第2話『努々』


真っ白な世界に扉が現れた。

いつも通り、現実の私は眠りに入っているのだろう。

しかし、これは皆が思い浮かべるような夢ではない。

この扉は別に存在する、不思議な世界への入り口だ。





 ー ー ー ー ー





白い空間を彷徨った先。

目の前に現れた扉を抜けた瞬間に、私はそこで作業に没頭していた。

突然のことだというのに、何をすべきかを理解していた。

今日はそういう日だったらしい。


扉の先には様々な世界が待ち受けているわけだが、現実の価値観そのままに入り込める世界もあれば、時間が経ってから徐々にその世界の歴史、文化、環境、そこでの自分の半生、立場、身分、といった全容を理解するときもある。

とりあえず、今日に至っては、すんなりとここでの自分を把握できた日だったようだ。

扉の先に現れたこの世界。

ここは、ひたすらに繰り返し行うことが意味を持つ世界だった。



「イイ、ペェースダ。乱スナヨ。ゼッタイニ…」


私の背後から忍び寄り、耳元で話しかける者。

それを振り返る余裕はなかった。

私はレーザーポインターを手に持ち、正面から迫るモノを待つ。

「黒色」のモノが迫ってきたら、それに光を当てなければならない。

光をあてられたモノは、私の立っている5メートルほど先にある分岐点で左方向へと弾かれる。

「黒色」のモノだけ、光を当てて分別しなければならない。

それ以外のモノは、光は当ててはならない。黒色以外のモノは逆の右側に弾かれる。

「ナイトグレー」だったり、ところどころ黒が交じったモノなど、ややこしかったり引っ掛け問題の要素は一切ない。

黒いものはどうみても真っ黒で、迷いようがなくシンプルだ。


それでも、何度も何度も、黒いものだけに反応することを繰り返していると、自分の中に変化が起きてくる。

これは本当に「黒色」という色だっただろうか。

もしも、「黒色」以外のモノに光を当ててしまった場合、私はどうなるのだろう。

興味本位で試してみたい気もするが、私に向かってやってくる物体はなかなかの速度で、当たれば大怪我をしてしまうことが容易に予想される。

何より、この環境で私は弱い立場という認識があって、時々背後を歩く者がささやいてくる言葉に妙な恐怖を感じている。

足首には足枷がはめられていて、この場からは逃れられない。

ここから離れるには、現実世界で私が目覚めるしかないという自我も芽生えていた。

しかし。どうしたものか。

かれこれ半日は繰り返している気がするが、なかなか今日は目が覚めないようだ。


焦りを感じる。



「ドォウシタ?疲レェタノカァ?マダマァダ続ケロッ。失敗スルーマデ、続ケェロー」



失敗しろ?

失敗したらどうなるんだ、と聞き返せない。

返事もせず、断続的に迫る黒いモノに光を当てる。

ふと、視界の脇に違和感を感じる。

いつの間にか両隣にも私と同じように作業をする人がいることに気づく。

仕分けをしながら、目だけ動かして様子を探る。

確かに、それまでは居なかったと思ったが。


突然、罵声が聞こえる。

何を言っているのか聞き取れなかったが、隣の作業員が注意されているらしい。

なんとなく、声がこちらを向いたりするのを感じて、私と隣の者とが比較されているような気がした。


そしてその直後、とても巨大な球体が正面から向かってきた。

フロアの天井ぎりぎりの大きさほどあり、ゴリゴリと重厚な音を立てて迫ってくる。

私は焦って、なんどもなんども黒く巨大な物体を光で刺すが直前まで迫ってきても左右に弾かれる気配がない。

なぜだ、どうしてなんだ。

隣の作業員と目が合った。

そこで解ったことがある。

私のレーンではないのだ。

隣だ。隣のレーンを転がっている。

私は隣のモノなのに距離感を誤ってしまった。

それに向かってレーザーポインターの光をなんどもなんども当ててしまった。

背後から私に向かって罵声が浴びせられる。


「オイィ、オマエェェ!何ィヲ?何ヲシテイルッ!」


そのまま大きな黒い物体は止まることなく、隣のレーンを進み、分岐点を無視して通過した。

そのあとすぐ、劈くような悲鳴が聞こえた。

隣のレーンは警報音と共に止まった。

私の足元には隣から沸々と、赤色の飛沫が。

この乱れた脈拍に合わせるようにして飛び交う。




急にぼんやりと、焦点が合わなくなった。

薄っすらと、現実世界が私を誘う。

寝室の天井が目に入る。

しかし、現実世界の私はベッドの上で体をまだ起こせない。

そして、まだこの世界の景色もまだ残っている。

周囲からあちらの私に向かって、見えない足音が集まってくるのがわかった。




「…あ!起きてます!起きてますから!

 もう、こっちでもう起きてるから!!」



迫りくる恐怖に対して、震え声で叫ぶ。

突如、足音が私の前を過ぎ去る。振り返り、私を探してまた踵を返すのが解る。

しかし徐々に音は小さくなり、遂には何も聞こえなくなった。

ベッドから床にゆっくりとすべり落ちて、そのまましばらく。

汗だくになった体はまだ直ぐには動かせそうになかった。




あぁ…まぁ。とりあえず。

今朝は、そんな感じで目を覚ました。



 


 ー ー ー ー



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