水も必要としない。飲食する機能そのものはあり、実際に摂取した食品を分解し、ATPによるエネルギー代謝をオートマータのボディの駆動に利用する事さえ可能だと菊子から聞いている、言っている内容は半分くらい理解出来なかったが。要するに、そうすれば駆動に回す分のマナを節約出来、マナ補給間隔を延ばす事も出来るが、すべての制御と駆動をマナだけでまかなっても、一般的な人間の生活パターンであれば浪費気味でも七日程度、節約すれば十四、五日はマナは持つ、菊子から教わった事で重要なのはこの部分だ。食費がかからない、その分のお金を何かに回せる、そう考えた北条柾木は、この身に起こった不幸に埋もれる中で、ちょっとだけ、嬉しく思った。


 根が真面目な北条柾木は翌日の火曜日も通常通り出社し、いつも通り定時前から開店準備をする。始業からは昨日の続きの書類整理、大半はパソコン作業だが、手書き伝票も意外なほど多い。企業顧客主体とは言え、零細の個人事業主の顧客もそこそこあって、そういうところはあえて手書きの領収書、請求書で経理をやっていたりするからだ。当然、相手先によって微妙に書式が違ったりもして、新人研修の時は慣れないボールペン作業ですぐに手が痛くなったものだが、この体は痛みを感じない。ぶつけたりすれば当然痛みが発生するが、それはぶつけた事とその衝撃の大きさを示すものであって、認識出来たら痛みをキャンセルする事も、必要があれば最初から感じないようにしておく事も可能だと聞いている。筋肉痛も、本当に物理的にメカニズムを酷使するとそれに近いアラームが発生するが、そもそもの限界が生身よりはるかに高く設定されているという。

 昼食休みは、社外の近所の飯屋を開拓するという大義名分で会社の周りを散歩して時間を潰し、午後は事務作業の合間に力仕事もしてみる。重い部品の入った段ボールを運んでみたり、タイヤ交換の手伝いをしてみたり。その様子を見た女子社員から「力持ちですねぇ」などと褒められた北条柾木は、なんだか少し楽しくなってきた。

 結局この日も一時間半ほど残業して帰宅した。試してみた結果として、この体は、パワーもスピードも、平均的な人間のそれを明らかに上回っている。力を使えばその分マナを余計に消費するとは菊子から聞いているが、常識の範囲内なら問題あるまい。頑張れば、単純な力とスピードだけなら、そんじょそこらのアスリートに負けないどころか充分勝てる、とも聞いている。もしかして俺、凄いもの手にいれっちゃのかも?汗をかくとか涙を流すとか、緒方が「テスト用の試作品には必要ない」と判断した機能がいくつか無いということだけれど、これってまるでSFヒーローってヤツかも?あ、でも、酒に酔わないのは楽しくないかも。

 明日の水曜は営業所の定休日、さて、明日は何をしよう?この際だからいっそ、どこか人気のないところで、この体の全力ってのを試してみても良いかもしれない。北条柾木は、すっかり精神的に立ち直り、明日を楽しみに帰宅する。


 翌朝、会社は定休日である水曜の朝。北条柾木は、諦め悪く何度も鳴らされるインターホンの呼び鈴で目を覚ました。

 何度も鳴るインターホンに、北条柾木は明確に、つい先日の西条玲子とのトータルでちょっと嬉しかった邂逅を思い出す。と同時に、ここのところ続いている、突然来訪する、日常から逸脱した何かの恐怖も呼び覚まされる。期待が三割、不安が七割といったところの心情で、北条柾木は応答スイッチを押す。

「……はい……」

「ああ、北条さん、ご在宅でしたか、はい」

 インターホンの白黒モニタ越しに、丸眼鏡をかけた背広姿の男が言う。あれだけ呼び鈴連打しておいてご在宅も無いものだ、確信犯のセールスか?と寝起きの鈍った頭でそれだけ考えた次の瞬間、北条柾木の背筋が凍った。

「警察です。少々お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか、はい」


 警察。そのキーワードで、北条柾木の脳裏に爆炎、銃声、鮮血、そして、血涙を流す五月の首がフラッシュバックした。平衡感がおかしくなり、頭がすっと軽くなり、思わずその場で座り込む。どっと汗が噴き出す、ような感覚すらする。この体は、本当によく出来ている。

「……北条さん?どうかしましたか?」

「……ああ、いいえ、はい、しょ、少々お待ちください」

 絞り出すようにそれだけ言って、一旦インターホンを切る。

 生々しい記憶と、今まさに来襲している警察。瞬時に、完全に目が覚めた北条柾木は、バクバクの心臓――の、まがい物――をなだめようと努力しつつ、何故警察が来るのか、これからどうしたらいいかを考えようとする。のだが、とりあえず身の破滅よりマシな結果を、北条柾木は想像する事が出来ない。そして、これが玄関オートロックの立派なマンションならいざ知らず、インターホンはドアののぞき穴代わりでしかない、一介の安普請なワンルームマンションにあっては、心理的にも物理的にも対応に距離的時間的余裕が作れる訳もない。

