39 『国境へ』

 「大丈夫。このアジトの近くには誰もいないみたいね」


 拠点周辺の様子を見張りに聞きに行っていたカルラが、そう言って戻ってきた。


 「よし、まだここは発見されていないみたいだな」

 「そうね。今なら大丈夫そうね」


 カルラの言葉を聞き、ティアが大きく頷いた。


 レジスタンスの拠点での会議から二日後。

 作戦の細かい所を詰める作業がようやくひと段落したため、いよいよ行動に移す時が来た。


 啓太達は一旦ヘリアンサスに戻り、国王ヘリオスに事情を説明して本件への協力を得る計画となっている。

 一方前日に出発したガブリエラは、イーラに怪しまれないように一旦侯爵邸に戻る予定だ。

 ガブリエラはレジスタンス討伐に見せかけて兵を集めつつ、国内の有力貴族を味方に引き入れようとしている。


 「ガブリエラも、今頃は家に戻って居る頃かな」


 意外と悪くなかったヴァーヴロヴァー侯爵家での奴隷生活を思い出して、啓太が呟いた。

 ほとんど独り言のような小声でつぶやいたにもかかわらず、ティアは耳ざとく聞いていたようだ。


 「ふん! あの泥棒猫のことはどうでもいいじゃない!」

 「……いい加減、仲直りしたらどうだ?」

 「絶対いや!」


 ティアはぷいっと首を振った。


 初対面以来、ティアとガブリエラは顔を合わせては口論を続けていた。

 個人的にはどちらにも良くして貰っている以上、仲良くしてほしいのだが……

 実際、今回も啓太がどちらと同行するかでひと悶着あった。



 『ケータ、私達は今日出発するわよ』

 『き、今日!?』


 昨日、出発前のガブリエラに急に声を掛けられ、啓太は素っ頓狂な声を上げた。

 それに対し、傍にいたティアがかみついたのだ。


 『ちょっとガブリエラ! 何勝手にケータを連れて行こうとしているのよ!』

 『勝手? ケータは私がちゃんとお金を出して買った奴隷よ! この国では正当な権利よ!』 


 ガブリエラも、声を荒げる。

 普段はしっかりしているガブリエラは、なぜかティアと喧嘩するときだけは子供のようになってしまう。


 『今時奴隷制度なんて時代遅れな権利、バカバカしいわよ! ケータは元々私のモノなのよ! 買っては許さないわ』

 『そんなことを言うなら、買い戻してみなさいよ! これでも無理して大金払って買ったのよ! 私に必要だわ!』


 とうとうお互いに歯をむき出しにしながら唸りあい始めた二人は、


 『こうなったら勝負よ』

 『望むところよ!』


 とのたまって戦い始めようとした。

 流石にこの狭い地下アジトの中で戦われてはたまったもんじゃない。


『ちょっと落ち着け、二人とも』


 啓太はそう言いながら二人の間に割って入ったが、


 『そうよ! ケータはどっちに行きたいの?』

 『私の家庭教師を投げ出さないわよね?』


 どうやら藪蛇だったようだ。


 結局その後も二人は喧々諤々の口論を続けた。

 最終的には、全て解決した後啓太が暫くガブリエラの下で働くという条件をガブリエラが飲み、今回はティア達に同行することになったのだった。



 「さあティア様、いつまでも拗ねてないで出発しましょう」


 ティアが不機嫌なのを見て、クロエがその肩をぐいぐいと押した。


 「そうですよ。久しぶりにこのメンバーで旅するんです。むくれてたらもったいないですよ」

 「……そうね」


 シルヴィに言いくるめられ、ティアは頷いた。


 「私達には使命があるのを忘れていたわ。一刻も早くミアレ村の人たちを連れ戻せるように頑張りましょう」

 「そうだな。よし、出発しよう」


 啓太の言葉に、全員が頷いた。


 「ティア、気を付けてね」

 「エレナもね。あなた達の旅も、一筋縄じゃいかないと思うわ」


 エレナとアダムは、逃げ出した王女を探すのが使命だ。

 どうやらアダムの方は手がかりをつかんでいる様子だが、王女を狙っているのはイーラとて同じ。

 おそらく隠密部隊も周辺をうろついていることだろう。


 「うん。でもアダムが守ってくれるから、大丈夫」


 エレナは当然そんなことは分かっているのだろうが、気丈にも笑顔を見せてティアに抱き着いた。


 「よしよし。全部終わったらヘリアンサスに遊びにおいでね! 私が歓迎するわ!」

 「うん!」


 相変わらず仲のいいティアとエレナが別れの挨拶を済ませるのを見届けると、啓太達は洞窟を出た。


***


 洞窟を出発してから半日――


 啓太達は、森の中で少し開けた小川のほとりに腰を下ろし、休憩していた。


 「ふぃー、疲れたわね」


 体を地面に投げ出して、ティアが声を絞り出した。


 「ああ、思った以上にキツイな……


 その横で、啓太も崩れるように地面に腰を下ろす。

 レジスタンスの拠点を出発してからの行程は、想像以上に過酷だった。


 そもそもこれまでほとんどの旅では馬車に乗っていたため、まず徒歩でこれだけの長距離を移動したのが初めてである。

 それから、今回の旅は常にイーラの監視や襲撃を警戒しながら進まなくてはならない。

 周囲に気を配りながら草をかき分け木の根を乗り越え、平坦ではない森の中を進むのは想像以上に体力を消耗した。


 「……お前らは元気そうだな」


 啓太は、涼しい顔をして水分補給をしているティア以外の三人に声を掛けた


 「これくらいは平気」

 「行商人は、意外と体力あるんですよ」

 「農家ですからねー。農作業で体は鍛えられています!」

 

