第1話 幼馴染との再会
頬を撫で上げる春の風が桜の花弁を舞い上げた。
春の始まりは出会いの季節だ。新しい学び舎でこれまでとは違った生活を学友たちと送ることになる。
ドキドキする。抑えきれない喜びとどうしようもない不安に胸の高鳴りが収まらない。少しでも落ち着こうと胸に手を当てた。
私の左胸には白い花をモチーフにした校章が刺繍されている。
白百合高等教育学校――私【日向朝陽】がこれから3年間過ごすことになる有名な私立高校だ。
登校の道の途中で赤色になった信号を前に足を止める。周囲では通勤途中のサラリーマンや、同じ高校の制服に身を包んだ生徒達が同じように立ち止まっている。
僅かな時間とはいえ手持ち無沙汰になった私は、鞄から折り畳み式の手鏡を取り出して前髪を軽くチェックした。
十年間手入れを欠かしたことのない、ちょっとした自慢の黒髪だ。
今朝も何度か確認をしたんだけど、つい気になって確認してしまう。
やはり今日という一日は特別だった。
それは今日が高校生としての始まりの1日だからというだけではない。
幼稚園の卒園日から今日まで忘れたことのない幼馴染の男の子の言葉……それを脳裏に思い浮かべた。
――きっと長い髪の方が似合うよ。
思い出すだけで頬が緩んでしまう。
それ以来手入れを欠かしたことはないし、ずっと伸ばしてきた。
十年以上も前のことを今だに忘れられないなんて、我ながら重い女かな……なんて思ったりもするんだけど、それでもあの日の光景は色褪せることなく私の中で輝き続けていた。
引っ込み思案だった私の手を取って外に連れ出してくれた人。
実はこの高校を選んだのもそれが理由だったりする。
お母さんから聞いた話によると、引っ越してから疎遠になった幼馴染の少年もこの高校を受験したらしいのだ。
何の気なしに言った言葉だったんだろうけど、それをきっかけに私は必死に勉強に励んだ。
偏差値の高いこの高校を受験するために毎晩遅くまで勉強することになったけど、何とか合格できて本当によかった。
ギリギリだったらしいけど、将来への選択肢も広がったし、今ではこの選択は間違っていなかったのだと確信してる。
(ゆーくん、元気かなぁ)
活発だったあの男の子は今頃どうしているんだろう。
健康的な生活はできているだろうか。それともちょっとだらしなかったり?
再会の瞬間を思い描いた。
十年ぶりだ。感動の再会……とまでは言わないまでも少しくらいは驚いてくれるだろうか。
ずっと伸ばしている髪はまた褒めてくれるだろうか。子供の頃のことだから覚えてないかもしれないけど、何も覚えてないとかだったらちょっと寂しいな。
胸が高鳴り頬が熱を持つ。髪の毛を指先でくるくると弄った。
すると、鞄から落ちそうになっていたお気に入りの小説が目に入る。ブックカバーによって表紙の隠れたそれを慌てて奥へと押し込んでファスナーを閉めた。
私は再会した幼馴染同士が惹かれあう物語を好んで愛読していた。
ずっと一途に想い続けていた女の子に主人公の少年が惹かれていく王道物が好きだったり。
本は元から色んなジャンルを読むんだけど、それでも幼馴染との恋愛スト―リーは自分自身を見ているみたいでいつも共感して読み込んでしまう。
長年片想いをした少女と幼馴染の少年の距離が時間をかけて縮まり結ばれる瞬間が凄く愛おしい。
特に数日前に読んだ物語に出てきた主人公と幼馴染のヒロインが結ばれた末のアフタースト―リーはとても興奮した。
ドキドキしてしばらく眠れなかったのを覚えている。
いいなー、なんて思ったり。私もゆーくんと――な、なんて……
自分の頭を過ぎった甘ったるい妄想にぶんぶんと頭を振った。
(あ、でももう彼女さんとかができてたり……)
胸が痛む。
この片思いが成就することのない未来を想像してしまい怖くなった。
