第8話『灰色の均霑』


目の前が真っ白に染まった。

いつものことだ。

現実世界で眠りに入ると、私は白い空間に誘われる。

その原因はわからないが、そんな定めの中に私はいる。

いつものように白い空間を彷徨い歩いていると無数の扉が現れはじめた。

どれか一つの扉を選択し、どんな世界が待ち受けていようと踏み込まなければならない。

その先に広がる異世界に身を投じなければ私は眠りから目覚めることが出来ず、現実には戻れないからだ。

私はそれを物心ついたころから毎夜、繰り返してきた。

今夜もこうしてドアノブを回して押し開くと、その先には辺り一面、白色に染まった大地が待ち受けていた。

きめ細やかな白いものが天から落ちてきて、地面に降り積もっている。

雪か、と思い一歩を踏み出したのだが寒さなどは感じず、踏みしめるまでもなく軽く崩れる粉のような、足元に積もるこのぐずぐずした感触に戸惑う。

周囲をふらふらと探るが建物も人も全く見当たらない。

やがて私の足跡が、もう始まりが知れないほどに遠くに流れ、そしてそれを振り返った瞬間に突然、私はこの街の中に佇んでいた。

ようやくこの底知れぬ世界に時間が流れ始めた、そう思った矢先、真っ白に染まった数人の者たちを目にした。

鼻と口を布で押さえながら小走りで去るもの。

ガスマスクのようなもので顔ごと覆うもの。

この世界で蠢く悲壮感を感じ取り、思わず立ち竦む。



 ー ー ー ー



今回の扉の先に待ち構えていた世界は、潜る前とさほど変わらず白く、静かな世界だった。多くのビルがそびえ立ち、軒先には様々な店が立ち並んでいた、という過去の痕跡が見える。

少し前まで賑やかな街だったことが伺えるが、今は違う。

どの建物も空から降り落ちる白いものにまとわりつかれ、そこで生きる人も白を被っている。

命のきらめきなど一切ない。

殺風景であり、すれ違う人々は目線を決して合わせようとはしない。

どことなく猜疑心が漂っている。

そんな中、私の目の前に向かいから一人、近寄ってきて立ち止まった。

ガスマスクを着けている。背丈からして男性だろう。

彼は私の頭の上を突然撫でてきた。

それから、背負っていた袋から何やら取り出しはじめた。

ガスマスクの様だった。


それを目にした時、この世界の情報が頭に染み入ってきたのだった。


金額を提示される。商売人だ。

扉の先の世界で与えられた私の立場、記憶、近況というものは時間を置いて湧き上がってくることもある。

それは記憶喪失になっていた人間が、これまでの過程を思い出していくようなものかも知れない。

その世界の持つ独特な習わしや文化、秩序、問題などは扉によって様々なのだが、前々からここで生きてきたような感覚が押し寄せると、元よりこの世界の住人という意識が強くなる。

先ほどの頭を撫でる行為は頭に積もった灰を払い合う、この世界での日常の挨拶を意味するものだ。

そう、延々と降りやまない、この白い細やかなものは灰だ。

この灰は生態に悪影響を及ぼしている厄介な産物だ。

地上から太陽を奪い、土壌をどこまでも弱らせ、水を腐らせ、多くの人々は明日の命の保障もないままに生きている。

あぁ、そういえば。

私はと言うと胃袋は空っぽで、まともな食事が何日もできていないという、要らぬ情報まで脳裏に刻まれる。

身の危険を感じると、途端に具合が悪くなりはじめる。

男は急に体勢を崩した私に心配する言葉をかけながら、なぜかその言葉とは裏腹に私の衣服探り、ポケットに手を突っ込み、物色を始める。

この男の悪友と思われる者たちが近寄ってくるのがわかった。

なすすべもなく、空を仰ぎ見たまま私はその場に崩れ落ちた。



 ー ー ー ー



次に意識を取り戻した時、私は狭い部屋の一室に寝かされていた。

窓の外は相変わらず白い灰が舞い落ちている。

まだ現実世界には戻されないらしい。

この灰が降りやまない限り、この世界に希望はない。

一刻も早くおさらばしたい気持ちは募るばかりだ。


白い灰の元凶は人間だ。

昔、この国は意図的に巨大な休火山を揺り起こし、永続的なエネルギーの生産に乗り出した。他国にも余剰分を輸出し、またその利益を自国の生活インフラに当てて国を潤そうと考えたのだ。

