29 『怪しい二人』
屋敷を出発してから数時間――
王都に到着した啓太達は、王宮に荷馬車を預けるとトリオン行きの馬車乗り場に向かった。
「ケータ、あそこみたいですね!」
先頭を歩いているシルヴィが指さす方を見ると、通りの端に乗合馬車を示す看板と止められた馬車があった。
さすが都市間を移動するだけあり、二頭立ての馬にひかれた大きな幌馬車だ。
「すみません、トリオン行の馬車に乗りたいんですが」
啓太は、看板の横に立っていた御者風の男に声をかけた。
「五人か?」
男は啓太達を一瞥すると、ぶっきらぼうに言った。
その視線に、ティアは今日もかぶっている変装用の帽子を深くかぶりなおす。
男の視線が一瞬止まったような気がしたが、そのまま何事も無かったように啓太に向き直った。
「一人銀貨5枚だ」
男に人数分の代金を支払い、啓太達は馬車に乗り込んだ。
「思ったよりも狭いですね」
荷台によじ登ったクロエがぽつりとこぼした。
外から見たときは大きく見えたが、内部は荷馬車に毛が生えたようなサイズしかなかった。
それに加え、荷台の中央にはトリオンに運ぶであろう荷物が積まれており、スペースを圧迫している。
啓太達は、辛うじてその周囲には据え付けられた木の座席に体を押し込んだ。
(……これで二日間移動するのはキツそうだな)
クッションどころか布一枚すら敷かれていない座席で舗装されていない道を何時間も進んでいくことになる。お尻が割れる予感しかしない。
「これが乗合馬車なのね……。素敵じゃない!」
一人、ティアだけは馬車が気に入ったようで、乗り込んだ傍からきらきらした目で室内を見回していた。
「乗客は私達だけかしら?」
「今のところ、そうみたいだな」
啓太達が乗った時点で、室内は空だった。
王都から東のはずれのトリオンまで移動する需要なんてたかが知れているだろうし、こんなものなのだろう。
利益は、荷物の運送で稼げばいい。
「お客さん、そろそろ出発しますんで」
外に立っていた男が、客室内を覗き込んでそう声を掛けてきた。
「そこのお嬢ちゃんも、危ないんで席についてください」
「はーい!」
馬車の中をうろうろしていたティアが着席したのを確認すると、男は御者台に上った。
予想通り、彼が御者らしい。
御者は馬の手綱を握ると、荷台の方を振り返った。
「しっかり捕まっててください。それじゃ、出発――」
「待ってくれ!」
御者が馬に鞭を入れようとした瞬間、通りから馬車を呼び止める声がした。
「二人、この馬車に乗りたいんだが、まだ間に合いますか?」
「……ああ、構いませんが」
馬車を呼び止めたのは、ひげを生やした中年の男だった。その傍には、フードを目深にかぶった少女が立っている。
走ってきたのだろう、男は肩で呼吸をしていた。
「ああよかった。感謝する」
中年の男はそう言うと、御者に代金を支払い馬車に乗り込んだ。
「どうも」
馬車に乗り込んできた男はさっと啓太達を見回すと、丁寧に頭を下げて反対側の座席に座った。
続いて入ってきたフードの少女は、無言で馬車に乗り込むと、そそくさと男の隣に座る。
少女が横を通り過ぎたとき、フードから一束の黒髪がこぼれた。
(ケータ、ケータ! あの二人、怪しすぎるわね!)