その時は……ちょっと寂しいけど素直に身を引こう。そりゃ思うところがないわけじゃないけど。
自分の理想とは違っても、やっぱり好きな人には幸せになってほしいから。
するといつの間にか周りは歩きだしていた。
青信号に変わってたことに気付くと慌てて手鏡を仕舞い私も歩きだした。
「あ~さ~ひっ!」
後ろから抱き締められて胸を鷲掴みにされた。
素っ頓狂な声を出してしまう。
こんなことをするのは中学からの友達の姫木佐倉、彼女くらいのものだ。
「ち、ちょっと……佐倉? やめてって言ってるのに」
「今日もいい揉み心地ですな。おっ? なんかまた大きくなってない!?」
そうかな? 成長期に入ってからサイズは増えてるけど、また大きくなったのだろうか。
視線を向けるけど佐倉は「ふへへー」と幸せそうな顔をしていた。前から抱きついたら頬擦りでもしてる気がする。
一通り満足したのか手を離した。
「どお? 落ち付いた?」
「落ち着いたのは佐倉の性欲の方じゃない?」
「あはは、こりゃ一本取られた」
と、悪戯っ子のように明るく笑う佐倉。
後ろからでも緊張してたのに気付くとは……長年の付き合いは伊達じゃないなと感心しかけたが、ただ胸を揉みたかっただけかもしれないと評価を改める。
中学から高校になっても相変わらずな友達。
こう見えて自己採点で平均90とかなり頭は良い。
彼女のお陰で少し落ち着けたことはありがたかったし、半分くらいは感謝してあげよう。
「佐倉に教えてもらったお化粧上手くできてるかな?」
「今日は一段と気合入ってて可愛いよ。やっと想い人に会えるんだもんね」
改めて今日が特別な日であることを再認識し、ドキドキしてくる。
確かに白百合高校は私の中学時代の学力を考えたら厳しい学校ではあったと思う。
愛の力だと思う……な、なんて。脳裏に幼馴染を思い浮かべた自分が恥ずかしくなった。
「うん……」
「ふふっ、初々しいねぇ~可愛い朝陽なら大丈夫だよ。頑張れ」
そう言って手を握ってくれる佐倉に安心感を感じる。
「ありがとう」
佐倉とは恋愛小説をきっかけに友達になり、私からはよくお化粧の相談もしている。
そしてなによりお互いの恋を応援し合う仲間である。
「40分後に始業式だよね」
「うん。ちょっと早く着きすぎちゃったかも」
「いいんじゃない? 新しいクラスで友達作るチャンスじゃない?」
それもそうか、と納得する。
そういう思惑はなかったけど、言われてみればクラスに馴染むのは大切だ。
「でも、私と一緒に通えることも少しは喜んでくれてもいいのにな~」
わざとらしく拗ねたように言う。
いつもと変わらない友達に苦笑した。
「はいはい、嬉しい嬉しい」
「え~わざとらしい~」
泣き言を言いながら、また私に抱き着いてくる佐倉がおかしくて、私も一緒に笑った。
「大丈夫だよ。本当に嬉しいから」
「知ってるし」
さっきの拗ねた顔が嘘のような快活な笑顔で彼女は笑う。
私は親友に向かい合うと改めて伝えた。
「また宜しくね。佐倉」
「うん、また宜しく。朝陽」
◇
そうこうしている内に生徒の数もちらほらと増えてきた。下駄箱が見えてくる。
ネームプレートの類はまだない。今日のところは御自由に靴を入れてくれということなんだろう。
張り紙に書かれた指示通りに教室へと向かった。
「確か1-Cだよね」
「う、うん」
ドキドキしてきた。
早めに登校していたらゆーくん――【夜桜結月】がここにいる。
大丈夫かな……今更だけど不安になってきた。
手に人の字を書いて呑み込んだ。手鏡でもう一度前髪をチェックする。
寝癖もない……うん、大丈夫。
佐倉には不審がられたけど、何でもないと誤魔化して一歩を踏み出した。
男の子は……何人かいるけど、その中にゆーくんはいないみたいだった。
10年経ってると言っても、好きな人を間違えたりなんかしない。
