「自分にとっては当たり前」の話




自分にとっては当たり前、自分は当然やっていること、できていること。




でもそれは、他の人にとっては当たり前ではない、すごい才能だったり力だったりパーソナリティだったりするのかもしれない。




そういうことが時にあるから、「他者からみた自分」を知る機会は必要であって、具体的に言えば、人と話したり交流したり、自分の考えを発信したりするのは(オンラインだろうがオフラインだろうが)必要だよな、と思う。得意ではないけど。




今日、「オンライン就活」のキャリアセミナーでお話をお聞きして、その後で少人数での感想シェア会に参加してきた。そこで他の3人の就活状況をお聞きして私も言った。そこで自分が複数内定を持っていることを話したら、「すごい」とめちゃくちゃいわれた。他の3人の方々は内定を持っておられないらしいのだ。そして未だに迷っているから就活をしていると告げると、「そんなに迷っているのに内定がもらえるってすごい」といわれた。




内定を複数持つことには何の意味もないと思うし(結局いけるのは1社のみだから)、面接でも会社に合わせて自分を語ったからなのではないかと思うし、今までその重みを忘れてしまっていたが、複数の会社から「来てほしい」といってもらえるのはそれでもすごいことなのだ、と今日の対話から気づかされた。




もっと、自分が持っているものを誇るべきなのかもしれない(今の場合、内定を持っていること…というよりかは自分を語って会社から「きて」といってもらえること、語ることのできる自分を持てていること)当たり前のように自分が持っている何かしらのものは、他の人にとっては稀有であるということを、もっと自覚したら、自分も幸せになれるし、他人との交流でもズレが起き過ぎないのかもしれない。それと同時に、他の人の良いところや素敵な力を、もっとその人に伝えていければいいなと思う。




結論は、わからなくなってきたが…つまり、人は自分が思っている以上に素晴らしい力を持っているということだ。例えばこれをここまで読んでくださった方はエッセイを発掘する力をお持ちなのかもしれないし、コメントをくださる方は、人に「good」を伝えることを積極的にできる&するという素晴らしい力をお持ちであり、私は見習わないといけないだろう。ポジティブなことをどんどん広められる人間になりたいし、そういう社会になっていったら素敵だなと思いつつ、おやすみなさい。

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