第2話
雨が好きだ。濡れるアスファルトのにおいが、道を埋め尽くす傘の色彩が、水たまりに映る風景が、屋根を打つ雨粒の音が好きだった。小さい頃なんかは、傘を差さずにずぶ濡れになってみたり、ずっと雨が降っていればいいのになんて思ったりもしていた。今でも雨の日はよく出かけるし、風景を写真に収めたりもする。空から水が降ってくる非日常感を味わえるのがたまらなく好きだ。好きな女の子と一緒に雨宿りするなんて言う甘酸っぱい思い出は存在しないが親友とチャリにニケツしながら雨に濡れたのは今でもいい思い出だ。俺の中の雨には美しい記憶が詰め込まれている。だから俺は雨が降るたびにこうやって美しい過去を思い返しては懐かしむのだ。
今日も雨だ。世間では梅雨入り宣言が出され洗濯もの事情に頭を悩ませている中俺の最も好きな時期が回ってきた。ここ最近の俺はそのことが嬉しくて、様々なことに積極的になっている。周りからはそのことをカエル人間だの水を得たアホだの言われるが俺は少しも気にしていない。自分の好きなものを好きだと言えることほど気持ちのいいことはないからだ。俺はいつもの通りに歯を磨き顔を洗い着替えを済ませ、アルバイトの向かう準備を始める。この時期は個人営業の本屋に来る人なんてのはあまりおらず業務は楽だが、俺のように梅雨時期に外に出るわけじゃないなら本を読むには絶好の機会に思えるが、世間はそうではないらしい。店長も最近は電子書籍が台頭してきているとぼやいていたし、運命の流れなのかもしれない。俺は玄関で耐水性のスニーカーを履き、好きな世界への扉を開けた。透き通る水のにおい。地面をたたく無数の雨粒。それらを堪能しながら俺は勤務先へと足を進める。
勤務先は小さい古書店。本を読むのが好きで働き始めた職場だったが、俺の勤務内容が古書店っぽいかと言われると、すなおに首を縦に振ることはできない。もっぱら力仕事と店長の話し相手しかしていないので、古書店に雇われたというよりは単なる雑用要員兼雑談相手として雇われたのだろう。給料も多いとは言えないし美味しいお茶を出してくれること以外は、あまりいい職場ではないと思う。それでも、店の本は読み放題だし、たまに晩御飯をご馳走してくれるから、俺は辞めずに働いているのかもしれない。それにあの店には大きなガラス戸がある。今日みたいな雨の日はそこから雨を眺めるのが俺のお気に入りなのだ。雨が上がった後、濡れたガラス戸に照り付ける陽の光が何とも綺麗で、そこから見る外の景色はいつもとは全く変わったものになる。雨というのは、あがった後も余韻を残し、俺の目に美しさを届けてくれる。その点において、あの古書店に勝る場所を見たことはない。
俺は橋のところまできた。この橋には通勤路における唯一の横断歩道がある。横断歩道と言っても、俺の住んでいるところはかなりの田舎で信号など何の意味があるのか分からないくらいの交通量しかない。小学校の頃に教わった左右の確認など全く必要がない。現に中学生のころ、道路の真ん中で寝そべっていても轢かれることはなかった。それほどまでに車は来ない。もちろん人も。俺の通勤の時間にこの道路を移動する物体を見たら、俺はかなり驚く。そういう訳で、俺はこの日、かなり驚いた。
女の子がいた。水色の傘を持ち、それと同じ色のレインコートと長靴を身に着けた。ぼんやりとした、雨粒の降り注ぐ空をじっと眺めて。
俺はしばらく立ち止まって面喰っていた。まさか人がいるとは。しかも小さな女の子。しかしまぁ、ありえない話ではない。家に帰るところなんだろう。その時間がたまたまかぶっただけだ。俺はそう考え、その子の隣に立ち信号が青になるのを待った。さすがに信号無視をするほど俺は不道徳なわけではない。しかし、あまりにも周りの景色が変化せず、雨音を聞くだけでは暇を潰せなくなってきてしまった。そんなとき、
「ねえ。あめってすき?」
女の子は俺に問いかけた。俺が声の方向に顔を向けると、目が合った。
きれいな、水のような透明な、まるで液体のような瞳だった。今思えば、この声から、俺の人生の出会いが始まったんだ。
続く
雨の踊り子 三風 風矢 @0522Mochiduki
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