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人に限らず、生き物は死というものに対してなんらかの感情の動きがあるものだ。それは、恐怖だったり恐れだったり、哀しみだったり悲壮だったりする。

のだが、僕にはそういうものがまったくといってない。まるで心がないかのように。

だからなのか、三年前にレベッカが僕という存在を、両親から、いや世界のすべてから失くしたときもなにも思わなかった。そういうものか、と言った程度である。

だから、死をもたらすレベッカの、いや本人の弁で言うところの生きることからの救済に対してもなんら心の痛みというものがない。所謂、おあつらえ向きの性格といったところだ。

しかし、そんな僕だけれど、雨宮ありすを失うことに対しては、恐れや恐怖を感じる。

これは自己の喪失にも似た、なんらかのメタファーなのかもしれない。


ときに、自分でじぶんがわからなくなってしまう。僕はぼくというものがわからない。

まあでも、この世界に自分というものを、自分という存在を正確に認識できている人がどれだけいるかという話だ。

ひとりの人間がいて、この人はこういう人だ、って特定することなどできるはずもなく。


僕は果たして、己の最後の瞬間に何を思うのだろう。

もしかしたら、何も思わないのかもしれない。

それが少し哀しい、とはもちろん言うまい。


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