40 『雪山と洞窟』
山を登り始めてから一時間。
ところどころに草が生えたむき出しの地面は、いつの間にかすっかり雪に覆われるようになっていた。
「わぁ! 雪がふかふかね!」
前を歩くティアが、地面を踏みしめながら楽しそうな声を上げる。
現在啓太達が歩いている登山道は、暫く人が踏み入っていないのか、足跡一つついていない綿のような新雪に覆われていた。
雲一つない空の鮮やかな青と真っ白な雪のコントラストが目に眩しい。
「ティア、あまりはしゃぐと後で疲れるぞ」
スキップをしながらうきうきと山を登るティアをたしなめてみたが、啓太の声はその耳には届かないようだ。
まだまだ登山は序盤であり、体力には皆余裕がある。
それでもここから先の旅路を考えると、体力はできるだけ温存した方が良いのだが……。
「えい!」
「きゃっ!」
いつの間にか、クロエとシルヴィも巻き込んで雪玉の投げ合いが始まっていた。
「ケータ、行くわよ!」
「冷たっ」
ティアの投じた雪玉は、容赦なく啓太の顔面を捕らえた。
地味に痛い。
「ほら! 日が暮れないうちにできるだけ進みたいから、先を急ぐぞ」
「「「はーい」」」
元気に返事をすると、ティア達は再び山を登り始めた。
ちなみに、一部始終を眺めていたニーナは何とも渋い顔をして待ってくれていた。
(ティアと過ごすうちに、いつの間にかクロエとシルヴィも子供みたいになってないか……?)
ティアの影響力の強さを感じ、啓太は心の中でため息をついた。
さらに山道を進むこと一時間――
いつの間にか、空が分厚い雲に覆われ始めていた。
「……降りそう」
先頭を歩いていたニーナが立ち止まり、そう呟く。
「ああ。山の天気は変わりやすいからな。雪が降り始めたら視界が悪くなる。先を急ごう」
この山は比較的見通しが良いが、それでも霧が発生したり雪が降り始めると遭難の危険性がある。
これからは、天候を見極めながら進んだ方がいいだろう。
そのわずか十分後、さらりさらりと雪が降り始めた。
雪はあっという間に本降りになり、視界に薄く白い靄がかかったようになる。
「全員、前を歩く人の背中を見失うなよ!」
啓太の張り上げた声も、雪に音を吸収されどこまで届いたかは分からなかった。
啓太は前を歩くクロエの背中を見失わないよう、目を凝らしながら一歩一歩進んだ。
さらに十分後――
「きゃあ!」
不意に吹いた突風に驚いたティアの声が前の方から聞こえてきた。
標高が高くなったためか、風が次第に強くなってきている。
静かに降り注ぐだけだった雪も、いつの間にか横殴りになっていた。
(……完全に吹雪だな)
とはいえ近くに身を落ち着ける場所など無いので、吹雪を抜けるか、休憩場所を見つけるまで啓太達は進むしかない。
「これまで以上に慎重に行こう! 滑らないようにだけ気を付けて!」
しかし、吹雪が止む様子は一向に無かった。
道は登るにつれて雪深くなっていき、今では一歩進むたびにひざ下まで雪に埋もれる。
さらに、激しい雪と風に吹きっさらされることにより急速に体温と体力が消耗されていった。
(いくら登山経験があるとはいえ、あれは夏の山だった。冬山はやっぱりキツイな……)
「クロエ、大丈夫か?」
白い靄の中にぼんやり浮かぶ背中に声を掛けるが、クロエには聞こえていないようだ。
(これだけ風が強いんだ。大声を出さないと届かないな)
そう考え、声を張ろうと啓太が大きく息を吸った時だった。
「ああ、もう! 何も見えないじゃない! というか寒すぎるわ!」
風に乗って、前の方からそんなティアの声が耳に届いた。
この吹雪の中にいても、相変わらず元気なようだ。
「もう! こんな雪解ければいいのよ!」
……なんだか物騒な事言ってないか?
いやな予感がする。
そして、ティアに関しては啓太の感が良く当たるのだった。
「『
その瞬間、視界が赤に染まった。
「おいおいおいおい!」
「『
少し離れた啓太の眼にもはっきり見えるほど大きな火球が次々と生成され、雪に覆われた斜面に打ち放たれ続けた。
「て、ティア様!? 何されてるんですか!」
「そんなに雪を融かしたら雪崩が起きますよ!」
クロエとシルヴィも慌てている様子だ。
シルヴィの言う通り、ここで雪を融かして雪崩なんか起きた日には目も当てられないことにになるだろう。
「ふいー。これですっきりしたわね」
啓太が傍に着いたときには、ティアは一仕事終えたかのような満足げな表情で、額の汗をぬぐっていた。
炎が放たれていたと思われるところは、雪が完全に融け去り灰色の地面がむき出しになっていた。
「いったいどうしたんだよ」
「風が強くて寒いやら、地面は歩きにくいやらでイライラしてたから、ちょっとね?」
ペロッと舌を出しながら、ティアがいたずらっぽく笑った。
「はあ……。まあ、おかげでちょっとしんどい気持ちは晴れたな」
さっきまで感じていたキツさや孤独感は、嘘のように消えていた。
「でしょ!」
啓太の言葉に、ティアは顔を綻ばせてピースする。
「まあ、それでも地面が見えるほど雪を融かしつくすことは無かったんじゃ――」
そこまで言って、啓太は言葉を切った。
(あれは……?)