私は少しばかり落胆しながら、黒板に貼り出された席順表を確認した。
「んー朝陽とは反対側かー……」
どこか残念そうな友人の声。だけどそれは耳に入らなかった。
だって、私の席の隣――そこには一度も忘れたことのない想い人の名前があったからだ。
心の内で飛び上がった。これは幸先のいいスタートかも。
ゆーくんは私のことに気付いてくれるだろうか。
背と髪も伸びたし、ひょっとしたら分からないかも。
その時は驚かせてあげよう。どんな顔してくれるのかな。
「……?」
あれ、ってなった。
ゆーくんの席には知らない女子生徒が座っていたから。
(わ……凄い綺麗な人)
肩口より長いくらいまで伸ばした闇夜のように暗い黒髪。
肌は陽に当たったことがないんじゃないかというほどに白かった。
処女雪のように白い美肌と、艶のある切り揃えられた前髪のコントラストはいっそ恐ろしいまでに幻想的に思えた。
目を奪われること数秒。私は彼女に近付いた。
「あの」
声をかける。本を読んでいるのか顔は伏せられたままだった。
集中しているようだったのでもう一度声を掛けた。
顔が上げられたところで、席を間違えてますよと指摘した。
瞬間、全身が雷に打たれたような衝撃が走った。
似ていた。いつかの記憶の面影とぴったり重なる。
あれ、もしかして妹さんかお姉さんがいたのかな。そんな話は聞いたことなかったけど、さすがに無関係と言うには余りにも記憶の中の少年と酷似していた。
胸がドクンと鼓動を鳴らした。顔も何故か熱を持つ。
「? いえ、何度か確認しましたけどここは私の席ですよ」
言葉を失った。
声も似てる。あれかな兄妹って声まで似るのかな。
すると相手は「あ――」と、嬉しそうな声をあげる。
どこか期待する様な、長年の親友を見るような目。
私はこの時点で小さな違和感を感じていた。小さくて目に見えないほどの小さな疑問。だけど……とてもじゃないけど拭い難い感覚。
「もしかしてアサヒちゃんですか?」
引き攣る口元。私はもう一度だけロボットのように繰り返した。
席を間違えてますよ、と。
そこは夜桜結月くんの席ですよ――と。
「ふふっ、忘れちゃったんですか? 私ですよ。夜桜結月――昔はゆーくんゆーくんって、ついてきてくれたじゃないですか」
違和感はほとんど確信に近い現実になっていた。
僅かな可能性に賭けて聞いてみる。
「……あの、失礼ですが御兄弟の方などは……」
すると彼女は頬を膨らませて不服そうに眉根を寄せた。
「私は一人っ子ですよ? それとも……もしかして私のことなんて忘れちゃいましたか……?」
悲しそうに伏せられる瞳。胸が締め付けられるような感情が波紋となって私の心にさざ波を立てた。
忘れてない。忘れたことなんてない。
10年間想い続けてた。ずっと大好きで、手を繋いだリ、一緒に登下校したり……なんだったら結婚まで夢見てた。
私にとってとても大切なこと……だから忘れるはずもない。目の前の”少女”のことを。
だけど、そんな勘違いってあるの?
――好きな人の性別を間違えるなんて。
幼馴染との再会は果たした。
向こうも私を覚えてくれていた。
ドラマチックではないけど、理想的な再会の形だと思う。
「これからまた宜しくお願いしますね。アサヒちゃん!」
だけど受け入れられない。これが夢なら覚めてほしい。
なのに、女の子だと分かってからも、ゆーくんへの感情は消えるなんてこともなく――
性別を間違えていたこと以上に、その事実を理解してからも一切変わることのない感情の高鳴りに私はただひたすらに困惑するのだった。
10年間好きだった幼馴染が実は女の子だった件~女の子でも好きなんです~ 猫丸 @nekomaru88
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