47 『罠』

 ナジャ法国軍臨時総指揮官スラヴォミール・スキーパラは、ここ数日頭を抱えていた。


 元々イーラに目を掛けてもらうことで出世した役人上がりのスラヴォミールだが、今回人材不足という理由でヘリアンサス王国、シレーネ帝国軍を迎え撃つ法国軍総指揮官に任命されてしまったのだ。


 (まったく、イーラ様は人使いが荒い)


 長年イーラと共に政治の世界を生き抜いてきたスラヴァミールには、イーラの考えていることが手に取るようにわかる。

 すなわち今回は、本当に時間が無いのだ。


 (まあ、誰もあれだけ仲が悪かったヘリアンサスとシレーネ手を結んで攻めて来るなんて想定してなかったからな)


 それもこんな急に、である。


 あれだけの大国が接近しているのならその兆候ぐらいは普通掴めるが、今回はからっきしだった。

 唯一兆候と呼べるものと言えば一カ月前のヘリアンサスからの侵入者か。


 (あれで大義名分を得た、ということか)


 いまだに捕まっていないところを見るに無事ヘリアンサスに帰国した侵入者たちは、報告が数年隠し通していたクーデターの事実をつかんだに違いない。

 この大陸のほとんどの国は王制を敷いているため、国王を倒して政権を取ったイーラに正統性が無いというのは戦争を起こすのに十分な大義名分になりうるのだ。


 「はぁ……」


 馬上でそんな考え事をしながら、スラヴァ―ミルは思わず大きなため息をついた。


 「スキーパラ様!」


 それとほぼ同じタイミングで、列の前方から伝令役の兵士が馬を進めてきた、

 スラヴァ―ミルはため息をついて緩んでいた顔を引き締めなおし、威厳たっぷりに兵士に向き直る。


 「なんだ?」

 「は、はい! もうすぐ予定地に到着します!」


 兵士は慌てて直立不動の姿勢を取りかしこまった、


 「そうか。それで、敵軍の様子は?」

 「山の向こうに放った斥候の話によると、既にかなりの規模の軍勢がそろっているようです」

 「どれぐらいの規模だ?」

 「今のところ、約三十万人という報告が入っております。恐らく、今後まだまだ膨らむかと」

 「さっ……、そんなにか!」


 予想はしていたが、実際にこうしてリアルに報告を聞くと絶句していまう人数だ。

 スラヴァ―ミルはあくまでも軍全体の指揮官という立場であり、実際に直接動かす兵員はせいぜい五万人と言ったところだ。


 (クソッ、足りないな……)


 本来、法国軍はイーラ直轄の兵力だけで二十万人、大貴族の兵力を合わせて五十万人の規模を誇る。

 それが、今回は召集から決戦までわずか一週間の猶予しかなかった。

 それだけの短期間で整えられる兵は限られており、現在スラヴァ―ミルと共に行軍しているのはせいぜい十万人程度だった。それも急ごしらえで徴兵した農民主体



 それも、開戦までに国境へ向かうための強行軍で全員疲弊している。

 今まともにぶつかっても踏みつぶされるだろう。ここは兵力が整うまで本格開戦を避けるのが得策だ。


 「おい!」


 スラヴァ―ミルは考えをまとめ上げると伝令兵に声を掛けた。


 「はい、何でしょう!」

 「暫くは様子見だ。彼我の戦力差が埋まるまでは本格的な戦闘は避けるように伝えろ!」

 「かしこまりました、スキーパラ様」

 

 伝令兵が恭しく頷く。


 「それと、一人王都までの伝令を用意しろ」

 「内容はいかがいたしましょうか」

 「急ぎ追加の兵を送って欲しいとイーラ様に伝えるんだ。よし、行け!」

 「はい!」


 あっという間に隊列の中に消えていく伝令兵の背中を眺めながら、スラヴァ―ミルは心の中で祈るように叫んだ。


 (間に合ってくれっ……!)