 うあー……。言葉にならない小さなうめきを上げつつ、北条柾木は、これから宣告されるであろう、自分の社会的な死刑執行書にサインするような気持ちで、ドアのロックを解除した。


「北条さん……ですね?警察庁の蒲田と申します、はい。お休みのところすみません」

 紋切り型にそう言って、目の前の背広の男は警察手帳をちらりと見せた。

「……北条さん、ですよね?大丈夫ですか?」

 眉根を寄せつつ、蒲田と名乗ったその男が聞く。どうやら、今の北条柾木の顔色が、過去に蒲田が見てきた安置所のホトケさん達よりも悪かったらしい。

「あ、ええ、はい、まあ……」

 何と答えたら良いのかわからず、北条柾木は適当に相づちを打つ。

「実はですね、ある事件の遺留品に北条さんのものと思われる物がありまして、はい。で、お手数ですがよろしければ、確認の為署までご同行願いたいのですが……」

 来た。体がねじれ、横転するような感触。恐怖ではなく、むしろこれは虚無感というべきか。しかし、逃げ道がない事を自覚する程度には、北条柾木は冷静だった。

「……はい、分かりました……ちょっと、着替えてきて良いですか?」


 寝間着代わりのジャージのズボンを脱ぎ、その辺にあった普段着――ごく普通のスウェットの上下――に着替え、ついでに顔だけ洗って、北条柾木は部屋を出る。マンションの外廊下に出て初めて、ドアの影になる位置にもう一人、蒲田よりもう少し年かさの男――恐らく先輩刑事だろう――がいた事に気付く。あ、ども、なんて情けなく会釈すると、その年かさの刑事は思ったより気さくそうな微笑を返してきた。じゃあこっちへ、と蒲田に促されるままに外廊下から外階段を降りて、ワンルームマンションの玄関を出る。朝の日差しが眩しい。思わず目をくらませた北条柾木は、しかし、目が慣れてきた頃には、そこにあると思っていたもの――自分を連行する、白と黒の非情の運送機械――が見当たらない事に気付く。安アパートの前には、ただ、割とこじんまりした普通の乗用車――スズキのキザシ、なんて他系列メーカの超マイナー車の名前は、販社営業とはいえ新人の北条柾木の知るところではない――が停まってるだけである。てっきり白黒のパトカーで護送され、近所付き合い的にも破滅を予想していた北条柾木はいささか拍子抜けし、わずかだが精神の余裕を取り戻した。


「狭くて申し訳ないです、はい。何分最近は色々と厳しくて……」

 覆面パトカーとはいえ、もっぱらゲタ運用されているキザシの、その後席右側に座っている蒲田が、後席中央に座らされた北条柾木に言う。北条柾木の左隣は先ほどの年かさの刑事。運転するのはずっと運転席で待機していたのであろう三人目の、多分刑事。助手席にももう一人、恐らくこれも刑事。被疑者だか容疑者だかを一人護送するのに四人がかりとはご苦労な事だが、確かにこうでもしないと、護送中にドア開けて逃げ出されてもたまらないだろう。

「ぶっちゃけ申し上げちゃいますと、ある事件の被害者が着用していた衣服が、北条さんの背広である可能性が濃厚でして、それを確認していただきたいと、こういうわけです、はい」

「背広……ですか?……あ!」

 北条柾木は思い出した。行方不明の自分の体は、リクルートスーツを着たままだった事を。

「……何か?」

「いや、なんでも……あはははは……」

 間違いない。自分の体が何かしでかしたのだ。

 その事を言うべきか言わざるべきか。いや、正直に言っても誰も信じてくれないだろーなー、つか言ったらヤバイ事だらけだよなー、等と思いつつ、北条柾木は適当に相づちを撃ちながら、針のムシロのような車内の時間を過ごしたのだった。


「あ……これ、確かにボクの背広です」

 ビニール袋に入った、ヨレヨレの背広を前にして、北条柾木は即答した。特徴の少ない黒のリクルートスーツだが、一応名入れしてもらっているし、自分の名前はあまり名字が他人とかぶらない事には自信がある。

「ああ、よかった。これで一つ裏が取れました。ご協力感謝します、はい。いえね、月曜からこのスーツを売ってる販売店に片っ端から北条さんって名入れした伝票無いかって電話しまくって大変だったんですよ、はい」

 蒲田と名乗った刑事は妙に饒舌だった。なるほど、新入社員が最近買った真新しいスーツなら、メーカなり販売店さえ分かれば伝票から住所をたぐるのもさして難しくははないだろう、手間は大変そうだが。そんな事をふと考え、多少、蒲田という刑事に苦労に対する同情と親近感を感じそうになったところで、その蒲田が、当たり前な質問をした。