そのエネルギー生産計画の一番の問題となっていたのが灰の処理だったが、空にも届きそうなほどの巨大な集塵タワーを併設することでその問題をクリアしようとした。

民はその運営当初には維持費の負担を強いられたが、一時の困窮に耐えるとその後は医療や学費、食費までも含めた全ての生活費が免除され、国から手厚く保証されることとなった。

民は、これまでの人類史上顧みない幸福に身を包まれることとなった。

国は延々と潤い、皆はこの国は絶えず灰をコントロールすることに注力してさえいれば、豊かな生活がずっと続くものだと信じ込んでいた。



ところが、裕福が生み出した副産物が新たな問題となった。

ゴミ処理問題だ。

発端は優れた集塵機能装置に目を付けた役人が、これをゴミ処理問題にも当ててみようと目を付けたことが始まりだった。

やがて節度のある計画がいつの間にか杜撰な管理に堕ちた結果、この灰はただの火山灰ではなくなったのだった。

噴火口にベルトコンベアで家庭ごみから産業廃棄物に至るまで、様々な厄介物を運び入れた。

様々な化学薬品、化学物質が入り混じったものが灰と合わさり、良からぬものが空に上り始めた。

その結果、謂わば死の灰は、人体にも生態系にも、そして機械にも悪影響を及ぼしたのだった。集塵機が稼働しなくなってから、もう何年経っただろうか。


民は再び身を削る思いで修繕費を納め続けたが、頑なに機械は動こうとしなかった。


新たな集塵機を作ろうにも、危険物質を含んだ灰のせいで他国は本国に近づけず、本腰を入れた災害支援は実行されないままに時だけが過ぎる。

未だに、この国からエネルギーの恩恵を受けているのにも関わらずに。


やがて、この国は衰退の一途を余儀なくされた。





「あなたはさ、なんで白昼堂々と歩いてたの?

 死ぬつもりだったのかな」


意識を取り戻してから程なくして、この部屋に住人が現れた。

その生意気な口調からは想像できない背の小ささで、顔も随分と幼く見えた。

頭から足元にかけて、髪も肌も身に着けた衣服さえも全身が白色がかっている。

この部屋にあるものも、先ほど歩いていた街並みも、全てが彼女のような色に統一されてしまっている。

そして私はと言えば、やはり同じような色をしてこの部屋に、街に溶け込んでいる。

扉の先で待ち構えている世界に身を投じれば、まるでそこで生を享けたかのようにして世界に馴染んでいくのが常だが、今回も例に漏れずのようだ。

ただ、まだその浮き上がってきた情報が物足りない。





「あなたはさ、いったいどこから来たんだろうね」


その問いかけに体が強張る。

まさかわたしが睡眠時に違う世界へ飛ばされることを知っているのでは。

驚きを隠せないという私の顔を彼女は覗き込んで話を続けた。


「もしかして天上界ってまだ存在していて、そこから降りてきたとか?

 なんかアンタはさ、初々しいよね」


…そういう意味か。

天上界とはこの世界の富裕層が暮らした、灰も届かないほどの高層圏で生活をしていた人たちのことだ。

巨大な集塵タワーの上に広がった、広大な居住エリアで生活していた人々。

しかし、今はもう存在しない。

死の灰によって機能しなくなった集塵タワーによって、そのエリアには灰が降り積もりはじめ、一時全ての灰を背負い込んだ。

やがて重みで天上界は地に向かって崩れ落ち、今は無きものとなった。


…そうだった、この世界での私の立ち位置を今、理解した。

私はこの世界では確かに天上界の住人であった。

だが今はそんな身分の正反対の所で生きている。

国が衰退し始めるその前から、裕福だと思われている国の中にも、その恩恵に肖れない貧困層が少なからず存在する。そういうもの達は地下に広がったトンネルの中で生活をしていた。