***


 「どうやら、あっちの方は上手く行っているようね」


 レジスタンスの伝令係から情報を受け取ったカルラは、啓太達を振り返るとそう言った。


 啓太、ティア、ガブリエラそしてカルラの四人は、現在ヴァーヴロヴァー家の馬車に乗り込んで首都アルコを目指していた。


 「法国軍の主力は、計画通り西の国境線に向かったようよ」

 「どれくらいが?」


 啓太の質問に、カルラは首をすくめて答えた。


 「今のところ、せいぜい十~二十万人ってとこかな?」

 「少ないわね。こちら側の工作がバレたって可能性は無いのかしら?」


 ガブリエラの示した懸念はもっともだった。

 カルラの報告した数字は、啓太達が元々想定していた兵力に比べるとずっと少ない。

 こちらの意図に気付いて兵を分散していないとも限らない。


 「うーん、その可能性も捨てきれないけど、一応アルコの周りに展開されている兵力はないそうよ。単純に招集が間に合わなかっただけじゃないかな?」

 「カルラとガブリエラの工作が上手く行ったということね!」

 「それもありそうね」


 無邪気なティアの言葉に、カルラはひとつ頷いた。


 ここ数週間、ガブリエラとカルラはイーラ勢力の切り崩しをしていた。ガブリエラは貴族達、カルラは地方の農民や役人を説得していた。

 今回法国軍の招集が遅れているのは、工作の結果寝返った勢力が多かったのも一因かもしれない。


 「ということは、今アルコはもぬけの殻なんだな」

 「そういうことになるわね」


 頷くカルラの表情には、少し笑顔が浮かんでいた。ここまで上手く行っていることに満足しているのだろう。


 「じゃあ、後はアルコに行ってイーラと奴隷商のシモンをひっとらえればいいんでしょ! 余裕ね!」

 「おいおい、まだ油断するのは早いぞ」


 そう言ってティアをたしなめるものの、拍子抜けするほどあっさり兵力をアルコから引きはがしたことで、啓太もやや気が抜けていた。


 (見つかるリスクを冒してまでこれだけの兵力を引き連れる必要は無かったかもな)


 馬車の窓から、道の端から広がる森林を見ながら啓太はそんなことを考えていた。

 

 今回、アルコに向かうにあたって啓太達は五千人規模の兵力を揃えていた。

 当然、人数が増えればイーラの手の物に見つかるリスクも高くなるが、もし王城内に大きな兵力が残された場合を考えると、これぐらいの兵は保険として必要だ。


 もちろん、イーラに見つからないように最大限手は打ってある。

 一つ目は、街道を進むのは啓太達の馬車だけにすることであくまでもガブリエラがイーラを尋ねるという体裁をとることだ。兵たちは皆森の中を行軍しているはずだ。

 そして二つ目は、森に慣れたレジスタンスに斥候をさせることだ。イーラ達に行軍が悟られるリスクを少しでも減らすため、行軍している兵のサラに外側で敵の動きを見張っている。


 (だが、王都がもぬけの殻なら俺たちだけでも十分だな。兵は森に待機させておけばいいだろう)

 

 なんだかんだティアの強さは信頼しているし、ガブリエラの剣の腕もすさまじい。

 イーラを捕まえるくらいならその方がいいかもしれない。


 「なあ、ガブリエラ。ティアの言うことも一理あると思うんだ。王城がもぬけの殻なら兵は森に待機させ俺たちだけで城を襲撃した方がリスクが低くないか?」

 「ケータの言うことはわかるわ。でもね、一つ問題があるのよ」

 「問題?」


 主要な兵力が出払っている今、一体何が問題というのか。


 「王城にはね、国王と城を警護する近衛隊がいるわ。それに、イーラ直属の隠密部隊も残ってるはずよ」

 「隠密部隊なら、ティアで対処できるよな?」

 「ええ! また出てきたら今度こそけちょんけちょんにするわ!」


 そう言って、ティアは満面の笑みでVサインを見せた。

 実際、見通しのよく平らな場所であればティアは容易に隠密部隊を撃退できるだろう。


 「だそうだ。俺も、隠密部隊は問題にならないと考えている。で、その近衛隊は強いのか?」

 「……化け物よ」


 口を開いたのは、ガブリエラではなくカルラだった。


 「化け物……? どういうことだ」

 「私も噂でしか聞いたことが無いのだけど、一人で千の軍勢と渡り合うともいわれている規格外の化け物が二十人集まっているらしいわ」

 