「これ、どこでどうやって無くされたかなんかされました?」


 北条柾木はすっかり動転してしどろもどろになった。どうやってごまかそうかを考えてはいたが、どうにも説得力のある言い訳を思いつけていなかった。

「いや、すみません、自分でもあんまり良く覚えてないんですが、日曜に客先から帰る途中で呑み過ぎたらしくて」

「日曜に、ですか?」

「納車のお客様がありまして」

「失礼ですが、お仕事は?」

「自動車販売会社です。あの、初めての仕事だったので終わったらはっちゃけちゃったみたいで、ははっ」

「お客さんのところで呑まれたのですか?」

「いえ、帰りがけに、ちょっと」

「で、メートル上がって脱いじゃった?」

「そんな感じ、だったんでしょうねぇ。良く覚えてないんですが。次の日起きたら背広無くてすっげぇ慌てました」

「どこのお店で呑んだか覚えてますか?」

「それが……」

「レシートとか?」

「残ってないんですよ」

「悪い呑み方しましたね、はい」

「すみません……」


「なので、規則なのですみません、あと指紋だけ取らせてもらいます、はい」

 蒲田という若い刑事は、顔に似合わず老獪だった。こちらからの質問はのらりくらりと避け続け、自分の聞きたい事はガッツリ聞き出してゆく。北条柾木は、言い訳の整合性を保つのに必死だった。なので、このスーツがどこで、どのようにして警察の手に渡ったのか、全く聞けずじまいであった。それどころか、事件そのものはまだまだ全然未解決であって、遺留品かつ証拠品は返却できません、はい、あしからず、という事で背広は返してもらえず、ただ色々と調書だけ取られて北条柾木が開放されたのは二時間ほど後のことだった。。

 田無警察署から自宅まで、先ほどの刑事達が終始無言で運転する捜査用の覆面パトカーで――今度は後席には北条柾木一人だけ――送ってもらい、マンション前に着いた頃にはもう昼をかなり回っていた。形式的な定型文の挨拶に送り出されて車を降りた北条柾木は、まだ混乱している頭を整理できないまま、さほど大きくは無いワンルームマンションの玄関を入り、階段を上る。

 さっきから考えが堂々巡りしている。北条柾木の日常に突如割り込んできた奇っ怪な出来事の数々。背広があるなら、体はどうしたのか。まさか狼女に?もしかして緒方も一緒に?だとしたら最悪だ。考えたくない結論だが、そこから思考が離れない、違う結論を考えてみる事が出来ない。

 貧血に似ためまいを感じながら部屋に入った北条柾木は、思わず右手を見て、その右手を握ったり開いたりしてみる。その右手は、今はオートマータのそれだが、その手で握った拳銃の重さ、引き金を引いた人差し指の感触と、鋭い反動の衝撃、火薬の匂い。悪い夢と言い切るには、その記憶は生々しすぎた。

「……とりあえず、井ノ頭さんに知らせとこう……」

 背広が警察にある、という事は、何がどうなってるかは解らないが、自分の体は何か服を脱ぐような状況にあるに違いない。それだけでも知らせておけば、何か、井ノ頭さんの伝手とやらの参考になるかも知れない。北条柾木は身支度を始める。そして、アポ無しはまずいよな、と思って電話を入れようとして、井ノ頭邸の電話番号は会社の書類に書いてあるものだけ、自分のスマホに入れていない事を思いだした。

「……まあ、いいか」

 ついでにどこかで昼飯食って行こう。北条柾木は靴を履いた。


「あら、北条さん?どうしたのですか?急にいらっしゃるなんて」

 玄関で北条柾木を出迎えた井ノ頭菊子が声をあげる。まあそりゃそうだろう、アポ無しで来ちゃったんだから。そう思って、いやすみません、か何か北条柾木が言おうとした矢先、

「北条様?」

 聞き覚えのある涼やかな声。玄関横の応接間から飛び出してくる、ベールを深く被った、赤ベースに黒のリボンとフリルで飾られた小柄なゴシックロリータ。

「え?西条さん?」

「あらあら、西条さん、北条さんとお知り合いでしたの?」

 何か感極まって廊下で棒立ちの玲子、状況が把握出来なくて土間で棒立ちの北条柾木、あらあらと言いながら式台で北条柾木と玲子を交互に見る菊子を見て、遅れて応接間から出てきた時田が、

「とりあえず、北条様にもこちらにお入り戴いては如何ですかな?お姫さま、菊子様」


 お互いのいきさつを話し合い、相互に状況の確認と共有化が出来るまでに小一時間を要し、二度注ぎ直した三杯目の紅茶もすっかりぬるくなっている。

「そうでございましたの……北条様、それは本当にお労しゅうございます……」

 北条の膝の上の左手を、ソファの左隣に座った玲子が華奢な両手で包むようにしながら言う。微妙に目線が合わぬよう、ボンネット越しに北条に顔を向けているのは思いやりか、習慣か。

