15 『オロン』
――いつの間にか、雨は上がっていた。
洞窟を出ると、木々の隙間からは昨晩の雨が嘘のような青空が見える。
新鮮な空気を思いっきり吸い込むと、ぬかるんだ土の匂いに混じり、雨上がり特有の澄んだ空気が鼻孔をくすぐった。
「んー!気持ちのいい朝っすね!」
一足先に洞窟を出たデニスが、目の前で腕をいっぱいに広げて伸びをしていた。
デニスの足元では、牧羊犬のマギーも伸びをしている。
「ほんとね!」
啓太に続いて洞窟を出たティアも、笑顔で大きく息を吸い込んだ。
一晩の間に洋服は乾いたので、上着は啓太に返されている。
「デニス、そろそろ聞いてもいいか?」
「ん?何をっすか?」
腕を伸ばしたままデニスは、きょとんとした顔だけを啓太の方に向けてきた。
「どうしてこの洞窟に俺たちがいるってわかった?」
「ああ、それなら簡単っすよ!」
啓太の質問に、デニスはにかっと笑った。
「昨日の朝たまたま森の外側にいたっすけど、突然森の中に火柱が上がって――」
啓太がティアの方を向くと、ティアは目をそらした。
「――これは一大事っす!ってマギーと森に入ったっす!そしたら馬車が燃えてるじゃないっすか、こりゃ大変って思ったっす」
啓太がティアの顔をさらにじとっと見つめると、ついにティアはぷいっと顔をそらした。
そんなティアの様子に気付かないデニスは、あれはすごかったっすね~、などとつぶやきながら頷いていた。
「それで馬車の近くに草を踏み分けたような跡を見つけて、それを辿ったらケータさんたちがいたっす!」
「なるほどな。よくわかったよ」
おそらくティアが啓太を引きずった後だろう。非力なティアに啓太を持ち上げる力は無いはずだ。
「ところで、羊たちはどうしたんだ?」
昨日洞窟に現れた時から、デニスは羊を連れていなかった。
「ああ、羊たちはあの村の羊小屋に預けてるっすよ!バッチリっす!」
そう言って、デニスは歯を見せて笑いながらピースサインを出した。
それを聞いたティアは、わかりやすく残念そうな顔をした。
いや、こんな森の中で羊をぞろぞろ連れていたら、それはそれで怖いだろ。
「それで、森を抜ける策があるって言ってたよな?」
「もちろんっす!自分にとってこの森は庭みたいなものっすよ!街道を無視してまっすぐ進めば、あっという間っすよ!」
得意げにそう言ったデニスは、元気に草が生い茂る方向を指さすのだった。
デニスの言う『まっすぐ』が文字通りの意味だと知ったのは、それからすぐだった。
「で、デニス、本当にこっちで会ってるのか?」
「あってるっすよ!こっちっす!」
草をかき分け、岩を乗り越えてデニスは直進していく。その後を追うのは、想像以上に大変だった。
歩き始めて直ぐに、ティアが弱音を吐き始めた。
「ケータ~、疲れた…… おんぶして~」
「お前は赤ちゃんか」
それでも、口で言うだけでティアが本当におんぶを要求してこないのは、啓太の体調を慮ってのことだろう。
ケータにとってもこの強行軍は相当キツかった。
(まだ体力が戻り切っていないのもあるけど、こんな自然真っ只中を進むなんて日本じゃ考えられないからな)
デニスとマギーが踏み固めて道を作ってくれているとはいえ、好き勝手に伸びる下草や木の枝が全身あちこちにぶつかる。
それに、昨日の雨で土はぬかるみ、岩は滑るため、一歩一歩確実に進まなくてはいけないのだ。
日本にいたころは趣味『散歩』を標榜していた啓太だが、アスファルトの地面と森の中では全く勝手が違うことを痛感せざるを得なかった。
「ケータさーん!ティアさーん!こっちですよー!」
一人だけ全く疲れを見せないデニスは、先行しながら啓太達を振り返ると、時々こうして鼓舞してくれる。
「……デニスは化け物ね」
「そうだな」
ぽつりとティアが呟く。
同感だ。もしデニスが地球に召喚されたら、無酸素でエベレスト登頂くらいやってのけるような気がした。
そうしてフラフラになりながらもデニスについて歩くこと数時間。
唐突に視界が開けた。
これまで下草と木しか見えなかった目の前には、うって変わって平らな田園地帯が地平線まで広がっていた。
「やったわね!ついに森を抜けたわ!」
啓太に続いて森を抜け出したティアが、歓喜の声を上げて啓太の手を取った。
「そうだな!デニス、本当にありがとう!」
「いえいえ!お役に立ててよかったっすよ!それより、お仲間の姿は見えそうですか?」
啓太は周囲を見渡すが、荷馬車らしき姿は見当たらない。
「うーん、まだ森の中なのかな――」
(ケータ!ケータ!)