(まあ、訳アリなんだろうな)
小声で話しかけてきたティアの言う通り、見るからに不審な二人組だった。
現代日本であれば、職質されても文句は言えないだろう。
とはいえ、ここは異世界。世を忍ぶ旅人がいてもおかしくはないだろう。
(まあ、むやみやたらに他人の事情に首を突っ込むのはよくないからな)
啓太が小声でティアに返答したタイミングで、ようやく馬車が動き出した。
***
「うわぁ! ケータ、これ気持ちいいわよ!」
ティアが、街道を疾走する馬車の最後尾から身を乗り出しながら叫ぶ。
幌の外に顔を出すことで、風を感じているようだった。
「ティア! 危ないぞ」
半分無駄だとわかってはいるが、一応忠告する。
王都を出発した馬車は、街道に沿って一路東に進んでいた。
既に王都の城壁は遠くに消え、地平線の果てまで田園地帯が広がっている。
(さすが農業大国、改めて見てもこれは壮大だな)
山がちな日本では絶対見られない光景は、啓太ですら感動させられた。
まあ、ティアのようにはしゃぐことはしないが。
「やっほーーー!」
遠くに農作業をしている人でも見つけたのか、ティアが大きく手を振る。
「ふふ、ティア様は楽しそうですね」
そんなティアの様子を微笑ましそうに眺めながら、クロエが言った。
「私もわかるなぁ。二頭立ての馬車は速いですからね」
その横で、シルヴィが納得したかのように頷いていた。
「乗合馬車が楽しいのは認めるが、それにしてもはしゃぎすぎじゃないか? 馬車から落ちたら目も当てられないぞ」
「それは大丈夫じゃないですか? ほら」
そう言ってクロエが指さす方を見ると、ティアの足をしっかり押さえるニーナがいた。
(……ニーナは苦労人だな)
真剣な顔でティアを抑えるニーナに、啓太は心の中で同情の涙を流す。
「まあ、ニーナが押さえてくれていれば問題ないとは思うが……、今回は部外者もいるからな」
ちらりとその
一緒に過ごしていると忘れそうになるが、ティアは一応ヘリアンサス王国の第一王女だ。
今回の旅は極秘でなければならず、正体がバレるようなことはあってはいけない。
(あれだけ騒いだら、あの男と少女に気付かれる可能性も――)
しかし、幸いなことに二人はティアの様子には興味が無いようだった。
二人で額を寄せ合いながら、ひそひそ話をしている。
(――まあ、フィルマン程になれば見抜くんだろうけど、さすがにあれを王女だとは思わないだろうな……)
啓太は相変わらず足をぱたぱたさせながら興奮しているティアを見て、苦笑いした。
王都を出発してから半日。
西の空に夕日が沈んだ頃、進行方向前方に大きな湖が見えてきた。
「わぁ、きれいな湖ですね」
啓太の隣で、クロエが感嘆の声を上げた。
街道沿いにずっと続いていた田園地帯は湖の手前で途切れており、湖の背後には鬱蒼とした森が控えていた。
夕日を反射する鏡のように凪いだ湖面に森の木々が写り込み、森の向こうには東の山脈が高々とそびえたっている。
クロエの言う通り、絵にかいたような美しい光景だった。
「あの湖が、王都とトリオンのちょうど中間地点みたいだ」
懐から取り出した王国の地図には、ちょうど今回の旅程の中間地点に湖が描かれていた。
「ということは、そろそろ夜営ですね」
反対側から地図を覗き込んだシルヴィがそう言った時、
「お客さん、そろそろ止まりますので」
御者台からそんな声が聞こえてきた。
街灯もなく盗賊や狼が跋扈するこの世界では、夜の移動は危険だ。
旅人たちは夜になると進むのをやめ、火を焚いて夜営するのが常識だった。
例にもれず、啓太達も今日はあの湖のほとりで一泊することになりそうだ。
「そろそろティアを起こしてやらないとな」
はしゃぎつかれてニーナの膝で寝てしまったティアを眺めて、啓太は肩をすくめた。
馬車はそのまま、湖のほとりに泊まった。
「すみません、火を借りてもいいでしょうか?」
夜、夜営の準備を済ませた啓太達が焚火を囲っていると、馬車に同乗していた男が声を掛けてきた。