「いや、まあ、慣れてくると悪い事ばっかじゃなくて、まあこれはこれで悪くない気もしますけどね、あはは」

 この体は、左手を包む、玲子の薄いベールの手袋に包まれた白魚のような指の細さとほのかな温かみを正確に伝える。その感触に少なからずドギマギしながら北条柾木が答える。

「背広はどこで見つかったのですか?」

 菊子が尋ねる。

「それが、警察は教えてくれなくて。だから体の方がどうなっているかは解らないんです」

「警察、ですか……伝手はあると言えばございますけれど……時田?」

「はい、弊社の警備担当子会社には警察OBも多ございますから、その伝手をたぐれば分からなくもないとは思いますが、あまりいい顔をされませんでしょうな」

「私もそう思います。正当な理由も無く警察に捜査情報の開示を求めるような事は、西条警備保障の信用に関わります。とはいえ、事は急を要します」

「承知いたしました。警備部長にそれとなく打診してみましょう」

「宜しくお願いします。それで、北条様の体を持ち出し、緒方さんを拉致した男についてなのですが、菊子様?」

「はい、西条さんに来て戴いたのはその件です。モニタをご覧戴けますか?」

 言って、菊子は応接間の大型液晶モニタを首の後ろの非接触経皮コネクタ経由で起動させる。ここに居る全員は、菊子がオートマータである事は既知であると言う事だ。玲子が青葉五月経由で探していた人形とはつまりこの菊子の事、先ほどその事を聞いた北条柾木は、例の狼女の警告に反してどんどん深みにはまっている事を感じずにはいられなかった。

「北条さんの体と緒方の失踪以来、屋敷の周囲で不審者が複数回確認されています。外見は変装していると推定され、その都度違いますが、特定の対象についてはキルリアン・トモグラフィーその他のデータから同一人物と判断出来ます」

「あの、質問いいですか?その着る何とかって……」

「キルリアン・エナジーとは、一般的にわかりやすい言葉では、オーラと言われているものと大体同じと思って下さいまし、北条様」

 菊子に替わって玲子が答える。

「科学的には、単なる高電圧による水蒸気の局部破壊放電現象とされておりますが、それは現代科学による分析分解能の限界によるもので、魔法科学的に分析するならば、個人の特定や健康状態の判定も出来る、と以前緒方さんより教わりました」

「よく、解らないのですが……」

「生物は、摂取した食物を体内でエネルギーに変換し、体温として熱を放出する、北条様、これはよろしゅうございますか?」

「は、そこは、はい」

「実は、植物も含め、どんな生物でも必ず生命活動の際にマナを生成し、消費しているのだそうです。そして、消費したマナを、体温を放出するように外部に放出、廃棄している、それがキルリアン・エナジーだという事だそうです。なので、人によって体温が違うように、あるいは活動後は体温が高いように、キルリアン・エナジーも個人差や体調差が反映されるのだそうです。キルリアン・トモグラフィーはそれを三次元的に表示する方法で、MRI検査のようなものと思って下さいまし」

 解ったような、解らないような。とにかく、変装してもバレるものだというのは、説明と、大型液晶モニタに表示されている、複数の監視カメラ映像と、その横に表示されているなんだか良くわからない立体グラフと数値から、北条柾木にもなんとなく解った。

「それで、今日も実は朝からこの黒ずくめの人たちと、つい先ほどからこちらの二人が屋敷の周囲に、あら、何でしょう、黒ずくめの人たちが屋敷の四方に置いた何かから強力なキルリアン・エナジーが」

 菊子が画面を切替える。画面の一部が屋敷の平面図になり、その四方、東西南北を示す光点から伸びた別ウィンドウのグラフが急激に伸びる。

 突然、間近で重低音のスピーカを鳴らされたような衝撃が、体ではなく、心に響く。同時に、窓の外が赤黒く染まる。

「あらぁ……」

「いけません!これは!」

「お姫さま!」

「な、何だ?」

 各々がてんでに声をあげる。その時。

 玄関で破壊音が響く。ガラスの入った木製の引き戸を、巨大なハンマーか何かで強引に叩き壊す、そんな音。北条柾木はとっさに腰を浮かす。

「お姫さまを!」

「は!」

 玲子を挟んで時田が応接間の入口方向を、袴田が窓方向を向く。菊子は何やらケーブル経由で操作しているらしい事が、めまぐるしく替わるモニタ表示からうかがい知れる。

 ぎしり。玄関廊下が軋む。一定のリズムでその軋みは近づいてくる。そして、応接間の入口ドアの外で停まる。時田が腰を落として身構える。一瞬の静寂。そして次の瞬間。

 応接間の入口、重厚な木製ドアが叩き割られる。二度、三度と叩きつけるそれは巨大な木槌。たまらず、ドアが砕け散る。そのドアだった残骸を押しのけて、異形の怪物が現れる。身の丈は二メートルほど、目鼻のない顔、抑揚の無い胴。腕と足は太さは女の胴ほどもあろうか、長さも異様に長く、人のプロポーションを逸脱している。それだけではなく、腰の周りに巻き付くのは細い足、いや、細く見えるのはその下の足が太すぎるから、衣服展示用マネキンのそれと考えればその程度の長さと細さであろう足が二対、胴に巻き付き、さらに脇の下あたりから腕が二対、これもマネキンのもののように細くしなやかなそれが生え、その先にはそれぞれボウガンを持っている。