ティアが融かした雪の下、むき出しの地面の一部が窪んでいた。
半分くらいはまだ雪の下に埋もれており、窪みの中にはまだ雪が詰まっている。
「ティア、あそこをもう少し融かせるか?」
「ええ、任せて!」
啓太の視線を追って意図を察したティアは、掌を再び地面に向けた。
「『
猛烈な炎が雪面に注がれ、みるみるうちに雪が小さくなっていった。
「っ! これは!」
見ていたクロエが驚きの声を上げる。
完全に雪を解かされたことにより、地面にぽっかりと空いた穴が姿を現した。
「これは……、洞窟か?」
穴の中を覗き込むと、入り口から続く緩やかなスロープはかなり深い所まで下っているようで、先は見えなかった。
「上に積もっていた雪の様子を見るに、長い間雪の中に埋もれていたみたいね」
「入ってみるか?」
吹雪はまだ収まる気配が無い。
このまま進むよりは、一旦ここで休憩して晴れるのを待つ方が得策だろう。
「ニーナ、中に生き物の気配はあるかしら?」
「ない」
ティアの質問に、ニーナが首を振った。
あれだけ雪に埋もれていたのだ。動物が中にいるということは無いだろう。
「ニーナがそう言うなら問題なさそうね! まずは私が入って中の様子を見て来るわ!」
そう言うと、ティアは体をかがめて穴の中に入っていった。
あっという間に、その姿は暗闇に溶け込んでしまう。
「早く! 大丈夫よー!」
暫くして、エコーのかかった声が中から聞こえてきた。
「ケータ、大丈夫そうですね。私達も行きましょう」
シルヴィの言葉に頷くと、啓太達は穴に入った。
「ずいぶん狭いな」
入口から下る道は、腰をかがめないと通れないほど天井が低かった。
それでも、足元は平坦で意外なほど歩きやすい。
そのまま暫く下ると、唐突に周囲が開けた。
「皆来たわね! 『
少し離れたところから聞こえたティアの声に続いて、青白い光が現れた。
光が、洞窟全体を照らす。
「うわぁ……」
クロエがため息を漏らす。
入口の狭さが嘘のように、照らし出された地下のスペースは広かった。
(これは、下手したら小さな村くらいならすっぽり入るかもな)
目の前に広がるのは、サッカー場が丸々十個は入りそうな広大な空間だった。
ティアの魔法の光をもってしてでも照らしきれないため、どこまで広がっているかは分からない。
「なんだか、やたら地面が平らですね」
しゃがみこんで地面の様子を見ていたシルヴィがそう呟いた。
いわれてみると、洞窟の中だというのにまるで整地したかのように平らな床だ。
「地下都市だったりしてね」
同じくしゃがみこんでいたティアが、冗談めかしてそう言った。
「この広さにこれだけ平らな地面だ。可能性はあるな」
「でもここには何もない」
ニーナがそう言って首を傾げた。
確かに、この空間といい先ほどの入口からの通路といい、なんとなく人工的な雰囲気を感じる。
かつてここに人が住んでいたといわれても不思議ではない。
ただ、それなら何か痕跡のようなものが残っていてもよいはずだった。
少なくとも見える範囲には、ただ平坦な地面が続いているだけだ。
「ねえケータ、ちょっと手分けして探検してみない?」
「探検といっても、この光を出せるのはお前だけだろ」
「ケータの剣は? 湖のほとりで抜いたときは結構眩しかったわよ」
そう言われて、啓太は腰の剣を抜いてみた。
青白い光が洞窟に広がる。
「この明るさなら大丈夫そうだな。じゃあ、二手に分かれるか」
厳正な話し合いの結果、啓太とニーナ、ティアとシルヴィとクロエという組み合わせで洞窟内を探索することになった。
「ティア、この洞窟はどれだけ広いか分からない。無茶だけはしないようにな」
「ええ、わかってるわ。一通り探索が終わったら、ここにまた集合しましょう」
「ああ。三十分以内には戻るようにするよ」
ティアはその言葉に頷くと、ニーナとクロエを連れてその場を離れていった。
段々とティアの魔法による光が薄れていき、剣の光だけが啓太とシルヴィの足元を照らしている。
「ケータ、私達も行きましょう」
「ああ、そうだな」
啓太は、シルヴィと共にティア達と反対方向に歩き出した。
「それにしても、何にもないな」
「そうですね。これが自然の洞窟なら、石の一つやキノコぐらい転がってそうなモノですが」
歩き出しても、地面は相変わらず見事に整地されており、何も発見できなかった。
「地面には何もなさそうだな。一旦壁沿いに進んでみようか」
啓太の言葉に、シルヴィがこくりと頷いた。
二人は、洞窟の壁に向かうとそこから壁伝いに歩き始めた。
「うーん、壁にも特に何もないですね」
それから十分、壁に何かないか目を凝らしながら歩くが、今のところ特に収穫は無い。
流石に壁はごつごつした岩肌がむき出しになっているが、それだけだった。
「一体、この洞窟は何なんだ――」
「ちょっとこれを見て下さい!」
不意に、シルヴィが啓太の言葉を遮った。
彼女の右手が、洞窟壁面の一か所を差している。
「……これは」
それは、壁に刻まれた傷だった。
岩の壁面に、ナイフで削ったかのような縦棒が等間隔に並んでいる。
「何か、数を数えたのでしょうか?」
「そう見えるな。だがこの傷で見るべきところはそれだけじゃない」
自分に言い聞かせるように呟きながら、啓太は壁の傷に顔を近づけた。
等間隔に並んだ縦棒は、よく見ると所々V字に刻まれたり×字に刻まれていたりしている。
(これはまるで――)
「ケータ! シルヴィ! ちょっとこっちに来てー! すごいものを見つけたわよ!」
啓太の思考を遮るように、ティアの声が洞窟に響き渡った。
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