 ……どうやら、このパーティの足を体力面で引っ張っているのは啓太とティアらしい。


 (こんなことなら日本にいるうちに体を鍛えておけばよかったな……)


 今さらながら、かつての不摂生を呪う啓太だった。


 「これまでにどれくらい進んだかわかる?」


 肩で息をしている啓太とは対照的に、汗一つ書いていないニーナがそう尋ねて来た。


 「ちょっと待て、今確認する」


 そう答えながら、啓太は懐から地図の書かれた羊皮紙を取り出した。

 この地図は別れ際にガブリエラから貰ったものであり、ナジャ法国の主要な町や街道をカバーしている。


 「洞窟を出てから歩いた時間とこの小川の位置からすると、今はこの辺りじゃないでしょうか?」


 横から地図を覗き込んだシルヴィが、地図上の一点を指さした。

 レジスタンスの拠点から北西の方向にまっすぐ進んだ所、ちょうど拠点と東の山脈の中間地点のようだ。


 「今のところ順調のようね。このペースで行けば、明日の昼には山脈にたどり着くかしら」

 「そうだな。問題はその後だが……」

 「今回は、本当に山越えね」


 そう言ったティアの視線は、地図上でも高々と描かれている山脈に注がれていた。


 今回啓太達は、直接ヘリアンサスに入国する道を選択しなかった。

 王都でのイーラの発言より、ヘリアンサスから侵入者がいることは露見している。おそらく、国境警備はこれまでの比じゃないほど厳しくなっている。

 そこで、啓太達は一旦帝国を経由することにした。帝国との国境はまだ手薄だろうという発想だ。

 だが、ヘリアンサスより北方にある帝国との国境では、山脈の気候がより厳しいことが予想される。


 「カルラに聞いたんだが、帝国との国境の山脈は一年中雪と氷に閉ざされているらしい。覚悟した方がいいかもな」

 「凍えたりしないですよね……」


 流石のシルヴィも、雪山を徒歩で超えるのは初めてのようだった。


 「寒さもそうだけど、北側は治安も悪いと聞く」


 ニーナが追い打ちをかけるようなことを言った。


 「盗賊に狼がうじゃうじゃいるって話ですよね……」

 「大丈夫よ、クロエ! そんなの私が吹き飛ばしてあげるから!」


 ティアだけは全く恐れていない様子で、得意げにそう言い放った。


 (まあ、盗賊や狼が跋扈しているくらいだ。隠密部隊の手があまり届いてないんだろう)


 ティアの実力は折り紙付きだ。さすがにただの盗賊や狼なら余裕をもって対処できるだろう。

 そう言った意味で、このルートは正解といっていいだろう。


 「まあ、ティアの言う通りだな。今から先のことを心配してもしょうがない。まずは無事に山のふもとまでたどりつこう」


 自分に言い聞かせるように、そう言った。



 夜営を挟んだ翌日の昼過ぎ、啓太達は無事に山のふもとにたどり着いた。

 上っている途中で日が沈むと大変危険なので、大事をとってそこで一泊した啓太達は、さらに翌朝、山脈を登り始めた。


 「さあ、全員準備は良いな?」


 啓太の言葉に、全員がこくりと頷いた。

 今回、啓太達はレジスタンスに分けてもらった防寒着を着ている。

 わざわざ重い防寒着を運んできたおかげで、着こんだ後は寒さが大分和らいだ。


 「ええ。この暖かさなら問題なさそうね!」


 頭をすっぽり包むもこもこした防寒着から顔だけ出して、ティアが頷いた。


 「いいか? 雪山は想像以上に危険だ。絶対にお互い離れるなよ」


 啓太は最後の念押しをする。

 このパーティで、登山経験があるのは啓太だけだった。


 (まさか都会っ子の俺が登山の指南をするとはな……)


 登山経験といっても、高校時代に一度上っただけだ。正直、付け焼刃の知識しか持ち合わせていなかった。


 「一番体力があるニーナが先頭、ティアは二番目だ」


 登山において一番初心者は二番目を歩かせる。昔どこかの本で読んだ知識だ。


 「その後ろをシルヴィ、クロエと続いて、俺は最後を歩く」


 今回は唯一の経験者である啓太がリーダーとして殿を務めるのが良いだろう。

 全体を見回して、ペースを調整する役割も担う。


 「全員靴に滑り止めはつけたな?」

 「はい! ケータさん」


 クロエは元気よく頷くと、足を上げて自分の靴の裏側を見せつけてきた。

 雪山登山で一番怖いのは滑落だ。

 残念ながらこの時代、アイゼンなどという都合のいい文明の利器は無い。

 啓太達は、代用として靴に縄を結んで滑り止めとしていた。


 「地図によると一応途中までは道があるから、それに沿って進もう。その後は何もない所を進むことになるから、気を引き締めていこう」


 ひとしきり説明し終わると、啓太は皆の顔を見た。

 今の演説で、全員顔が引き締まったように見える。


 「よし! じゃあ行こう」


 途中から真っ白に雪化粧している国境の山脈を見上げる。

 近くで見ると、まるで侵入者を阻むかのような拒絶感があった。


 (ここを乗り越えないと国に帰れないからな……。腹を括らないと) 


 ここから先は、自然との闘いになる。

 決意を固めて、啓太達は山に踏み入った。

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