 その異形の肌の質感に、北条柾木は覚えがあった。それは、この体の、自分に似せて変形させる前のそれだった。

 その異形は、やおら木槌を投げつける。誰に、と狙ったわけでもなく、人の集まる中央に向けて投げつけたそれを、

「ふんぬ!」

 気合いと共に、玲子をかばうように異形に向かって進み出た時田が両腕で受け止める。こちらも、いつの間にかスーツがはち切れんばかりに体が肥大している。同時に、時田の影から北条柾木は見た。皆の注意が木槌と時田に逸れたその隙に、異形が四丁のボウガンをこちらに向けたのを。

「危ない!」

 北条柾木は咄嗟に振り返り、玲子を抱え込むようにして床に倒れ込む。その頭上を妙に太いボウガンの矢が飛び抜ける。

「おのれ!」

 時田同様、筋を肥大させた袴田が異形に飛びかかる。同時に、苦しげなうめきと共に時田が片膝をつく。北条柾木が見れば、時田の胸には二発の矢が、いや、矢として飛ばされた、うろこの生えた何かが刺さっている。

 異形は、袴田が飛びかかるほんの寸前、何かを左右に飛び散らす。左右の壁を蹴ってこちらに跳躍するそれは、まっとうなプロポーションのマネキン、異形に足を絡めて背後に貼り付き、ボウガンを放ったそれだった。その一体は北条柾木から見て右の壁を蹴って袴田に、もう一体は左の壁を蹴って菊子に襲いかかる。

 ほんの一瞬の間に展開したその光景を、床に倒れ込んだ北条柾木は、玲子を両手でかばいつつ見ていた。見て、直感した。狙いは菊子だ。ボウガンは菊子を左右に外して撃たれた。そして今、マネキンの一体は菊子を害するのではなく、抱え込もうとする寸前の状態にある。

 北条柾木は、起き上がり、何とか菊子をそのマネキンの手から遠ざけようと動いた。だが、到底間に合わない、それは理解出来ても、動かざるを得ない衝動を感じていた。

 この体は、北条柾木の要求に忠実に、人のそれを越える速度で反応した。

 北条柾木の手がマネキンに抱きつかれるより先に菊子の手首を掴もうと、掴んで引き寄せようとしたその刹那。北条柾木はものすごい力で窓際に弾き飛ばされた。窓まで飛ばされる途中、北条柾木は自分が異形の右拳で殴り飛ばされた事を知る。知って、したたかに窓と窓の間の壁に叩きつけられる。

「北条様!」

「北条さん!」

 玲子の悲痛な叫びと、菊子の助けを求める声が聞こえた。自分に駆け寄る玲子と、うずくまる時田、二体を相手に明らかに劣勢の袴田を視野に収めつつ、北条柾木は菊子の方を見る。

 菊子は、今まさにマネキンに抱えられており、そのマネキンは跳躍しようと膝を曲げて力を貯めていた。そして。

 マネキンが跳躍しようとしたまさにその瞬間、窓の外が出し抜けに元の色彩を取り戻す。ほとんど同時に向かって右の窓が砕け散り、吹き込んだ栗色のつむじ風が、離陸したばかりのマネキンと交錯し部屋を駆け抜ける。すり抜けたつむじ風に片腕を切り落とされたマネキンは、そのまま今突き破られた窓を抜けて外に飛び出す。栗色のつむじ風は、窓の反対側の壁、大型モニタのはめ込まれたそれを蹴って反転するとその勢いで異形とすれ違い、北条柾木の目と鼻の先に着地し、二メートルほども滑走して停まる。その背後の、窓の外で銃声が二発。

 すれ違いざまに斬られた異形の首が落ちる。袴田が右のマネキンを叩き伏せ、首をもぐ。窓の外で車が急発進する音、続いて銃声が再度、二発。そして、静寂。

 北条柾木は、そしてまだ倒れている北条柾木に駆け寄り助け起こそうとする玲子も、目の前のつむじ風の正体、腰を落として左手を床につき、右手を後ろに引いた姿勢からゆっくりと立ち上がる、小さな獣人の姿を見た。右手に大振りのナイフを持ち、左手で乱れた栗色のおかっぱ頭を掻き上げながら、倒れている北条柾木とその横に跪く玲子をじろりと見下ろすその目、口元から見える大きな牙、それらが北条柾木にあの記憶を呼び覚まさせる。青葉五月の首を斬った、あの狼女の記憶を。