私は天上から落ち延びて、そこに属して生きている。

マンホールの中で、第二の人生が始まった。

今はそこが住まいであり、私の世界の全てであった。

あの頃、トンネルの中には私と同じようにして移り住むものが溢れるほどに増えていた。


初めは皆で助け合っていたが、徐々にそれまでの関係性が崩れ、最近ではここの生活も危うい。

グループが形成されては対立して一方が滅び、また残ったところに何処からともなく人が集い膨らみ、集団が分裂する。


それまでの仲間と距離が出来始め、やがて分け合っていた食料は手に入りなくなり、情報も入ってこなくなった。

新たな仲間を探し求め、ふらふらと地表を出歩くことが最近は増えていた。

しかし、改めて荒んだ世界では話しかけに応じる人など簡単には現れず、困り果てていた。

そしてこの日、不摂生がたたり灰色の地面に崩れ落ちたのであった。


彼女の話によると、倒れた私に獲物の匂いを嗅ぎ取り男たちが群がったという。

彼女はその光景を後ろで眺めていたそうだ。

男達は何も持っていない、ハズレだ、と言い残して足早に去ったが、おこぼれに肖ろうと待っていた彼女は念のためにと私に近づいてごそごそと所持品を漁ったそうだ。


「そんなハズレな私をどうして助けてくれたんだ」


「あなたはさ、なんだかほっとけなくてさ。

 あたしの勘だけど、まだあんたはさ、なんかまだ出せるものがあるんじゃないかと思ってさ。

 その、利用価値がありそうな気がして」


彼女は少しだけ笑みを浮かべてながら、真っ白な世界を窓から見下ろす。


「最近は特に物騒になったよね」


ベッドから体を起こして窓の前に二人して立つ。

華奢な体が余計に彼女を不憫に思わせた。


「さっき、あなたはさ、あそこ歩いていた」

 


彼女が指す位置を窓から見下ろすと、案外高い場所にいることがわかった。

廃墟となった集塵タワーの一室だと思われる。

爪先ほどの人が幾人も集まって争いを始めている。


「あの対立するグループ、実はどちらも私が以前に属していたグループなんだ。

 で、今はあなたを襲ったところにいる」


混沌とした世界で生き残るには、各々がしたたかさを身に着けなければ生存できない。

今、この国の民は先の知れない恐怖と共に生きている。

民が10年は生活できるだけの食料と生活物資が備蓄されていると言われた配給システムだけが奇跡的に今も機能している。

だが、そこから生活物資を得られるのも、それもいつまで持つのかはわからない。

だから、認証カードを奪って本人に成りすまして配給に肖ろうとする人たちが増えている。

もしかしてと、この彼女に似つかわしくない、この広めの部屋の理由を問うと素直に答えが返ってきた。


「この部屋?

 知らない人から奪った認証カードを使って侵入した部屋」


他にもあるよ、と彼女は何枚ものカードをポケットから抜き出して見せた。

元のカードの持ち主はもうこの世にはいないと告げた。


「あなたはさ、カードを持っていない。

 …マンホールの中の生活ってどんな感じ?

 いや、地下トンネルで生きる人とこの前会ったんだけど、同じ臭いがしているからさ。そこに隠し持っているの?」


それから、彼女が私に一番聞きたがっていた質問がようやく飛んできた。


「ねぇ、地下トンネルの奥深くが国外とつながっているという話。

 それって今でも有効なの?」


それに関しては答えを持っているのだが、素直に彼女に話していいものかどうか悩んでしまう。


「すまない。わからない。詳しく、知らないというのか」


だから、俯いたまま嘘をついた。

この灰の降り積もる国から外にでる手段は確かにある。

昔から地下トンネルで他国と通じる道はあった。

ただ、今、そこを潜るには多額の金が要る。

どう考えても、彼女にその金を用意するだけの力はない。

彼女は落胆する心を隠そうとはしなかった。

食事を用意するからと呟いてから姿を消した。


しばらくの静寂のあと、突然大きな揺れがこの場を襲った。

辺りが騒がしくなり、遠くで悲鳴が聞こえた。

最近は噴火活動を制御できなくなり、巨大な岩が降り注いでくることもある。

そこへきて自然と仕事を意識してしまった自分に嫌悪感を抱いたが、この世界ではそうやって生きてきたのだから仕方がない。

揺れが収まる前に、建物から這い出てきた奴らが狙いだ。

彼女の居ない、彼女のものではない一室を振り返って、なにか書置きでも残そうかと思ったがやめておいた。

今は複数の集団に身を置くことで何とか生き永らえていると彼女は言った。

私は元よりグループには入らなかった。

仲間は作ったが、それは生きるためのビジネスパートナーという繋がりでしかなかった。


トンネルから這い出ては街を徘徊し、人から強請ったりくすねたりして命をつなぐ。

天上界ではそれなりの地位もあったというのに、今やどうしようもない生き物だ。


さぁ、仕事の時間だ。

喧騒に紛れ、手っ取り早く終わらせるとしよう。



 ー ー ー ー






「何となく戻ってきた」


無言で立ち入るのも失礼だと思い、だからといって勝手に姿を暗まして、またひょっこり顔を出してどんな言い訳をしようかと思っていたら、口が勝手にそう動いた。

しかし、先ほどの部屋に彼女の姿はなかった。

彼女は、二人分はきつかった、食べなよ、というメモを残していた。

メモに書かれた矢印を辿ると、窓の脇に、カーテンで隠すようにして缶詰が置いてあるのがわかった。

静けさの中、缶とフォークがぶつかり擦れ合う音と、咀嚼して飲み込むまでの音だけが生々しかった。

食事が終わり、ベッドに横になったまま、そろそろ現実世界に戻れるのだろうか、いや、現実世界って何だったか、ここはどこだったか、などと混乱していたら彼女が目の前に現れた。