「――うおっ!」
「どうしたの?」
ケータの頭の中に、突然ニーナの声が響いた。驚きのあまり変な声が出たのはご愛嬌だ。
「大丈夫。ニーナからの連絡だ」
心配そうに啓太の顔をのぞき込むティアの頭を撫でて落ち着かせてから、ニーナに思念を飛ばした。
(ニーナ!ここだ!俺もティアも無事に森を抜け出したぞ!)
(ケータ!本当に良かった。森の中にいると木々の干渉が強すぎて、魔法が届かない)
(それで連絡がつかなかったのか。ニーナたちは無事か?)
(無事。早く合流しよう)
それから啓太は、ニーナと細かい待ち合わせ場所の確認をした。
「ティア、ニーナと連絡がついた。ここからあまり遠くないところにいるようだ」
「よかったわね!それなら早く合流しましょ!ああ、あの御者台が恋しいわ」
「同意だ。徒歩での移動はもう十分だ」
そう言って、啓太とティアは顔を見合わせて笑った。
「そうだデニス、せっかくだからお前も――」
啓太が振り返ると、既にデニスの姿は無かった。
「あいつもつくづくせっかちな奴だ。毎回風のように去りやがって」
「日が暮れる前にもう一回森を抜けて、村に戻る気じゃないかしら?」
「……まさかな」
デニスの健脚ならそれもあり得る、と思ってしまった。
「さあ、急いで馬車と合流しよう」
***
「……いったようじゃな」
「そうっすね」
歩き出した啓太達を、森の中から伺う二つの影があった。
「お前があんなに気に掛ける奴は初めてじゃな」
「そうっすか?自分は結構親切な羊飼いのつもりっすけど」
小さな影の問いかけに、大きな影が答える。
「そんなことを聞いていないのはわかっているじゃろ?」
「……ケータさんからは、特別なモノを感じるっすから」
大きな影は、遠ざかる啓太の背中を見ながら、そう呟いた。
「男の方か?てっきり、娘の方かと思っておったわ」
「ティアさんは、本物の化け物っすね」
「儂よりもか?」
「ポテンシャルは彼女の方があるんじゃないっすか?」
その台詞に、小さな影が少し不満そうな顔をした。
「もちろん、今ならマギさんの圧勝っすよ!」
「そんな取ってつけたようなフォローはいらん!それに、儂も別にことを構える気はないわい」
小さな影は、遠ざかる二つの影をじっと見つめた。
「あ奴らは、本当にこの国を救ってくれるかもしれんのう」
***
無事に荷馬車と合流してから数時間。
西の空が茜色に染まるころ、啓太達はオロンの街を見下ろせる丘の上までたどり着いた。
「ケータさん、見えてきましたね!」
クロエが街を指さし、興奮した口調ではしゃいだ。
いまでこそ落ち着いたが、合流直後のクロエはひどい泣きじゃくりようだった。
『ひっぐ。けぇたさぁん……うっぐ。よがった……』
泣き止んだ今も、泣きはらした目は真っ赤のままだ。
二度と手放さないつもりなのか、啓太の右腕を握りしめる力もはぐれる前より強くなった。
「大きい街だな。デニスは何か勘違いしてたのか」
眼下に広がるのはうらぶれた寒村などではなく、夕日に赤く照らされた巨大な都市だった。
王都ほどではないが、それでも万はくだらない人口を抱えているだろう大きさだ。
「オロンは王国北部の重要な交易都市のひとつだったはずよ」
ティアがそう補足した。
街を挟んだ反対側には切り立った山々が連なっているのが見える。
あれが帝国との国境なのだろう。
「さあ、あと少しだ。いこう!」
そう言って、啓太は馬に鞭を入れた。
オロンの街の正門――
街の正面までたどり着いた啓太達は、街に入るための荷物検査の列に並んだ。