 誰も動かない、恐ろしい沈黙がどれくらい続いただろうか。

「済まない、逃げられた。面目ない」

 言いながら、壊れた入口ドアをくぐって、見知らぬ男が無造作に入ってくる。無造作に横に分けた長めの髪、長身に厚い胸板、カーキ色の長袖Tシャツ、薄手の緑の綿ジャケットに厚手のストレートジーンズ、右手には大型拳銃を握っている。

「マジ?信仁兄しんじにいが撃ちもらすなんて」

 新たな侵入者に身構える袴田と玲子を全く意に介せず、北条柾木の目の前の小さな狼女が言う。いつの間にか、栗毛以外に何の変哲も無い人の姿になっている。タンクトップにキュロットスカート、ロングのトレンチコート風ジャケット。さっきの姿を知らなければ普通の女の子だ。

「二発当てたけど倒れなかった。ありゃ人間じゃねえな、そのまま車飛び込んで逃げやがった」

「で?」

「聖銀弾撃ち込んどいた。ナンバープレートに二発。いい腕だろ?」

「そういうの止めなさいって。でも、それなら何とか追えるか……」

「まあ、最善は尽くしたと思うぜ」

「ま、ね。ったくばーちゃん無茶振りしやがって……あやうく一緒に斬っちゃうとこだったわよ」

 まるで周りに誰も居ないかのようにリラックスして会話する二人に、北条柾木は唖然としていたが、ふと、側に居る玲子から只ならぬ気配が溢れている事に気付いた。

 その玲子の悪しき気配は、肩で息をする袴田が止める暇もあらばこそ、小さな狼女が時田の側にかがみ込んだ時に爆発した。

「離れなさいバケモノ!私の執事に触れるな!離れ……」

「医者でもないなら黙ってろ!」

 玲子の声にかぶせ、狼少女は後ろも見ずに怒鳴り返す。

「こちとらその大事な執事さんとやらを助けてやろうってんだよ!」

「アルコールが要るな。台所見てくる。他には?」

「タオルと菜箸と水張った洗面器かボール、お願い」

 男が聞き、狼少女が答える。どうしたものか解らず立ち尽くす袴田の横をすり抜けて、男は奥の台所へ向かう。

「そこの倒れてるお兄さん、生きてるんなら、壁に刺さってるそれ抜いて。おじさんはなんか頑丈な入れ物、大きくて蓋閉まるヤツ探して」

 マチェートと言った方が良いサイズの大型ナイフを脇に置き、ベルトの裏に手挟んでいたのだろう黒光りするダガーを取り出す。

「アテー マルクト ヴェ ヴェブラー ……」

 北条柾木が聞いた事のない言葉で、少女が何事か小声で唱えながらナイフで十字を切ると、北条柾木には隣にいる玲子がハッと息を呑むのが聞こえた。

「……スピリトゥム ウリエル オルディネ ミッタス……」

 玲子が、ベールの下で目を見開くのが柾木には分かった。とにかく起き上がり、身体に異常がないのを確認した北条柾木は、狼少女に言われたとおりに壁に刺さった矢、に見えた、実は蛇だったそれを二本、引き抜く。硬く硬直したそれはまるで木彫りのようだ。抜いて、袴田が持つ箱に入れる。

「……レ オラーム アーメン……」

 少女は、ダガーの鎬を時田の胸に押し当てる。時田の胸には、北条柾木が引き抜いたのと同じ蛇が二匹、刺さったままだ。

「……どう?」

「……いくらか、楽になったようですな……一体……」

「悪いけど、まだ終りじゃないの。ちょっと荒っぽくするから痛いわよ、覚悟して。信仁兄?」

「あいよ」

 声をかけられた男は、用意していた、菜箸に手ぬぐいを巻いたものを時田の口に噛ませ、もってきた酒、テキーラを狼少女に渡す。狼少女はテキーラを受け取って口に含み、時田の胸と自分の手に吹きかける。

「俺は足押さえる、オッサン、すまない、腕頼む」

「あ、ああ……」

 言われて、良くわからないなりに袴田は時田の頭側から両腕を押さえる。

「兄さん、あんたなら大丈夫そうだから、合図したらこれ抜いて。いい?」

 狼少女が柾木を見て言った。

「え、俺?」

「そう、あんた。この中で一番適任でしょ?行くわよ、痛いけどガマンしてね」

 言って、狼少女は時田の胸に刺さる蛇に沿って、両手の人差し指を肉の中に埋める。時田の顔が苦痛に歪み、咥えた猿ぐつわが軋む。

「抜いて!」

 狼少女が声をかける。慌てて北条柾木が引き抜く。思ったよりするりと抜けた、血に濡れた蛇の頭を見て、北条柾木は気分が悪くなる。

「……よし、歯は折れてないわね。わかる?コイツがガッチリ噛み込んで毒を流し込み続けるの。へたに引っ張ると首から先だけ肉の中に残るのよ。ったく、エグい術使いやがって……さ、もう一本行くわよ」