「ああ、構わない。好きに使ってくれ」
啓太がそう言いながら自分たちの焚火を指し示すと、男は頭を軽く下げた。
「感謝します」
そう言いながら、男はそそくさと火に近づく。
(火打石を持ってきていなかったのか? 旅慣れていない様子だな)
旅慣れていないのか、はたまた旅の準備をする暇もない程急いでいるのか。
いずれにしろ、夜営の間は警戒した方がよさそうだと啓太が逡巡していると、
「ねえあなた、馬車に乗っていたわね! あなた達もこっちへ来たら?」
そんな気苦労を知らないティアが、のんきに声を掛けた。
「え、いや、自分は大丈夫です」
飄々としていた男もその誘いにはさすがに面食らったようだ。
「一緒に旅した仲じゃない。二人だけ離れたところにいたら狼が来て危ないわよ?」
しどろもどろになった男の返答は気にせず、ティアはなおもぐいぐいと言った。
その言葉に男は少し逡巡すると、振り返ってフードの少女に目くばせした。
「わかりました。お言葉に甘えましょう」
ティアの押しに負けた男は、肩をすくめてそう言うと啓太達の輪に加わった。
遅れて、フードの少女も男の隣に座る。
「自己紹介をしなくちゃね! 私はティアよ」
……思いっきり本名だった。
第一王女の名を聞いても、男に反応はない。幸いにも気が付かれていないようだった。
「俺はケータだ」
「シルヴィです」
「クロエと言います」
「ニーナ」
ティアに続いて啓太達が一通りが自己紹介を終えると、今度は男が口を開いた。
「皆さん、ご紹介ありがとうございます。自分はアダムといいます」
アダムはそう言うと、フードの少女を差した。
「こちらはエレナ。人見知りなので、フードを被ったままで失礼します」
エレナは、フードの端をつまんだままぴょこんと頭を下げた。
「アダムさん達はトリオンに何かご用事が?」
「え、ええ。そんなところです」
「よく行かれるんですか?」
「ま、まあ」
クロエの質問に、アダムはぎこちなく答えた。
首を突っ込む気はないと言ったが、今夜はお互いに協力して見張りをすることもあろう。
念のため、少しは突っ込んだ質問をして揺さぶをかけておいた方がいいだろう。
「俺たち、実はトリオンに行くのがはじめてなんだ。どこかおすすめの店とかあるか?」
「お、おすすめですか? いや、特には……」
アダムのしどろもどろの回答から察するに、トリオンによく行くというのは嘘なのだろう。
どういう事情があって極秘にトリオンに向かうのかは謎だが、これ以上深入りしても余計な火の粉を被るだけだ。
啓太がそう考え、話題を切り上げようとした時、
「エレナは、どこかおいしいお店知らないの?」
そんな啓太の心中など知らないティアが、口を挟んだ。
「わ、私は……」
初めて聞くエレナの声は、蚊の鳴くようなか細さだった。
「ティア、エレナさんが困っているだろ」
「でも、せっかくトリオンに行くならおいしいお店とか知っておきたいじゃない!」
たしなめた啓太に、ティアは口をとがらせて反論する。
「それなら自分たちで探せばいいだろ。エレナさん、すみませんね」
「い、いえ……。大丈夫です」
消え入りそうな声で、エレナが答えた。
ちらりとアダムの方を見ると、ティアとエレナの会話を険しい表情で見ていた。
(あまりエレナのことを突っ込むのはよくなさそうだな)
「さあティア、もういいだろう。そろそろ食事の準備を――」
啓太がそこまでいった時。
「――っ!」
アダムが突然立ち上がった。
「どうしたの?」
アダムはティアの質問には答えず、エレナをかばうようにして前に出る。
そのまま腰の剣に手を当ると、湖のほとりにある森の方を睨んだ。
(……何かいるのか?)
啓太がちらりとニーナの方を見ると、ニーナも立ち上がっている。
「多い。全部で20人はいる。かなりの手練れ」
「……一応聞いておくが、何が?」
啓太が尋ねると、ニーナは真剣な表情でこう告げた。
「敵」
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