シルヴィいわく、こうした大きな街はこうして密輸や犯罪者の流入を防ぐようだ。
「次!」
門番の声が聞こえた。啓太達の番だ。
門番は覆いを外し、啓太達の荷馬車をあらためる。
「荷物は干し肉と香辛料か。よし、通っていいぞ。――ん?」
通行許可を出した直後、門番の視線が、ティアの顔に止まった。
「お前、どこかで……?」
「あ、ありがとうございました!」
ティアだと気づかれたら面倒なことになると、啓太は強引に会話を切り上げて門をくぐった。
「うわぁ……」
街の様子を見た瞬間、クロエが感嘆の声を漏らした。
「ケータさん、すごいですね!私、こんな大きい街に来たのは初めてです!」
クロエが興奮気味に言った。
(いわれてみれば、確かににぎやかだな)
啓太にとってここは、この世界に来てから王都以外で初めて見る街だった。
既に日はかなり傾いているが、それでも街の往来には人があふれかえっていた。
門から街の中心へと一気に続く目抜き通りには、たくさんの馬車が走っており、通りに面した店は、既に明かりをともして客を呼び込んでいた。
そんな店からは、ぷんと香ばしい香りが漂ってくる。
「ケータ、今夜はこの通りのお店で食べましょ!」
酒場で食事をしたことなどないティアが、目をキラキラさせてねだった。
「そうだな。長旅で皆疲れているだろう。今夜はパーッと遊んで、英気を養おう!」
「「やったー!」」
この香りからすると、味には期待ができそうだ。
啓太の言葉に、ティアのみならずクロエも手をたたいて喜んだ。
***
オロンの街の北部に広がる山脈。
ヘリアンサス王国とシレーネ帝国の国境線の役割も果たすこの山脈には、いくつもの砦が建設されている。
その砦の一つから帝国宰相ユリアン・オーラフ・ルードルフ・プレディガーは日が沈み、ぽつぽつと明かりがともったオロンの街を見下ろしていた。
「――異常が、事のあらましになります」
プレディガーの足元に跪いた覆面の男が、そう報告を締めくくった。
「結局、あの三人では駄目だったか」
「はい。見張りの報告によると、同行していた第一王女に瞬殺されたようです」
――迂闊だった。
帝国にとっての危険の目は早いうちに積んでしまおうと、
まさか、王国最強の魔法使いである第一王女が変装して護衛しているなんて思わなかった。
おそらく彼女は、そこまで読んで護衛もつけずに荷馬車に潜り込んでいたのだろう。
(魔力だけでなく、頭も切れるとは、どうしようもないな)
悔しさのあまり握りしめたこぶしがわなわなと震える。
結局、つり出されて潰されたのは帝国側だった。
「第一王女が傍にいる限り、賢者の暗殺は難しい、か」
「はい、『影』の総意です」
「わかった。ご苦労」
プレディガーの言葉を聞いた瞬間、覆面の男は消えた。
「ふむ、難しい状況だな」
ゲーベルの背後から、特徴的なよく通る声が聞こえてくる。
「これはこれは
声の主の方を振り返ると、プレディガーはそう言って一礼した。
「すまないが先ほどの会話を聞いていしまった。どうやら力での排除には失敗したようだな」
「はい。あの化け物王女相手では、太刀打ちできるものはおりません」
プレディガーの言葉に、ゲーベルは薄い笑みを浮かべた。
「となれば、いよいよ私の出番だな?」
ゲーベルはプロディガーの隣に立つと、目を細めてオロンの街を見下ろした。
「本物と偽物。どちらが賢者の名にふさわしいか、ここからは知恵比べと行こうか」
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