 狼少女が言う。なるほど、指を突っ込んで蛇の口をこじ開け、歯を外したから簡単に抜けたのか。北条柾木が納得した、その時。

 玄関先で人の声がした。


「すみません、井ノ頭さん、八丁堀交番の者です、ちょっとよろしいですか?」

 玄関先から屋敷の中へ、大声で確認する声がする。

「警察?早!」

「そういや交番すぐそこだもんな、どうする、手、放せないぞ」

 狼少女と男が顔を見合わせる。

「……私が出ます」

 意を決したように、玲子が申し出る。

「西条さん?」

 北条柾木は玲子を気遣う。確かに今手の空いているのは玲子だけで、事情を知っていると言う意味で適任なのも玲子だが、しかし……

「大丈夫、ご心配には及びません。それより、時田をお願いします」

「……わかりました」

 今参ります、と玄関に向け声をかけて歩き出す玲子を見送り、時田に向き直った北条柾木を見て、狼女は、小声で、

「OK、じゃあさっさと片付けちゃおう」


「大変お騒がせいたしました。どうやら突風があったようで、当家はなにぶん古うございますから、扉と窓が破れてしまいました」

「突風、ですかあ?」

 あからさまに警官は不審がる。突風にしては、玄関も窓も、そして玄関脇の部屋の扉もひどく打ち壊されているように見える。あまりに不自然だ。

 その時、玄関脇の部屋からくぐもった呻きが、警官の耳に届く。

「本当に突風?」

 最前とは違う、明らかに玲子を疑う目で警官は問い直す。

「ええ、突風でございます」

 言いながら、玲子はベールを少しだけ、持ち上げた。


「西条さん、大丈夫ですか?」

 やや腑抜けた表情で屋敷を後にする警官を見送っていた玲子は、出し抜けに北条柾木に声をかけられ、ベールに手をかけたまま驚いて振り向いた。

「北条様……ご覧になったのですね?」

 見てはいけないものを見てしまった、と北条柾木は感じた。大急ぎで時田の胸の「蛇の矢」を抜き、玲子の様子が心配で見に来たのだが、仇になったか。

「これが、私の邪眼です。お見苦しいものをお見せ致しました……」

「……いいえ、助かりました。多分、みんな、西条さんの機転で助かったんだと思います」

 一歩、二歩、玲子の方に踏み出しつつ、北条柾木は言う。

「でも……恐ろしゅうございましょう?こんな……」

 玲子は、一歩、後じさる。

「すみません、気を悪くしたらホントすみません。でも、オレ、怖くないです。ごめんなさい、今、ほんの一瞬ですけど、西条さんの目、見えた気がするんです、けど、怖いとは思いませんでした」

 離れていても、玲子が息を呑むのが北条柾木には聞こえた。

「そんな事言えば、今のオレだって人間の体じゃないですからおあいこでしょ?それで良いじゃないですか、ね?」

 ベールに隠れて、玲子の表情の多くは北条柾木には伝わらない。だが、まさに今、一筋の涙が流れたのは見えた。この女の子は色々頑張ってる、耐えてるという事を既に知っているから、悲しませたり泣かせたりするような事は、自分にできる限り避けなきゃいけない、北条柾木は純粋にそう感じていた。