 なんだそのチート。


 「ガブリエラはもっとよく知ってるんじゃない?」

 「そうね、カルラ。私は何回か彼らの訓練を近くで見る機会があったのだけど、あれは敵わないわね」


 そう言って、ガブリエラは肩をすくめた。


 「イーラがそんな隠し玉を持っていたなんてな。というかそれなら連れてきた兵でも全然足りないじゃないか」

 「近衛兵と言っても、彼らは国の最高戦力。いつも王城に全員集まってるなんてことはないわ。恐らく、今はいても二、三人と言ったところかしら」


 それでも三千人の兵力と渡り合うのか。ヤバいな。


 「それに――」


 ガブリエラは、少し遠い眼をしながら言葉を続けた。


 「彼らの法国に対する忠誠心は厚いわ。最後の一滴まで力を振り絞って向かってくるでしょうね」

 「……どうしてそんな強くて忠義に厚いのがイーラなんかの見方をするのよ」


 ティアの疑問はもっともだった。話だけ聞くと、先頭に立って革命を起こしそうなものだが。


 「それが彼らという存在なのよ。国王が亡くなり、世継ぎが行方不明の今、イーラが国の正統な最高権力者の座についているわ。近衛隊が忠義もそこよ」


 ……まったく、頭の痛くなる話だ。

 今回も、最後まで順調にはいかないようだった。


 「向こうが仮に三人いても問題ないわ! 私達だって一騎当千だわ!」

 「いや、俺はカウントしないでくれ」


 それでも、ティアとガブリエラの実力派近衛隊にそこまで劣っているわけではなかろう。

 森の中に隠す五千人の兵力も考えれば、近衛隊の二人や三人、遅れをとることはないだろう。


 「さあ、アルコが見えて来たわよ!」


 窓から顔を出していたカルラの言葉を聞き、啓太は改めて気を引き締めるのだった。


***


 ナジャ法国首都アルコーー


 「伝令! イーラ様!」

 

 玉座の間に、隠密部隊隊員が息せき切って走り込んできた。


 「なんだ、言ってみろ」

 「はい! 城の見張りからの連絡で、森の中を行軍してくる一団を発見したそうです!」


 ついに来たか、とイーラはほくそ笑んだ。


 「規模はどれくらいだ?」

 「はい、約五千人という報告です」

 「五千人」


 イーラはにやりと笑うと、玉座の傍に立つシモンに楽しそうに話しかけた。


 「シモン、予想通りだな」

 「はい、流石イーラ様ですな」

 

 シモンのおべっかを手を挙げて制しながら、イーラは懐から古びた本を取り出した。

 ここまでの展開は、全てこの本の通りである。


 「ただ一つ予想外なのは、敵の人数だな」

 「はい。五千とはイーラ様を馬鹿にしていますね」

 

 わざとらしく憤慨するシモン。

 

 「よいよい。獅子は鼠を借るのにも全力を尽くすという。今回も、力の差を見せつけてやろう」


 そう言って、イーラは目の前に跪く兵士たちに声を掛けた。


 「近衛隊達よ、仕事の時間だ。内容は、森からくる五千人の鼠の始末だ」


 イーラの言葉に、が頷いた。

 

 一騎当千の兵が二十人。

 たった五千人の素人相手には、なんともったいないことだろう。

 イーラはにやにやと上がる口角を抑えながら、近衛隊達に命じた。


 「さあ、蹂躙を開始しろ」

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