「あぁ。いたんだね。

 食事は?」


目線で空いた缶詰を示すと彼女は頷いた。

その顔には疲労感が見てとれた。

体からは男の臭いが仄かに漂ってくる。

追加ね、とテーブルに缶詰が置かれた。

水の入った缶詰だった。


「…出たいだろ、この国を」


何でそんなことを彼女にこのタイミングで聞いたのだろう。


「他の国がどうだとか知らないしさ。

 別に、これといって。

 でもいつか、死ぬまでには一度くらい顔を覆ったりせずに自由に街を歩いてみたい。

 青空だって見てみたいし、缶詰以外の食べ物だって口にしたい。

 そんな時代が少し前には当たり前にあったんだろうけどさ」


じゃぁ、別に出なくてもいいのかと聞くと、彼女は口調を強めて早口でまくし立てた。


「…無理でしょ。

 出たいよ、こんなところ。

 …まだまだある。

 緑の生い茂る自然に触れてみたい。

 鳥の鳴き声を聞いてみたい。

 眩しいほどのお日様も、優しく照らしてくれるお月様も。

 夜空には輝く無数の星?

 全部伝え聞いたもの、本当にあるの?

 そんなものが!知らない、分からないよ。

 でもさ、見てみたい。


 …なんで、そんなことをあなたにさ」


その時、少しだけ意識がぶれ始めるのを感じた。

予兆だ。

しかし、まだ戻るわけにはいかない。

気がふれたわけではない。

時間がない。


彼女の体を乱暴につかむと部屋を飛び出す。

手を引きながら薄暗い廊下を一気に駆け抜ける。

彼女に当て布を渡し、極力灰を吸い込まなせないように努めながら道を選び、近くのマンホールを探し当てる。

近寄ると、灰を払い除けてマンホールの蓋を掘り起こした。


「…これ、鉄くずにしか見えないだろう?」


工具を組み立てて重厚な蓋をずらす。

彼女を無言で穴の中へ促すと素直に従った。



 ー ー ー ー






薄暗い灯りが転々と並ぶ地下トンネル。

反響する二人の足音が響き渡る。

怪しまれてはいけない。

自然に闊歩するのだ。

ここは私の庭。


「私は極力持ち歩かない。

 分散させて、隠す。

 それが私の身の守り方だった」


彼女の微かな震えが、つかんだ腕から絶えず伝わってくる。

全部の隠し場所は回れなかったが、これだけあれば足りるのではないか。

彼女と向き合い、両手を差し出させる。

さらさらとした細かな灰が皺の間に入り込んでいる。

それを指先で擦りながら払い落としてみるが、彼女の本来の肌の色を救い出すまでには至らなかった。


「いいか。

 簡単なことだから。

 この通路をひたすらまっすぐ進むと最初の分かれ道がやってくる。

 進む先はこの上に白い丸印がつけてあるトンネルだけだ。

 するとまた分かれ道がやってくる。

 似たような地形が何度も目の前に現れるだろうが、どこまでもこの印だけを頼りに進むんだ。

 出口は必ずやってくる。いいね」


彼女は頷くと、手渡された紙袋の中身をみて驚きの表情を見せた。

私は彼女の口元を塞いだまま進むべき進路に向き直させ、そっと背中を押した。

薄れ行く意識の中で、彼女の足音だけに耳を澄ましていた。



 ー ー ー ー





鳥の鳴き声が聞こえる。

眩しい朝日が執拗に顔を射す。

見慣れた寝室。


現実だ。

いつものように支度を済ませて会社に向かう。

駅の改札を抜けたところで、募金活動をしているのが目に入った。

何となく財布を開いて覗き込む。

最近はカードや端末機器での支払いが多く、現金を出すことが少なくなっていた。


あの時、彼女に手渡した金額には遥かに及ばない、微々たる硬貨だけが手元にある。

駅構内へ戻り、設置されたATMで現金を引き落とす。

募金箱に、これまでに入れたことのない金額を投入し、その場を去る。

意味はない。

別にこれといって。







 ー ー ー ー



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