「北条様……」

「はいはい、いい雰囲気のところぶち壊して申し訳ないけど、アタシらフケるからね!」

 宣言通りに本気でムードをぶち壊して、スマホをポケットに仕舞いながら狼少女が応接間から玄関に出てくる。

「周りの呪物は殺したし、おじさんの毒も「祝福」しといたから大丈夫だとは思うけど、用心はしといて。あと、これ」

 「蛇の矢」四本が入った箱と異形の頭を、男の方が持ち上げて示す。

「これがありゃバックもヤサも知れるだろうし、貰ってくぜ」

「そーそ。見つけ出してたーっぷりお礼しないとね」

 何でもない事のように言いながら、狼少女と男は玲子と北条柾木の横を通り過ぎる。

 その雰囲気の毒気に当てられて唖然としていた玲子は、二人が玄関を出る直前に我に返る。

「……お待ちなさい!あなたたちは!」

 一瞬、男の方がふっと笑って外連味たっぷりに振り返る。一呼吸間を置いて、

「通りすがりの!……なんだろ?」

「ちょっとォ!考えときなさいよそこ!」

 思い切り外した男に、狼少女が突っ込む。

「じゃ、そんなわけで」

「投げっぱなしかよ!」

 ノリと勢いで強引にごまかし、二人は駆け足でその場を逃げ出す。


「なんだったんだ、あれ……」

 玄関の外を見ながら、北条柾木は素朴な疑問を口にする。

「……あれが、多分、例の「栗色の狼」……」

「え?まさか……だって、オレが、いや僕が会ったあの人と全然違う?いや、似てる、か?あれ?」

 北条柾木をチラリと見上げ、くすりと笑った玲子は、オレで結構ですよ、と言ってから、

「狼は一匹じゃない、という事でしょう。そして」

 玲子は、再び玄関の方を向き、

「どうやら私たちの敵は、狼どもの敵でもあるようですわね」

「狼ども、ね」

「どうかいたしまして?」

 北条柾木の言葉に、ちょっとした引っかかりを感じた玲子が振り向く。

「いや、西条さん、割と嫌いな人に厳しいなって」

「いやだ、そんなことありませんわ」

「いやいや、ありますって……いやそれより!菊子さん!」

「そうです!どう致しましょう!」

「とにかく落ち着いて考えましょう。まずは時田さんの様子を見ないと」

 その時、破壊された玄関前にタクシーが停まった。咄嗟に緊張した北条柾木だが、車から降りてきた刑事二人を見て、緊張どころではなくなった。

「ええ~っ!なんで……」


「え~っと、はい、お話はこれでよくわかりました、はい」

 廊下を挟んで応接間の対面にあたる井ノ頭邸の台所。酷い有様の応接間を避けて刑事二人を台所に通した北条柾木は、この際だからと自分に関する洗いざらいを目の前の刑事達にぶちまけ、ついでにここで何が起きたかを説明した。

 話しを理解出来してもらえたのかどうか。普通なら理解どころか最初から最後まで笑い飛ばされる与太話だよな、そう思った北条柾木であったが、刑事達の次の会話を聞いて驚愕する。

「蘭さんの急用ってこれだったんですかね?」

「そう考えるのが自然だろうな。それにしても、狼少女ね」

「流石にそれはちょっと信じられないです、はい」

「蒲田君、君、気付いてなかったみたいだけど、さっきの蘭円あららぎまどかって女な、あれ多分、青葉さんの首斬ったヤツだぞ」

「え?うそ!マジですか?」

「まず間違い無い。君見てないって言ってたけど、俺はあの時、あの女が店入ってくるの見たから。俺はさっき話してる途中で気が付いて、気が気じゃなかったよ」

「青葉さんって、青葉五月さんですか!」

 たまらず、北条柾木は刑事達の会話に割り込んだ。少し離れたところで時田の手当をしている玲子も、割り込んでこそ来ないが、手当の手を止めて身を乗り出す勢いで聞いているのがわかる。

 今度は若い方の刑事が、驚きつつ答えた。

「そ、そうですが、はい、御存知なんですか?」

「あ!」

 年かさの方の刑事が、突如何かに気付いた。

「思い出した!北条柾木って青葉さんと一緒にホテルに居た!」

「あ!そうですそれ!はい!なんで忘れてたんだろ……」

「全く別件だと思ってたからなぁ……蒲田君もか?」

「そうですねぇ、はい。繋がってたかぁ……」

「どういう事ですの!詳しく教えて下さいまし!」

 辛抱溜まらず、玲子が遂に割り込んできた。

「はい、ええと、簡単に言うと、その狼女に、ここに来るよう言われたんです、はい」

 玲子の勢いに引き気味になりながら、若い刑事が答え、さっきもらった名刺を取り出す。

「フリージャーナリスト……蘭円。このお名刺、いただいてもよろしくて?」

 流石に玲子は一発で正しく読む。有無を言わさない玲子の口調に、若い刑事は困ったように年かさの刑事を見る。

「……まあ、名刺は俺も持ってるから、いいか……それはともかく、すると、その蛇だかを持って帰った二人組は、ほぼ確実にあの女に繋がってるって事だな」

「管理官に確認してみます?」

「署に……じゃなくて庁舎か、どっちでもいいや、とにかく戻って、可能ならなるべく早く連絡取ろう」

「あの!」

 玲子が再度割り込む。

「お願いです。菊子さんを探して下さいまし!是非に!お願いいたします……」

「わかってます。最善をつくします、としか言えませんが……」

 この年かさの刑事は正直だな、と北条柾木は好感を持った。


 その後、お互いの連絡先を交換し、刑事達は帰って行った。玲子は、刑事から蘭円の名刺をもぎ取ったが、今この場で抗議の電話を入れかねない勢いの玲子は、くれぐれも勝手に連絡しないように、と刑事達から釘を刺されていた。刑事達にも踏むべき手順、通すべき仁義があるので、せめてそれからにしてくれ、と強く念を押されてしまっては、不承不承ながら玲子も承諾せざるを得なかった。


 その玲子が、玄関で北条柾木と一緒に刑事達を見送った後、前を向いたまま北条柾木に聞いた。

「……北条様、ホテルで五月さんと、何をなさっていらっしゃいましたの?」

「西条さん、雰囲気が怖い……」

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